■人間は動物から創造されたと考えるのが真実であると私は思う。
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 私がこの二年あまり一番多く目にした人物はチャールズ・ダーウィンだ。ダーウィンは1809年イギリスに生まれた博物学者だ。1859年「種の起源」の中で表わした進化論によって、少なくとも過去2000年にわたって支配してきた二元論的哲学を崩壊させた。それは人間は神の形をした特別な創造物ではなく、他の生き物とまったく同じ起源をもった単に一つの生き物にすぎないということ、そして地球上のあらゆるものは神から人間に与えられたものではないということでキリスト教的世界観を葬り去った。進化論によって人間を含めたあらゆる生き物は地球を形作るものの一部分となり、一元論的哲学の支柱となった。今では当然のように思われる進化論も当時にあっては議論することさえはばかられることだ った。
 ダーウィンは1835年ガラパゴス諸島への長い冒険の旅の後に到達した『傲慢な人間は自分たちのことを神が創造された偉大な作品で、神の介在者としての価値があると考えている。しかし、もっと謙虚にいえば、人間は動物から創造されたと考えるのが真実であると私は思う』という結論を発表するまでに20年という歳月を必要としている。ダーウィンは逡巡していたのだ。叡知をもった人間が野山を駆け回る獣と同じであるということに。しかしそのダーウィン自身、自分の到達した地平に畏れを抱いていたのではないだろうか。ビーグル号で世界を巡ったダーウィンは、「種の起源」を発表する前、およそ10年間フジツボの研究に没頭した。多分その時ダーウィンの頭の中には自然選択という革命的な考えが 渦巻いていたはずだ。その天地がひっくり返るような考えを公にするのに畏れを抱き、研究室にこもってフジツボを見つめつづけていたのではないだろうか。それはダーウィンが種の起源については言及したが、生命の起源については『生命の創造は神に任せよう』という言葉に表わされているように思う。

 進化とは何だろう。すべての生き物は偶発的変異による自然選択によって進化してきた。昆虫類、魚類、鳥類、哺乳類、その種の如何にかかわらず自然選択というメカニズムが多様な発達を支えてきた。
 鳥に狙われる昆虫は様々な進化を遂げることで身を守り種を維持してきた。その一つにアマゾンに青春を捧げたヘンリー・W・ベーツが明らかにした擬態というシステムがある。登場人物は捕食者である昆虫食の鳥、毒があって食べられない昆虫、毒のある昆虫に擬態する毒のない食べられる昆虫の三者である。この場合の昆虫は蝶であったり蜂であったりする。まず鳥は一度毒のある蝶を食べると学習して二度と同じ蝶は食べなくなる。苦い経験をした鳥は食べられる蝶だけを探し始める。つまり鳥は蝶の中から食べられるものと食べられないものとを選択するのだ。これで毒のある蝶は一安心、一人の尊い犠牲で皆の命が危険に晒されることはなくなったのだ。毒のある蝶は幼虫の時に有毒植物を食べて成 長し毒を体内に蓄積してきた努力がやっと報われたのだ。そして自分たちが鳥からすぐに見つけられ、毒のない蝶と簡単に見分けがつけられるように色鮮やかで目立つ色彩をしている。これは菌類の美しいキノコに毒があったり、見目麗しい女性には用心した方がいいのと同様だ。しかし毒のない蝶が鳥に食べられつづけるのかというとそうではない。毒のない蝶は毒のある蝶の外観を模倣しはじめる。これが擬態というシステムだ。こうして毒のない蝶は毒のある蝶に外観を似せて進化する。毒のない蝶における自然選択は、ある時毒のある蝶に似た毒のない変異固体の蝶が生まれることで、毒のある蝶に似た固体が鳥に食べられずに生き残っていく。つまり鳥に狙われる蝶は食べられてその個体数が減ってゆき、 変異固体であった蝶は生き残ることでその形質が子孫に伝えられていくのだ。しかし話はこれだけでは終わらない。毒のある蝶に擬態した毒のない蝶が増えてくると、鳥にはもう見分けがつけられなくなってくる。するとルイヴィトンのように偽物を告発する手段を持たない毒のある蝶はまるまる著作権を侵害されている。そして何とか偽物と手を切ろうと自らの外観を変えようとする。また捕食者の学習がより簡単になるように異なった種間で統一した毒印のブランドを作るような収斂進化もある。有毒種がその種の如何にかかわらず毒をもっているという一点だけで結集するのだ。こうして進化は自然選択によって進められてゆく。
 ヒトにおいて自然選択はあるのだろうか。最もよく知られる例示に鎌状赤血球貧血症という病気がある。
 鎌状赤血球貧血症は血液中の酸素を輸送する役割を持つヘモグロビンが異常な現象を起こす遺伝性の分子病である。生物科学者ハーバート・ストライヤーが詳細に研究し、鎌状赤血球貧血症は黒人にしか発症しないことが分かった。原因はヒト赤血球のHbAというヘモグロビンAがHbSというヘモグロビンSに変わっていることによる。HbAとHbSの違いはたった一つのアミノ酸で、このHbSのアミノ酸は可溶性が小さく溶けにくいことで繊維状の沈殿物となり赤血球を鎌状に変形させる。すると血管の中を心臓から自由に運ばれていた赤血球が鎌状になり、細い血管の中に詰まって血液循環に障害を起こすことになる。鎌状赤血球貧血症の遺伝子を一方の親だけから受け継いでいる子は病気を発症しないことがほとんどで あるが、発症すれば致命的な病気となる。アフリカのある一定の地域では人口の40%にも及ぶ人がこの鎌状赤血球貧血症の遺伝子を持っている。こんなことは起こりえないはずだ。何故なら若年齢に致命的な犠牲者を出す鎌状赤血球貧血症は自然選択により消滅していくはずだからだ。つまり鎌状赤血球貧血症の遺伝子を持った人が若くして死んでゆくことでこの遺伝子を持つ子孫が少なくなってゆきやがて消滅するという自然選択が起きるはずだ。この疑問に答えを出したのは人にとって最も危険な熱帯熱マラリアだった。一方の親から鎌状赤血球遺伝子を、もう一方の親から正常な遺伝子を受け継ぐと熱帯熱マラリアにかかる機会が大きく減少することが分かった。熱帯熱マラリアはプアスモディウム・ファルシ パルムという寄生虫によって起こり、この寄生虫は正常な赤血球の中で増殖する。しかし鎌状赤血球は寄生虫に好ましい環境を与えず、その結果まず寄生されることはない。つまり鎌状赤血球を持った人は熱帯熱マラリアにかからない結果、本来自然選択によって消滅してゆくはずの遺伝子が、より強力な自然選択によって生き残ったのである。これはヒトの集団の中でいくつかの遺伝子が存在するという多様性が平衡状態を保って存在しているという典型的な例だ。マラリアに感染する機会のないアメリカ合衆国ではアフリカ系アメリカ人の鎌状赤血球遺伝子を持った割合はアフリカよりはるかに低く、アメリカでは文字通り自然選択によって更に減少してゆくはずだ。

■はるか太古の時代から連なる一本の生命の糸。
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 遺伝子、頻繁に耳にする言葉だ。一体遺伝子とは何なのだろう。ダーウィンが進化論においてすべての生き物の起源の単一性を明らかにして以来、生き物を分解し、たどり着いたところが生物の斉一性である。生き物の構造をどんどん分解してゆくことを還元主義という。還元主義は近代科学のたまもので、分子生物学と1970年代に入って登場した遺伝子工学によって言葉では言い尽くせないほどの地点に到達した。その結果生物の斉一性は、地球上に存在する生きとし生けるあらゆる生物は大きさ、形態、環境がどのように違っても同一の分子で構成されていることが明らかになった。すなわちミミズであろうがゴキブリであろうがネズミであろうがスズメであろうがワシであろうがゾウであろうがライオン であろうが、そして人間であろうがすべて同じ分子によって形作られていることが分かった。ミミズと人間の見た目がどれほど違っていても同じ分子、そして同じ遺伝子によって形作られているということだ。
 さてそこで遺伝子だ。多細胞生物にはどの体細胞にも核が一つあり、その中に一組の染色体がある。染色体はDNAで構成されておりその中に遺伝情報が組み込まれている。ワトソンとクリックがDNAは二重らせん状の三次元構造をしていることを明らかにした。DNAにはヌクレオチドという塩基が鎖のように連なっており、A-アデニン、C-シトシン、G-グアニン、T-チミンの四つの塩基で成り立っている。このA、C、G、Tの組み合わせは、アデニンがチミンと、シトシンはグアニンと必ず組み合うようになっており、これを塩基対合則という。だからアデニンが一方の鎖にあれば、もう一方の鎖にはチミンがある。そしてA-Tは水素結合され、鎖を作っている縄はリン酸基と糖分子で作られている。
 細胞が分裂すると同じ情報がコピーされ、同じDNAが正確に受け継がれる。タンパク質はアミノ酸の鎖でできており、DNAはタンパク質のアミノ酸配列の情報を暗号化し、合成されたタンパク質はアミノ酸の構成によってそれぞれ違った構造と性質を持つ。DNAの一つの鎖の三つの連続した塩基の組み合わせをトリブレットといい、全部で20種あるアミノ酸に対応した暗号となっている。アミノ酸を集めてタンパク質を合成するのは核ではなくその回りの細胞質で行われる。核にはタンパク質合成の遺伝情報がしまい込まれているが、実際の合成は細胞質で行われる。核DNAのヌクレオチド鎖に暗号化された情報は、メッセンジャーRNAによってコピーされ、その後で細胞質に移送される。細胞内にはRNAとタンパク質で構 成されたリボソームという小器官がありタンパク質合成の主要な役割を担っている。このリボソームがメッセンジャーRNAに指令を送ると、メッセンジャーRNAはその暗号にしたがってアミノ酸を集めはじめタンパク質に合成していく。その際トランスファーRNAが暗号に対応するアミノ酸を運んでくる。そしてこの遺伝暗号はすべての地球上の生物で全く同じであり、種とは無関係に三つのヌクレオチドの配列は常に同じアミノ酸に翻訳されることになる。つまり遺伝子とは全く同じものをコピーし作り上げていく情報の源、特定のタンパク質を作る情報の単位なのだ。
 さらに進化の長い過程を通じて分子の遺伝情報の認識部位はほとんど変化していないことが分かっている。進化の過程においてタンパク質を合成する暗号、認識部位は種の限りない多様性にもかかわらずほとんど不可侵と思われるほどに変化していない。地球上のほとんどすべての生き物においてそれは同一であること、つまりこのことは分子間の相互作用の特性は進化の過程を通じても維持されなければならないものであったということだ。
 生科学的には進化における突然変異の役割は二次的にしか関係しない。進化とはDNAの複製と、DNAのそろえ直しによることになった。進化の内部には不可侵性を持つ認識部位、つまりアミノ酸配列情報を持つDNAが他のDNA断片を自由に交換しながら作り上げていくのである。つまり全く同じDNAを使って無限とも思える多様性を持った生き物を、形態的に似ても似つかない生き物を作り上げていくのだ。そして驚異的なことはこの不可侵性を持つDNAは5億年以上に渡る進化の過程の中で全くの同一性を保ってきたということである。このことは一方で進化がそして生物の多様性が遺伝子の突然変異によって起こるのではなく、遺伝子の突然変異が酵素に変化をもたらし、それが胚の発生を変容させ、その結果種の形態 と行動を変えてきたということを明らかにした。そしてそうして生まれた多様な生物に自然選択が働くことによって、特定のタンパク質構造を持った生物が遺伝情報を受け継ぎ生き残ることになっていったのだ。
 例えばショウジョウバエの身体の前後軸を決定するホメオティック遺伝子はカエル、マウス、ヒト、ナメクジウオ、ヒル、線虫、ヒドラというすべての動物において同じ遺伝子群が発見された。そしてこの遺伝子はどの生物でも細胞の位置を、その動物の前後軸にそって決定する同じ役割を果たしていることが分かった。しかもハエの体内に相同のマウスの遺伝子を入れると、その遺伝子はハエを作り上げた。そして驚くことにハエの遺伝子のしかるべきところにヒトの遺伝子を入れても完璧にハエを作り上げたのだ。つまりハエの身体構造を決定する遺伝子とヒトの身体構造を決定する遺伝子が同じものであるということだった。更にホメオティック遺伝子(哺乳類ではホックス遺伝子)だけでなく、相互に連 携する遺伝子システム全体が染色体の同一部分上にあったのだ。ヒトにあってこの遺伝子システムは、胚の内部で時間的にも空間的にも正確に働くことによって、脊椎、肋骨、筋、交感神経、中枢神経の構造を決定する最も重要なものだ。それがすべての動物において同じだったということはまさに驚嘆すべきことだった。
 この想像力をはるかに超える発見は何を意味するのだろう。胚発生のプロセスの違いと無関係に、すべての生物において座標軸を決定する同一のシステムがあるという事実は、地球上に生を得たすべての生き物の共通の先祖に既に同じものが存在していたことを意味している。そしてその時間は6億年にまで遡る。
 冒頭に人間の生の時間軸と地球の歴史の時間軸を比べることにどんな意味があるのだろうと書いた。しかしここでまたしても6億年だ。これは論理矛盾だろうか。
 私たちの身体の根底には生き物として例えようのないほどに長い時間受け継いできたものがある。それは私たちがヒトとなるはるか太古の時代から連なる一本の生命の糸のようなものだ。地球上に生命が生きることのできる環境は極めて限られたものだ。27億年前に光合成系の植物が誕生することで海洋と大気の酸素が増大し、地球上の温度と酸素濃度が多様になっていった。増加した酸素は生物を酸化するため、21億年前に生物は二重の細胞膜で身を守るように進化した。10億年前増加した高濃度の酸素は生物の大型化を促し、5~6億年前には酸素濃度はほぼ現在に近い状態となった。やがてオゾン層が作られ、その結果紫外線を恐れることがなくなった生物は大挙して陸上へと進出していった。そしてその瞬 間から現在まで、私たちの身体に流れているものが一本の生命の糸なのだ。地球上の生きとし生けるものはそうした共進化の中で生まれ今を生きている。

■たった一本の雑草がなくなっても、地球は苦しむのではないだろうか。
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 いなくなってしまったヴィクトリア湖のフル、ニックとマスの二つの心、ブラッド・ピットが帰っていく川、クォオメンの両手の中にある人生としてのマス、開高が誇らしげにかかげているブラウントラウト。そこから話はダーウィン、進化、擬態、自然選択、鎌状赤血球、遺伝子、DNAと広がっていった。そしてその広がりは生物の斉一性という一点に収斂する。すなわち地球上のすべての生き物は、私たちが思ってきたよりもはるかに近しい存在であるということだ。そこにはヒトもジャイアントパンダもイヌワシもフナもミミズもチョウもアリもなく、地球上に生を得た生き物として何ら隔てるものはない。だからこそダーウィンはいつもこんなメモをポケットに入れていた。『絶対に、"より高等"である とか、"より下等"であるとかといったような言葉を使うな』と。
 ダーウィンが「種の起源」を発表して間もない1864年アメリカでは南北戦争が始まろうとしていた。ジョン・ミューアはウィスコンシン州の自宅から出発してヒューロン湖北部の原生自然を歩いていた。薄暗い沼地を歩いていたミューアの前に突然白いランの群生が広がっていた。ミューアは白く美しいランの傍らにひざまずくと、そのあまりの美しさに涙を流したという。そしてその時の経験を『原生自然に群生しているランは人間の存在にはまったく何の関係もなかった』と述懐している。ランはミューアが見つけることがなかったら、誰にも見られることなく生きつづけ、花をつけ、枯れて、死んでいったと思った。ミューアはその時『たった一本の雑草がなくなっても、地球は苦しむのではないだろう か』と、そして自然を尊敬するためには人間も斉しく神によって創造された共同体の構成員として自然を認識すべきであると結論した。ミューアの自然観は人間と自然を二元的にとらえるキリスト教的世界観に一石を投じた。その後ミューアは原生自然の保護をカリフォルニアのハイ・シェラで実践し、その理想は1890年にヨセミテ国立公園の誕生として結実した。更にミューアの理想は現在シェラ・クラブの名で世界的な環境保護団体として活動をつづけている。
 ミューアはアメリカの原生自然を歩くことで、人間と自然との関係を環境哲学にまで高めていった。そしてミューアの哲学の導きの糸となったものがダーウィンの進化論だった。19世紀中庸、知性の先端では、人間と自然との関係を二元論的呪縛から、科学的、実証的、哲学的に解放しようとしていた。ミューアの語った言葉はダーウィンの言葉と何とにていることだろう。
『人間は偉大な創造物のなかのささやかな存在にすぎないのに、何故それ以上の価値を自分自身におくのだろうか。』そして『地球上のすべての生き物は存在する権利をもち、この権利はいかなる生き物にも平等なものである。』