「アメリカンスナイパー」を観た。
C.イーストウッドのイラク戦争、シールズのスナイパーを主人公にした映画だ。
海兵隊の兵士を守るために、敵を一人づつ射ち殺していく。その敵とは、兵士とは限らない。時に子供であったり、女性であったり。
160人もの敵を殺し、伝説のスナイパーとなった男、クリス・カイル。
しかし、レジェンドとしてヒーローとなったカイルは、敵を殺すことに精神のバランスを崩していく。

「人が人を殺すともの凄いストレスが発生する」と医学誌に書いてあった。
確かに遺伝子の中には「共食い」をしないという掟が打ち込まれている。それは地球上のどんな動物にも共通した掟だ。
例えば、セレンゲティのライオンの群れだ。何日も獲物を獲ることができずに飢えて死んでいく。そんな時でも、決して群れの仲間を食べることはしない。それは倫理という人間の精神作用などでは決してない遺伝子に打ち込まれた掟だ。そもそも種を存続させていくために必死で生きているのに、互いに殺しあっては種の存続そのものが不可能となる。
例えばBSEだ。BSEの原因は牛の肉骨粉を飼料にしたことによる。安価で栄養価が高いとして与えつづけた肉骨粉が、やがて牛の脳に異常プリオンを発生させBSEとなった。人にも同じ例が、ポリネシアのカリバリズム(人肉食)の習慣のある部族にBSEに似た症状が確認されている。

イラク帰還兵のPTSD、ベトナム帰還兵もPTSDに悩まされた。戦場のフラッシュバック、常に危険を感じる過覚醒。
戦争は、どれだけ国家が大義を唱えようとも、どれだけ国家が栄誉を与えようとも、人殺しに違いはない。だから戦場で敵を殺せば、もの凄いストレスがかかり、本能的な自己防衛として精神のバランスを崩す。
つまり人殺しは、生き物が生きる上で最も守らなければならない掟、遺伝子に深く打ち込まれた掟を破ることに他ならない。

パリでテロが発生し、多くの人々が犠牲になった。テロの報復としてシリアで無差別な爆撃が行われている。パリのテロも、シリアの爆撃も人殺しに違いはない。
人には、人を殺さないという掟が遺伝子の中に打ち込まれているはずだ。その遺伝子の中に深く打ち込まれた掟を破るために、国家は正義を掲げ、人々の憎悪を煽る。
国家はホッブスが説いたようなコモンウェルスではなく、やはりリバイアサンとして憎悪と報復を煽り殺戮を繰り返すものでしかないのだろうか。
「アメリカンスナイパー」を観終わってそう思った。