☆岩次郎という人生 その2

 岩次郎は少年兵として中国に渡り、敗戦と同時にシベリアへ抑留された。舞鶴の岸壁に立ったときは戦争が終わって既に三年が経っていた。戦友の多くは酷寒のシベリアで命を落とした。
 ラーゲリの凍てつく毛布の中で夢に見た故郷鹿島。光り輝く有明海。少年兵として故郷を出てから七年。しかしすでにそこには岩次郎の居場所はなかった。岩次郎は仕事を求めて、佐賀の鹿島から飯塚の炭坑に流れて行った。シベリアで無数の骸を目にした岩次郎には、過酷な炭坑もさほどのことはなかった。少なくともそこには温かい飯と、酒と、そして女までも手にすることができたからだ。
 岩次郎そのとき二十五歳。一度はなくした命、力を持て余した岩次郎は、酒を飲んでは喧嘩をした。本当は気が小さかったのかも知れない。酒の勢いを借りて所かまわず喧嘩をした。戦後間もない炭鉱の町飯塚。町はやくざがシマを張っていた。そして岩次郎は当然のようにやくざの世界に入っていった。
 やくざものになった岩次郎はヤマに入ることをやめ肩で風を切って町を歩いた。そんなある日、赤線街で喧嘩になった。打ちのめした相手が悪かった。隣のシマの跡取り息子だった。岩次郎は小指を持って詫びを入れた。小指が命の引き換えだった。酷寒のシベリアでも無くさなかった指をつまらないパン助の取り合いで無くしてしまった。しかし岩次郎は、小指を詰めたことで一人前のやくざになったような気になっていた。
 戦争で人が変わったのか元来の遊び人だったのか。岩次郎は浮かれて放蕩の限りを尽くした。そして気付いたときには金もなく年老いてひとりになっていた。愚かな人間が辿るお決まりの道だ。
 岩次郎は酔っぱらうと片肌脱いでいつもこう言っていた。
「俺は鹿島の岩次郎たい
 あんたは本当の俺を知らんばい 」
 確かに私は本当の岩次郎を知らなかったのかも知れない。私の知っている岩次郎は薄汚いボロアパートの一室で背中を丸めてうずくまっている姿だけだった。

 岩次郎と一緒に民生委員のところに生活保護の申請に行ったことがあった。民生委員は公務員を勤め上げた退職者だった。民生委員は岩次郎を見ると警戒と蔑みの表情を浮かべた。九州から流れてきたやくざものの岩次郎に警戒しない人間はいないだろう。しかし素性を細かく聞かれていくうちに、岩次郎の顔色が変わっていくのが分かった。
「俺ばなめとるとね」
ドスの利いた声でそう言った岩次郎の目は間違いなくやくざものの目だった。岩次郎の身元引受人になっていた私は、その場を取り繕い生活保護を依頼した。

「岩さん
 お金いらんのかい」
帰り道私がそう言うと、岩次郎は黙って頭を下げた。惨めだったのだろう。岩次郎は何も言わずに暗い夜道を帰っていった。
 季節はちょうど今頃だった。寒中の寒い夜、空には冬の星座が輝いていた。ギラギラと青く輝くシリウスを見上げて何ともやりきれない気持ちになっていたことを覚えている。そしてそのやりきれない気持ちとは岩次郎への同情ではなく、オブセッションのように自分の行く末が岩次郎と重なったことにあった。