Save the Whales!
これ以上クジラたちを殺戮するのはやめよう!

1.世界から孤立する日本
 去る3月31日、国際司法裁判所ICJが日本政府の調査捕鯨に対して、「調査捕鯨」は科学的調査に値しない商業捕鯨でありIWC決議に違反すると判決しました。
 今回のICJの判決は、世界では妥当な判決として受けとめられており、意外な判決と驚いているのは日本国内だけです。

 この間日本政府はIWC総会で世界から孤立しつづけてきました。
 IWC総会で日本政府は、調査捕鯨の拡大計画をはじめ、商業捕鯨再開の足がかりとなる改訂管理制度(RMS)の早期完成、南氷洋サンクチュアリの撤廃、日本沿岸でのミンククジラの商業捕鯨捕獲枠の拡大、無記名投票などを度々求めことごとく否決されてきた経緯があります。
 特に調査捕鯨の拡大計画にはオーストラリアの撤回決議が可決され、世界中から調査捕鯨の中止が求められる結果となりました。しかし日本政府は決議に拘束力がないとしてIWC決議を無視し、ミンククジラの捕獲を年440頭から935頭に倍増し、さらに対象種も大型のナガスクジラとザトウクジラにまで拡大しそれぞれ年間50頭の捕獲枠をIWCに申告していました。
 ところが実際の捕獲数は、06年度以降捕獲枠に達していません。ミンククジラは05年度こそ853頭でしたが、06年度は505頭、12年度はわずか103頭にとどまっています。
 一方ザトウクジラはオーストラリアの猛烈な反対に及び腰となり1頭も捕獲しておらず、ナガスクジラも捕獲枠50頭に対し、捕獲頭数は1~2頭となっています。
 日本が捕獲数を毎年減らしている理由はオーストラリアやSSの反対というよりも国内の需給調整のためです。国内の鯨肉需要は低迷しており、在庫も00年末の約1900トンから06年末は約3900トンと倍増しました。建前だけでも捕獲枠数を捕っていればデータ分析を行って科学的調査であると強弁する事も可能ですが、単に需給の関係で捕獲数に達していないわけですから商業捕鯨を行っていると批判されても仕方ありません。
 さらに加盟国1国に1議決権が与えられることに目をつけた日本政府が、海のないモンゴルや、アフリカ及びカリブ海のいわゆる小国に対し援助のひも付きで次々にIWCに加盟させ、あからさまな多数派工作をつづけてきたことも加盟各国の反感を買う結果となっていました。

2.わずか50年で鯨はいなくなった
 現在生息するクジラは80種。IWCでは過去の商業捕鯨によって激減した大型の13種を管理しており、その他の鯨類は各国及び地域で管理しています。
 クジラに大きな打撃を与えた商業捕鯨は主に17世紀ごろから欧米諸国によって行われました。当時は捕鯨技術が未熟だったため沿岸によく姿を現し泳ぎが遅く、皮脂が厚いため死んでも海面に浮かぶセミクジラやホッキョククジラが標的にされていました。しかし19世紀後半になるとノルウェーを中心に、捕鯨砲や動力船を用いた近代的鯨法が導入され捕鯨は飛躍的に拡大、これまで捕獲できなかったナガスクジラなどほとんどの鯨種を対象とできるようになりました。その結果捕鯨船はクジラを求め、世界中のあらゆる海へ進出し、鯨類のジェノサイトが始まりました。
 わずか十年ほどで、太平洋、大西洋、北極海のクジラが大幅に減少し、それでもクジラを求め1904年にはノルウェーが初めて南極海へ向かいました。1930~31年にかけては史上最多の捕鯨船団が南極海に繰り出し、ノルウェー、イギリス、アメリカ、南アフリカ、アルゼンチン、デンマークの計41船団が競い合って37000頭あまりのクジラを捕獲し、60トンに及ぶ鯨油が生産されました。日本は1934年から南極海での捕鯨に加わり、最盛期の1962年には約22万トンの鯨肉を市場に放出しました。

3.鯨類保護の動き
 世界の国々があらゆる海でクジラを求め、大規模な母船式捕鯨によって根こそぎクジラを取っていく底なしの乱獲を繰りかえしたため、南極海以外のセミクジラとホッキョククジラは絶滅寸前となりました。そして1935年セミクジラは全世界で捕獲禁止となり、1946年クジラの資源管理を目的とする国際捕鯨条約が締結されることになりました。
 さらに1948年にはクジラ資源を国際的に管理し、生産過剰で市場価格の暴落を防ぐため捕鯨国同士で捕獲量をコントロールしようとIWC(国際捕鯨委員会)が設立され、捕獲規制が設けられました。しかしこの規制は捕獲頭数枠を決め、総枠に達した時点で終了するという早い者勝ちのいわゆる「捕鯨オリンピック」といわれる制度でした。しかも大型のシロナガスクジラを基準とした換算制度を設けたため、鯨油を目的にしていた欧米の捕鯨船団は効率のよい大型のクジラを集中的に乱獲し、制度の誤りに気付いたときには大型鯨種のほとんどが絶滅の危機に直面してしまいました。
 そのためIWCは1962年にはシロナガスクジラ、ナガスクジラの捕獲禁止を打ち出し、オリンピック方式の規制も国別枠を設ける方式に変更しましたが、時既に遅し、南極海のクジラも減少し商業捕鯨が成り立たない状況に陥っていました。つまりクジラはもう世界中の海で捕り尽くされてしまっていたのです。
 1960年代後半になると、欧米では自然保護運動の高まりが無視できない存在となり、これまでの鯨類資源保護という視点が、クジラそのものの保護へと向かうようになっていきました。そして1972年の人間環境会議で、商業捕鯨を10年間禁止する決議がなされるに至りました。こうした自然保護運動の流れの中で、IWCは、1982年すべての商業捕鯨を凍結する「商業捕鯨モラトリアム」を採択せざるおえなくなりました。この決議の時日本政府は異議申し立てを行いましたが却下され、モラトリアム開始の翌年1987年からは「調査捕鯨」の名目で捕鯨をつづけ現在に至っています。

4.調査捕鯨という欺瞞
 現在捕鯨を行っている国は日本とノルウェーとアイスランドの3カ国だけです。ノルウェーは商業捕鯨モラトリアム決定に異議を申し立て、1993年から自国の沖合いでミンククジラの商業捕鯨を再開しました。一方日本政府は、IWCで認められている科学調査目的で捕鯨を継続していますが、実態は商業捕鯨そのものであるためIWCにより再三中止が要請されてきました。
 一昨年までの日本政府の調査捕鯨の年間捕獲数は、ノルウェーの商業捕鯨の倍近くであり最大の捕鯨国となっています。さらにノルウェーが商業捕鯨とはいえ 自国沿岸でミンククジラを捕獲するに留まっているのに対して、日本政府は科学調査の名目で南極海に唯一進出し、頭数、対象種ともに拡大して捕鯨をつづけてきました。
 なおWWF(世界自然保護基金)は日本政府の調査捕鯨に対して、1940年代の科学を用いて研究を行っていると非難し、調査捕鯨はクジラを殺戮することなく可能であると科学的に論証しています。

5.激減する魚
 海における乱獲はクジラだけではなく、現在の漁業でも大きな問題となっています。かつて無尽蔵と考えられていた世界の漁業が今や危機的状況となり、世界の捕食魚の90%が20世紀後半の50年間で姿を消したとされています。
 20世紀に入り、急増した世界の漁獲量は1986年以降8500万トンから9500万トンの間で推移しており、1988年以降、年換算約66万トンずつ減少しています。漁船の大型化と高馬力化、漁具の改良、航海技術や魚群探知技術の向上などによって、より多くの魚が捕れるようになったことが海洋資源の回復力を損なっています。繁殖力の高い卵生の魚類でさえ、成長を待たずに捕らえられるような乱獲が続けられたことによって危機的状況にあります。今や海洋全体の生態系を人間による乱獲から守らなければならなくなっているのが現実です。
 IWCは設立当初は鯨類保護に重点を置いていたとは言えません。しかし、2003年のベルリン総会においてはクジラを保護するための保全委員会が設立され、鯨種の保全へと方向を転換しました。クジラやイルカは捕鯨以外でも混獲により、年間30万頭が死んでおり、その他海洋汚染や気候変動など人間がクジラに与えている影響ははかりしれなません。

6.クジラたちを救おう
 クジラは人間に非常に近い哺乳類です。大型のシロナガスクジラは3~4年に一度、小型で繁殖力の比較的高いミンククジラでも1年に一度しか妊娠・出産しない極めて繁殖力の弱い生き物です。
 ここまで鯨類の生息数が少なくなってクジラたちは本当に生き残ることができるのでしょうか?例え生き残ることができたとしても、乱獲で絶滅の淵にまで追いやられたクジラたちの回復には100年単位の年月を要する事は言うまでもありません。
 今やっと、世界中がクジラの絶滅を防ぎ、生息環境を保護するために歩みだしたなかで、日本政府だけが再びクジラたちの絶滅へ向かう歴史を繰り返そうとしています。国際司法裁判所ICJの判決後も、日本政府は北西太平洋で調査捕鯨を行おうとしています。南極海で断罪された調査捕鯨が、北西太平洋で許されるとは到底思えません。果たして世界中の反対のなかで、私たち日本という国にクジラたちを永久に地球上から消し去ってしまう権利があるのでしょうか。
 私たちの生活には有り余る動物性たんぱく質があり、コンビニで毎日捨てられる弁当は300万食に上っています。鯨を食べる日本の食文化とは一体なんでしょう?
 エスキモーと総称される北方地域の先住民には鯨肉食の文化があります。現在IWCは先住民生存捕鯨でのホッキョククジラやコククジラの捕獲を認めています。カナダの先住民イヌイットは20世紀以前はホッキョククジラを最重要の食料資源としていました。現在もクジラやイルカの皮下脂肪付きの皮の部分をマクタックMuktukと呼んで珍重し、最高のご馳走とみなしています。
 果たして日本人に、エスキモーやイヌイットのようにクジラを重要なタンパク源として何世代にも渡って守り継いできた食文化があるでしょうか?
 現在の私たちのアイデンティティは、犬を食べる中国人を、チンパンジーを食べる中央アフリカの人々を決して快くは思いません。それと同じように世界の人々は、クジラを食べる日本人を理解しがたい野蛮な国民として見ているのです。
 そもそも伝統的な鯨漁は沿岸漁業であり、津本陽の小説「深重の海」の舞台になった太地の鯨漁は南極海で行う鯨漁と根本的に違うものです。しかも現在太地町の漁師は24人、つまりほんの二十人余りで行われている漁が「日本の伝統的な漁業」としICJ裁判の答弁書とされた事は論理のすり替えとしか言いようがありません。
 さらに鯨と文化を結びつけてナショナリズムを誘導した日本政府の手法は「水産庁+鯨類研究所+共同船舶」のいわゆる「捕鯨トライアングル」の官僚利権を隠蔽する国民への背信でしかありません。そして日本政府が持ち出す国益とは、24人で行われる「伝統漁業」がいかに世界中で日本のイメージを損なわせているのかを考えれば、果たしてどこにあるのかは明白です。

 血を流し痛みに耐えかねて泣き叫ぶクジラたち、家族を守るために進んで網にかかろうとするクジラたち。私たちに、絶滅に瀕しているクジラたちを世界中の非難の中で捕獲し殺戮し食べつづける必要がどこにあるのでしょう。
 およそ5000万年前に陸上から海に還り、3000万年前には超音波による探知能力を発達させ、さらに深海へ潜る能力を獲得したクジラたち。その比類なき能力は、今私たちと共に生きているクジラたちに連綿と受け継がれています。地球上で最も大きな動物であり、哺乳類の中でも人間に極めて近いといわれているクジラたち、そのクジラたちをこれ以上殺戮することをやめ、今こそ絶滅の危機から救いだす事が私たちに課せられた責任ではないでしょうか。そしてそれは数千万年に渡って進化してきたクジラたちをたった百年余りで絶滅の淵に追いやってしまった私たち人間の義務でもあると思います。