マヤーク、ロシア語で灯台という意味だ。
 マヤークは、ウラル山脈東麓のチャリャビンスクから150km北西にあるオジョルスクのコード名だ。オジョルスクは人口86,000人、マヤーク原子力プラントがある秘密閉鎖都市で、旧ソ連時代は地図上から完全に消された街だった。そしてマヤークは、1946年から1990年まで5基の原始炉が閉鎖されるまでプルトニウムを生産しつづけ「核の灯台」と呼ばれていた。
 十年ほど前、マーク・ハーツガードのマヤークルポルタージュを読んだ時、放射能の怖さと、ソ連政府への怒り、そして何の情報も与えられずに棄民のように打ち捨てられていった人々に同情の念を禁じ得なかった。つまりその時、私にとってハーツガードの渾身のルポルタージュは、世界のどこかでいつも起きている理不尽で過酷な出来事でしかなかったのだ。

 マヤークでは、広島・長崎の原爆投下以来、史上最大の核の事故が起こった。三度に渡った大惨事は、チェルノブイリを上回ると言われている。しかしマヤークがチェルノブイリと決定的に違うことは、その大惨事がメディアに取り上げられることがなかったことだ。当然この大惨事を知る人は世界中で誰もいなかったし、知っていたのはKGBとCIAの諜報機関だけだった。こうしてひた隠しにされたマヤークの大惨事は外の世界だけではなく、大量の放射線に曝された何十万人に及ぶ地元住民にも一切知らされることはなかった。

 ソ連は、1949年にマヤーク原子力プラントで最初の核兵器を製造した時から1956年までの7年間、原子力プラントで発生する放射性廃棄物を近くのテチャ川に直接流していた。その結果、下流の何万人もの住民が放射線を浴び、被曝量はチェルノブイリ周辺住民の4倍と言われ、なかでも強烈に被爆した28,000人の平均被曝量はチェルノブイリの57倍に達した。そして何も知らされないまま住民は、汚染が始まった4年後の1953年までテチャ川の水を生活用水として使いつづけた。これがマヤーク最初の悲劇だった。
 二度目は「ウラルの核惨事」と呼ばれた大惨事だった。
 1957年9月29日、放射性廃棄物の投棄場が爆発し、70~80tの放射性廃棄物が空中にまき散らされた。
 この核の投棄場は1953年にテチャ川への直接投棄をやめる代替施設として建設されたが、冷却装置の不具合から核廃棄物は徐々に熱を帯び、摂氏350℃に達した時に大爆発を起こした。
 この時放出された放射能の総量は2,000万キューリー、放射能の90%はすぐに地面に戻ったが、残りの200万キューリーはチャリャビンスク一帯に広がり大気と水と土壌を汚染した。その結果27万2,000人が0.7レムの放射線を一瞬で浴びることになった。
 そして三度目の惨事は1967年に発生した。マヤーク当局者はテチャ川に放射性廃棄物を投棄することができないと悟った後、投棄場ができるまでの間近くのカラチャイ湖に廃棄物を流していた。マヤーク当局者は、カラチャイ湖に水の出口がないため水系を汚染することはないと考えていた。
 こうしてカラチャイ湖には1億2,000万キューリーというすさまじい量の放射線が蓄積され、チェルノブイリで放出されたおよそ100倍のストロンチウム90とセシウム137が湖に吸収されていた。
 ところが干ばつで湖が干上がった時、運悪く大きな竜巻が湖を襲った。竜巻は死を招く枕泥を空高く巻き上げて辺り一面に放射性物質を撒き散らした。その結果、390万ヘクタールに渡って500万キューリーの放射線が降り注ぎ、50万人が被爆することになった。

 ソヴィエト当局はマヤーク核災害の記録を徹底的に隠蔽した。チャリャビンスク保健所は、放射線が40年に渡って住民を被爆させてきたことはもとより、放射線の存在さえ住民に知らせることを禁止した。かわりにソヴィエト当局は、被曝患者をABC病と名付け「弱った植物症候群」と意味不明の診断を下した。
 チャリャビンスク生物物理学研究所のミラ・コッセンコ医師はこう述懐している。
「どこが悪いのかと患者に聞かれた時、私はただ、血液の具合が良くないとだけ答えました。放射線病と診断することは、国家の秘密を暴くことになりました。もしその通り語っていたとすれば医師免許の剥奪と懲役7年の監獄行きです。」
 そしてマヤークの大惨事が世界中に明らかになるにはゴルバチョフレポートを待たなければならなかった。
 1986年から始まったグラスノスチによりマヤークの悲劇はようやく世界中の人々の前に明らかになった。国家は、そして権力を握る為政者は、自分たちに都合の悪いことは必ず隠そうとする。それはどの時代であっても、どの国であっても、どんな政治体制であっても同じことだ。それは歴史が証明している。そしてその犠牲となるものは名もない国民一人ひとりだ。

 何と酷似していることだろう。
 福島第一原発の事故、なかでも汚染水問題で世界中に発した安倍首相の発言が、マヤーク災害とあまりに酷似している。その上、安倍首相が国民の前に用意したものが特定秘密保護法だったのだから。
 安倍首相は先のIOC総会で「状況はコントロールされている」と発言した。一方でマヤーク当局者は「カラチャイ湖は隔離されており環境を汚染することはない」と断言している。
 しかしカラチャイ湖は現在でも世界で最も汚染された場所であり、湖の廃棄管周辺では数十分で人が致死量に達する放射線が検出されている。福島第一原子力発電所はカラチャイ湖とまったく同じ状況だ。そして安倍政権は、旧ソ連と同じように情報を国家秘密として徹底して管理隠蔽しようとしている。
 今こそ私たちは、歴史に学ぶことが必要だ。地球上から葬り去られようとしたマヤーク大惨事は、グラスノスチ情報公開によってやっと明らかになった。どうして今、福島第一原発事故の起きた日本で悲劇を隠蔽する必要があるのだろう。
 私たちは、起こしてしまった悲劇を悲劇として率直に認め、すべての事実を歴史の前に明らかにしなければならない。そして私たち自身の責任として事実を共有し、将来に真実を残していくことこそがフクシマを人類のサクリファイスとしないことなのではないだろうか…。