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 親しい友人に「あなたは典型的な日本人の美徳持ってるね」って言われることがある。
 仕事を休んだことはないし、時間に遅れることもない。休むどころか一年の内会社に行かなかった日は多分三日程しかない。
 去年から始めたランニングも雨が降っている以外はどんなに疲れていても毎日走っている。つまり勤勉なのだ。

 憲法改正の議論が喧しい。改正の法的問題はともかくとして改憲側の言葉の中に「日本人の…」等という情緒的な言葉が度々聞こえてくる。
 例えば「公序良俗」だ。
 公の秩序とは国家あるいは社会における秩序のことだ。善良なる風俗とは社会における一般的な道徳観念をいう。戦後の「行きすぎた個人主義」に対して優先するものが公序良俗ということだ。
 例えば「淳風美俗」だ。
 素直な気風、美しい風俗を意味する言葉だ。戦前まで日本の立法、国民教化政策、労働政策の重要な指針となった言葉だ。
 公序良俗と淳風美俗、この二つの言葉が、正に日本人の守るべき道徳であり、日本人の持ってしかるべき美徳であるとし、それを憲法理念とする、そんなところだろう。
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 学生の頃警察で取り調べを受けたことがある。
『国籍は?』と問われ『世界です』と答えると『舐めんじゃねぇ!』としたたか殴られたことがあっ た。
 そんなことがあってから四十年。果たして国の根本規範としての憲法にまたぞろ戦前の道徳観を持ち出してどうするというのだろう。
 EUでは国を超えた「憲法」がリスボン条約として結ばれている。確かに金融危機等問題も多いかも知れない。しかし今世界は、人も金も、情報も全てがグローバルになっている。それを今更ナショナルな枠内に留めようとしても歴史が後戻りすることはないだろう。
 今私たちは新たな脅威に晒されている。金融危機や感染症やテロや温暖化。こうした私たちの目の前にある脅威はグローバルなものでありとても一国で解決しうるものではない。果たして狭隘なナショナリズムにどれ程の力があるのだろう。そんな議論がいまだに敗戦を引きずる日本的ルサンチマン のような気がしてならない。
「典型的な日本人の美徳」を持ったわたしは連休のさなかもそんなことをつらつら勤勉に考えている。

tokkuns.