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16.
「アキラ〜
 どこまで行くんだよ」
風が前を走っているアキラに言った。

 ゴールデンウィークが終わった初めての土曜日、風とアキラと五月と塩素は、高校の近くの川の土手を並んで自転車で走っていた。塩素の荷台には丁寧に縛り付けられた木箱が積んであった。
「アキラ〜ねぇったら〜」
五月が大声でアキラに言うと、アキラは後ろを振り向いて
「もう少しだよ
 このまま行くと大きな川に合流するから、そこの堤防まで行かないと」
こうして4人は長閑な春の午後に自転車を連ねて走っていった。土手にはスミレが一面に紫の花を咲かせていた。霞みがかった空を鳶が円を描いて飛んでいた。

「着いた」
アキラが自転車を止めたところは川の支流と本流が交わるところだった。そこは死角になっていてどこからも見えないところだった。
「いい場所じゃん!
 近くにこんなところあったんだ」
「まかしとけって!」
アキラは嬉しそうに自分の胸をトンと叩いた。
塩素は自転車を停めると荷台から木箱を慎重に下ろし始めた。木箱の蓋を開けるとビール瓶が丁寧に布に包まれていた。塩素はその布を地面に広げると1本1本並べていった。木箱には全部で6本のビール瓶が入っていた。
「これがモロトフか」
アキラが感心して並んだビール瓶に近づき
「やっぱりダニー危険なのか?」
「ダニーかよ…」
風が笑って塩素を見ると、塩素は我関せずの冷静さで
「危険といえば危険ですが、瓶が割れなかったら爆発することはないです」
風は堤防の真ん中にチョークで大きくX印を書くと距離を測り始めた。そして堤防から30メートルの距離を確認した。
「ここかな」
風はアメリカ領事館前の交差点と歩道との距離を既に測っていた。
「ここから堤防にちゃんとモロトフを投擲できればいいわけだ」
「ここから?」
「あぁ、ここからだ」
「私そこまで投げれるかなぁ…」
不安そうに五月が言った。
「大丈夫ですよ五月さん、体力測定のボール投げで小6で平均30メートルだから
 あっ!それって男子かも」
「別に全員が投げる必要ないんじゃないか?
 例えば五月はレポに徹するとか」
「レポって?」
「簡単に言えば見張りかな」
「俺は投げるぜ!」
「わかってるよアキラ」
「とりあえずモロトフは6本あるんだから全員で投げてみよう」
「そうですね」
「俺一番!」
アキラが待ってましたとばかりモロトフを手に取った。
「ダニー、ただ投げればいいのか?」
「ええ、投げて瓶が回転しないように、底が下になって飛んでいくのがいいんじゃないですか」
「よっし!あのX印だな
 せいのっで!オリャー!」
アキラはモロトフを右手にして振りかぶると力を込めて投げた。
火炎瓶は放物線を描いて飛んで行くと、パンッという乾いた爆発音を上げ、同時に3メートル程の赤い火柱が上がった。
「ウォー」
4人が一斉に声を上げた。
「すごい!」
 アキラが興奮して
「見たか、えっ見た」
「みんな見てるから大丈夫だよ
 次は塩素やってみて」
「はい」
塩素がモロトフを投げた。しかし火炎瓶は的まで飛ばずに堤防の手前に落ちて炎を上げた。
「ありゃ〜ダニー駄目だに〜」
「…すみません」
塩素は申し訳なさそうに言うと五月を見た。
「大丈夫よ一回目だし、平気よ塩素君」
五月が塩素をフォローして
「次私が投げるわ
 エイッ!」
五月の投げたモロトフも塩素と同じところで爆発した。
「案外難しいのね…」
風がモロトフを投げた。すると真っ直ぐに飛んで行った火炎瓶は的の真ん中で爆発し一際高い火柱が上がった。
「おおっ!」

 春霞のかかった空に一筋の白い煙が上がっていった。風は白い煙を見て、どこか焼き場に昇る煙のようだと思った。
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17.
現代史研究会の部室に戻った4人はまだ興奮冷めやらない様子だった。
「役割分担を決めよう」
風が机の上に地図を広げてそう言った。
「投擲練習からして火炎瓶を投げるのは俺とアキラかな
 それで塩素と五月は運搬とレポでどうだろう?」
「4人が一緒にいるのは目立ちますし、二人一組で動くほうがいいかもしれませんね」
塩素がそう言うとアキラが胸を張って
「そうだよ、実際モロトフ投げるのは俺らだよな、風」
「ここがアメリカ領事館前の交差点、俺とアキラは、北と南の対角線の2地点からモロトフを投げる。投擲に要する時間は1分以内としても、モロトフ4本は投げることが可能だと思う」
アキラが続けざまに火炎瓶を投げる動作をした。
「1分はかからないな」
「私と塩素君はどうしたらいいの?」
「2地点、つまり俺とアキラのこの場所にモロトフを運ぶことだよ」
「警察の警備も厳しいと思いますから
 今日みたいには運べないし、どうしましょう…」
「そうね…
 剣道部の防具入れは?」
「五月さん、ナイスです!」
塩素が五月を見て笑った。
「それはいいかも、検問にあったらそれで終わりだからな
 防具の中にモロトフ4本、十分入るよな?」
「うん、家に兄貴の防具入れあるから確かめてみる」
「五月と塩素がこの地点に防具入れを置いてと
 すかさず俺とアキラがそこに現れてモロトフを投げる」
「風、それって完璧じゃないか」
「完璧かどうかはわからないけど、一通りの予行演習はいるよ」

「声明文を作らないと」
風がボソッと言った。

18.
『パリ騒乱 首都機能麻痺に ドゴール大統領退陣か』
新聞の海外欄に見出しが躍っていた。
 風は記事の隅から隅までを貪るように読んだ。1968年5月10日、パリは燃えていた。

 カルチェ・ラタンは、ダニエル・コーン=ベンディット率いる学生たちがバリケードを築き解放区としていた。フランス治安部隊が学生たちの弾圧に投入され、重装備で学生たちを襲った。こうしたフランス内務省の強権に対し、パリ市民の学生たちに対する共感が一気に広がっていった。
 発端はストラスブール大学の民主化だったものが、今や運動は革命に発展しようとしていた。旧態依然とした大学のアンシャンレジウムに対する闘いはナンテールに波及しパリのソルボンヌに達していた。全国の大学はストライキに突入し、クレムリンと蜜月でモスクワの長女と言われたフランス共産党とCGT(労働総同盟)は、ダニエル・コーン=ベンディットらの運動をアナーキストやトロツキストの挑発として弾圧の側に立っていた。
 軌を一にするようにプラハでは、民主化を進めるチェコスロバキア共産党ドプチェク第一書記が推し進めた「プラハの春」が国民の圧倒的支持を集めていた。そしてプラハの春に危機感を覚えたモスクワはワルシャワ条約機構軍の軍事演習をチェコ近郊で行いドプチェク政権に揺さぶりをかけ緊張が極度に高まっていた。
 事実、それから三ヶ月後の1968年8月20日の深夜、ソ連を中心としたワルシャワ条約機構軍が戦車を先頭にしてチェコスロバキア国境を突破して首都プラハに侵攻した。
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「隼人、パリ五月革命凄いよな」
「あぁ俺も情報集めてたんだ。AP電に詳しく載ってるよ」
風は隼人と電話で話していた。
「これって革命だろう」
「そうだよな、ドゴール退陣せざるを得ないんじゃないか」
「世界は激動し、時代は変わっている」
 …
「話違うけど、風、お前”クリームの素晴らしき世界”聴いた?」
「ラジオで少し聴いたけど、隼人もう持ってるのか?」
「あぁ、兄貴の関係で洋盤が早く聴けるんだよ。
 エリック・クラプトンにジャック・ブルースにジンジャー・ベーカーだろう
 それって最高じゃないか」
「だよな、ホワイトルーム聴いた?」
「聴いたよ
 "In the White Room〜"ってのだろう
 しかし3人ぽっちでよくあれだけ深い演奏できるよな」
「一度でいいから、クリームでもヤードバーズでも生で見てみたいな」
「日本なんかに来ることないだろうけど
 大学入ったらバイトして金貯めて一緒にロンドンに聴きに行けばいいじゃないか」
「…大学か
 なぁ隼人、大学生ってきっとそうしたことができるんだよな」
「ゴメン、ついクリームの話に夢中になって」
「いいんだよ、こんな話って隼人としかできないし」
「風、あと一年だ
 …早まるなよ」
「あぁわかってるよ
 今度クリーム聴かせてくれよ」
「もちろん」

 風は自分の中で捨てきれないものがあった。それはロックだったり、文学だったり、カーレースだったり。自分自身がこうした自分の夢や好きなことを、革命のために自己犠牲と引き換えに無くしてしてしまうことは仕方のないことだと思っていた。しかし風がいることで、アキラや五月や、塩素までも今まで描いてきたそれぞれの人生を変えてしまうかもしれないことに罪悪感のようなものを感じていた。
 特に塩素には、彼が夢を実現するためにずっと努力してきたことを、風と、正確には五月と知り合ったことで全てを無くしてしまいかねないことに躊躇する気持ちが度々あった。

 時計は既に午前1時を回っていた。
 風の机の上にはパリ五月革命の切り切り抜きと、ロータスF1でワールドチャンピオンを手にしようとしていたグラハム・ヒルの写真があった。
 風はゴールドリーフロータスに乗ったヒルの写真を見ていた。
「カッコイイなぁ
 …
 やっぱり俺一人ですればいいんだ…」

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つづく