☆岩次郎という人生

 何故か最近、20年以上前に亡くなった男のことをよく思い出す。年の頃は私より20歳くらい上で、名前は岩永光夫。私は彼のことを岩次郎と呼んでいた。初めて会ったのはもう30年も前のことだった。私がフリーのライターをしていた頃だ。

 ある日、酔っ払っいが私の事務所に入ってきた。泥酔していた男は意味不明の言葉を発していたが、よくよく聞いてみると当時事務所の隣にあった布団屋が彼に布団を売ってくれなかったことへの憤慨だった。その酔っ払いが岩次郎だった。

 岩次郎は佐賀県鹿島の出身だ。少年兵として中国に渡り、無線兵として戦争を終えた。敗戦と同時にシベリアへ抑留され、舞鶴の岸壁に立ったときは戦争が終わって既に三年が経過していた。
 故郷の鹿島へ戻った岩次郎には過酷な暮らしが待っていた。それでも体力と度胸のあった岩次郎は仕事を求めて鹿島を離れ飯塚の炭坑で働いた。まだ石炭産業がエネルギーの中心の頃だ。危険な炭鉱の仕事のためか、生来の性格か、或いはシベリア体験がそうさせたのか、岩次郎は放蕩を尽くし、稼いだ金で博打を打ち酒に溺れた。

 やがて炭坑が次々と閉山となり、ヤマを出て名古屋に流れ着いた時、岩次郎は既に50歳を過ぎていた。長い炭坑暮らしで身体を悪くし生活に困っていた岩次郎は生活保護を受けるようになった。しかし月々5万円ほどの保護費では暮らしていくことができなかった。そこで岩次郎は私の事務所でアルバイトすることになった。岩次郎のできることといったら掃除と留守番くらいのことだった。
 岩次郎とは妙に気が合った。時間を一緒にしていくうちに岩次郎は自分の人生をポツポツと語るようになっていった。しかし過去を語る時はたいてい臭い息をして事務所に来た時だった。
 岩次郎の左小指は第一関節から無くなっていた。指を詰めたのだ。岩次郎の背中には観音様が彫ってあった。ただ観音様はシルエットだけで極彩色とはとてもいえなかった。つまり岩次郎は半端なやくざ者だった。

 事務所にはナスターシャという犬がいた。事務所の前の公園に瀕死の状態で捨ててあった犬だ。やくざなはぐれ者と捨て犬のナスは境遇からいって似た者通しだった。岩次郎は酔っ払うと自分のボロアパートに犬を連れていった。朝事務所に来てナスターシャがいないと岩次郎のアパートに犬を迎えに行った。アパートは木造二階建てで入り口に大きな下駄箱があった。そこで靴を脱いでアパートの汚れた廊下を歩くと靴下がすぐに真っ黒になった。廊下の両側に部屋が六つほど並んでいた。そのひとつのベニヤの扉を開けると岩次郎は酔いつぶれて鼾をかいていた。その横でナスターシャは退屈そうに眠っていた。酒を飲んで寂しさが募ると岩次郎は犬を相手に自らの人生の不運を呪っていたのだろう。

 岩次郎が死んだのはそれから十年ほど経った頃だった。岩次郎は炭鉱にいた頃結婚し子供をもうけたものの、やくざな暮らしに愛想を尽かした妻子に捨てられ見寄りがなかった。区役所の保護係りの職員と一緒に葬式を出した。線香を上げにきたのは私の友人数人だけだった。
 葬式が終わって岩次郎のアパートで遺品を整理した。遺品といってもがらくた以外何もなかった。ふと水屋の引き出しに桐の小箱を見つけた。小箱の中には桐の紋が刻印された銀盃があった。それは国からシベリアに抑留された兵士に贈られた記念品だった。やくざ者の岩次郎でさえ、どこかで自分の人生を認めてもらいたかったのだろう。銀盃は大切に引き出しの奥にしまってあった。しかし如何にも安っぽい銀盃は岩次郎の人生を余計に虚しいものに感じさせた。

 薄汚いアパートの一室は部屋全体から饐えた臭いがしていた。私は桐の紋の刻印のされた盃をゴミ袋の中に捨てた。
『岩さん、あんたが生きていたことなんて誰も覚えちゃいないよ』
 そう呟くと岩次郎の人生が自分自身の人生の最後のように思えてならなかった。
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