Route66

 そろそろ人生の先も見えてきたせいか、やっておきたいことがたくさんある。それは夢といってもいいかも知れない。
 先週会社の同僚と一緒に一泊二日で北陸から東北を車で回った。高速道路を一気に1,500km、グランドツーリングだ。そもそも無理なスケジュール、アポイントの時間が押していたこともあって、追い越し車線を150kmのハイアベレージで激走した。
 車を運転することが好きだ。スピードを出すことはもっと好きだ。だから高速で追い越し車線をカッ飛びで飛ばしているとどこまでも遠くに行きたくなる。
 取り敢えずサンフランシスコに行こう。そしてハリー・キャラハンのサンフランシスコ市警前をスタートしてサンタモニカに向かおう。サンタモニカからシカゴへ、およそ3,800km。これがアメリカの母なる道、Route66だ。スタインベックの「怒りの葡萄」で、貧しい農民トム・ジョードが一家を連れてT型フォードで西を目指した道、それがルート66だ。
 アリゾナのツーソンからニューメキシコのエルパソを経てアルバカーキへ。アルバカーキはニール・ヤングがトゥナイト・ザ・ナイトで気怠く歌った街だ。アルバカーキからテキサスのダラスに向かう。そう1963年JFKが暗殺された街ダラス。オープンカーで手を振っていたJFKをオズワルドの凶弾が襲った。飛び散る脳みそ逃げ惑うジャクリーヌ。
 次はニューオリンズだ。ウィリアム・フォークナーが舞台にしたヨクナパトーファ郡ジェファーソンはこの辺りだ。アメリカのディープサウス、時は南北戦争、トマス・サトペンとその一族の息苦しいほどに濃密な世界。それは奴隷制の陰と血の濃さと粘り着く暑さだ。
 ニューオリンズから一気に南にフロリダに向かおうか。しかしフロリダは次のキューバへの旅でどのみち訪れなくてはならない。だから今は進路を北に取ろう。まずはプレスリーの街メンフィスへ。BBキング、マディ・ウォーターズ、メンフィスはブルースの街だ。そして忘れてならないのが、1968年4月4日、マルチン・ルーサー・キング牧師がメンフィスのロレインモーテルのバルコニーで暗殺された。
 ナッシュビルからオハイオ州シンシナティへ。ステーヴ・マックイーンはシンシナティキッドで若き天才ギャンブラーを演じた。シンシナティからインディアナポリスはほんの200kmほどだ。そしてもうすぐそこがシカゴだ。ミシガン湖畔全米第3位の大都市シカゴ。1968年8月、シカゴで50万人のベトナム反戦集会があった。デモはやがて市街戦となり、悪名高きメイヤー・リチャード・デイリーはデモ隊を武力で徹底的に鎮圧した。このシカゴ市街戦を指導したのが、ジェーン・フォンダの夫だったトム・ヘイドンらChicago Sevenの7人だ。
 サンタモニカから北米大陸を横断してシカゴへ。CBS/TV「ルート66」でトッドとバズがシボレーコルベットに乗って走った道。ポップカルチャーの象徴それがRoute66だ。そしてこの道は過ぎ去った青春へのオマージュであり人生の終わりの旅だ。
 さぁそろそろ旅も終わりだ。ミシガン湖畔に車を停めてハリーのようにこう言おう。
"Go ahead.Make my day."

tokkuns.