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■少年だった私の想像力は一向に働こうとはしなかった。
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 私には子供の頃想像力というものがなかった。昆虫や魚と遊ぶということはなかったし、夜のうちに庭の木に砂糖水を付けてカブトムシが来るのが待ち遠しくて朝早く起きるなんて事は夢にも思わなかった。まだ回りに自然はいくらでもあった。家の庭に大きな木があった。果たして何の木だったのだろう。玄関先には葡萄の棚が作ってあった。夏の終りには甘い葡萄がたくさんなった。
 少年の頃、今から40年以上前のことだ。少年だった私の小さな世界の中には田んぼも畑も池だってあった。夏になると池にトンボを獲りに行った記憶がある。タモを持って捕まえるトンボはほとんどがシオカラトンボだった。シオカラトンボの2倍もあるヤンマはなかなか捕まえられなかった。『ヤンマ、メロメロー』というメローなのかどうか分からない掛け声をかけていた。しかし私の勇気はシオカラトンボ止まりで、とても大きなヤンマを捕まえる勇気はなかったからちょうどいいといえばそれで良かったのだ。捕まえたトンボに糸を結んで飛ばしながら走った。そのうち糸を結んだところからトンボの胴体はちぎれてしまった。私はトンボに糸をつけることも、トンボの身体がバラバラになることも恐 かった。田んぼにいるザリガニも恐かった。捕まえようとすると大きなハサミで威嚇しながら後ずさりするザリガニをとても手で捕まえる勇気はなかった。夏祭りの夜店の金魚すくいですくった金魚の餌にミジンコを取るのも気味悪かった。家の前のドブにミジンコがいっぱいいた。水は澄んでいた。糸のような赤いミジンコが水の流れの中でゆらゆら蠢いていた。
 私はそんなに弱虫だったのだろうか。今だったらイジメにあうような子供だったのだろうか。多分弱虫だったことには違いない、しかし友だちにイジメられるようなことはなかった。私には自然と自分という存在が同じ世界で生きているという感覚がなかった。生き物から出る体液や血に触れることが薄気味悪かった。私の世界はそろそろ出始めた漫画週刊誌のサンデーだったりマガジンだったりした。スピットファイヤーやメッサーシュミットやムスタングや鍾馗や雷電や紫電改も大好きなものだった。プラモデルを並べて空中戦をしていた。すぐそこにいる昆虫や、池にいるフナや、田んぼにいるカエル、そんな生き物に対して少年だった私の想像力は一向に働こうとはしなかったのだ。
 私はここ数年判断不能の状態だった。破壊されてゆく自然、60億にまで達した人口、絶滅してゆく動植物、飽食と大量消費それと表裏の飢餓と貧困、生命科学、遺伝子工学、臓器移植、それらをどう判断したらいいか分からなかった。それは今まで私が培ってきた想像力を超えたものだったのだろうか。
 一年前私は「僕がマルクス主義をすてた理由」という稚拙な評論を書いた。それを書くことで自分自身の立っている場所を明らかにしようとした。冒頭でヒトの誕生を宇宙の時間軸の中で捕らえることでいかに環境に対する人間の存在が小さいかを表現した。一年たった今その表現がどれ程の意味を持つのかが分からなくなった。200億年前に宇宙が誕生し、45億年前に地球が誕生し、35億年前に地球上に生命が誕生し、やがて遺伝子が生まれ、生命が進化し、現代人の祖先が生まれたのは5万年前という生きている私たちの時間とはまったく懸け離れた時間軸をもって人間という存在を捕らえることに果たして意味があるのだろうか。確かにその時間は科学としての客観性を持っているかも知れない、しかしだか らといってそれはどのように悪あがきしても100年という人間に与えられた命の時間軸とはあまりに途方もない無意味なもののように思えてくる。環境と人間を考える時、人間に与えられた生という時間と見合った中で問題を捕らえていかなければ結局その比喩はステレオタイプのいかにも胡散臭い道徳性のアドバルーンにしかならないのではないのだろうか。 

■一度破壊された生態系をもとに戻すには人間の力はあまりに小さい。
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 オランダの生態学者ティス・ゴールドシュミットがビクトリア湖でのフィールドワークの中で進化理論の検証を行なった。そしてヴィクトリア湖に無数といっていいほどの生物量を維持していたハプロクロミス属シクリッド類のフルという体長10cm程の魚が、たった一人の人間がバケツの中に入れたナイルパーチをヴィクトリア湖に放したことで1万数千年に及ぶ生命の連鎖、自然選択という進化に止めを刺したと語っている。それはこんなことだ。
 ヴィクトリア湖は赤道直下、周囲をウガンダ、ケニア、タンザニアに囲まれた北海道より少し小さめの熱帯最大の淡水湖である。1950年代ウガンダの漁業改善のためにイギリス人がヴィクトリア湖に食用に適した大型の魚を導入しようと考えた。その魚の餌にはいたるところにいるがやたらに骨っぽくて小さく、ウガンダ人に人気のないフルが主食になるだろうと考えた。そしてその大型の捕食性の魚にはヴィクトリア湖にはいなかった食用に適したナイルパーチという魚が選ばれた。この計画に生態学者ジェフリー・フライヤーは猛烈に反対した。その理由として湖の植物相も動物相もほとんど明らかでなく、魚類の学名も、プランクトン・昆虫などの無脊椎動物の目録もなく、複雑な食物連鎖の構造につい てほとんど分かっていない段階で人間が生態系を弄ぶのはあまりにも危険が大きいということだった。さらに外来種の導入は取返しのつかないということで最も危険であると語った。しかしこのフライヤーの警告にもかかわらずアルバート湖のナイルパーチがウガンダのエンテベに放流された。
 1985年ゴールドシュミットはヴィクトリア湖でのナイルパーチの移入は倫理的、科学的、漁業技術の点からも破滅的な結果をもたらすという論文を発表した。それは『長い共進化の歴史の中で多かれ少なかれ安定な方向に向かって動いていた生態系を弄ぶほど、いったい人々は傲慢でいられるのだろうか』ということだった。つまり食物連鎖の最上位に位置する捕食者が生物量の一番多くを占めるということは考えられない。例えばセレンゲティ平原のライオンの群れがアンテローブを食べ尽くし最後の一頭を追いかけていることはありえないのである。ヴィクトリア湖で最上位の捕食者たるナイルパーチが多くなればなるほどその餌となるフルは減少し、ある一定の限界を超えた時ナイルパーチそのものの集 団も崩壊することになる。このことはもともとあった動物相が破壊されることでフルもナイルパーチも、結局全てを失うことになる。
 生態系の中で生物は、まず一次生産者である植物は光合成の過程で二酸化炭素と水を炭素化合物に変換し植物の中に蓄え酸素を放出する。その炭素化合物にはしょ糖やでんぷんなどのエネルギーを豊富に含み、一次消費者たる生物によって食べられる。二次消費者はその一次消費者を食べ、段々と栄養段階の最上位の捕食者へとつづく。このような食物連鎖の鎖の数は5個以上になることはまずない。食物連鎖がピラミッドに例えられるのはこういうことだ。つまり水域にしろ陸上にしろ、熱帯にしろそれ以外のところにしろ、生物の新旧にかかわりなく平衡状態にある生態系では栄養段階が一段上がるごとにエネルギーの90%が失われるという。そうすると第一段階を100%とすると、第二段階では10%、第三段 階では1%しか残らないことになる。このように急激に減少するエネルギー量はピラミッドの形となり、最上位の捕食者は例外なく大型で生息数が少なく他の生物に捕獲されることはない。そのため元来個体数が少なく、環境の影響を最も早く受けやすい、マウンテンライオン、シベリアトラ、イヌワシ、セミクジラというような食物連鎖の頂点の大型捕食獣は、現在ほとんど例外なく絶滅危惧種となっている。
 ゴールドシュミットがオランダに帰ってから3年後の1989年、ヴィクトリア湖畔タンザニアのムワンザ湾を再び訪れると駅前広場はナイルパーチであふれていた。わずか3年の間にナイルパーチを巡る産業がそっくり興り切身工場、燻製工場、缶詰工場が立ち並び、ナイルパーチはケニアを経てイスラエルやヨーロッパにまで輸出されていた。タンザニアやウガンダという貧しい国にとっては、取り敢えずナイルパーチは地域産業を興し、その結果地域の人々は現金収入で生活が潤い、さらにナイルパーチは人々の重要なタンパク源となった。
 しかしゴールドシュミットの言葉を借りれば『湖は漏れていた』。まずユスリカの異常な程の増加だ。ユスリカはチャオボロス属、蚊だと思えばいいだろう。幼虫は昼の間湖底の泥の中で暮らし、夜になると湖上に上がって動物プランクトンを食べる。ゴールドシュミットがヴィクトリア湖畔を訪れた時もやのような円柱が湖上から数百メートルの高さで立ち上がっていた。それはきっと私たちが子供の頃見た蚊柱をとてつもなく大きくしたものだと思えばいいだろう。つまりユスリカを餌とする昆虫食の魚がいなくなり食物連鎖のシステムが変化していたのだ。
 3年前ムワンザ湾で漁船から一網入れると、網はおびただしい数の異なる種のフルで満たされ、その他ダガー、ハイギョ、ナマズ、ナイルティラピアと魚の種類構成は決まっていた。しかしたった3年間で無数ともいっていいほどいたフルも、ハイギョもナマズも一匹もいなかった。そして網の中にいたものは大小のナイルパーチとエビとわずかなダガーだけだった。
 少なく見積もって1万4000年、おそらくはもっと長い期間にわたって共に進化を遂げ、分化した多彩な生物群集がたった10年で信じられないくらい貧相な状態に変わっていた。これはゴールドシュミットでなくとも驚いてしまう。いや驚くというよりその状態を人間が作ったということを知れば門外漢の私でさえ暗澹たる気持ちになる。
 外来種の導入が生態系の食物連鎖に大きな影響を与えることは良く知られている。19世紀アメリカのミシガン湖を中心とした五大湖の生態系の変化がヴィクトリア湖の変化と極めて類似している。海産のヤツメウナギがイワナの種の集団を食べ尽くして生態系に壊滅的な影響を与え、その結果イワナ漁を主としていた漁業が崩壊した。そして漁業を蘇生させるために人工的にヤツメウナギを抑えることでもともといたイワナなどの魚食性の魚に回復させる機会を与えようとした。しかし現在に至っても安定した生態系の平衡状態を保つにはたえず人間の手を加えつづけていなければならない。一度破壊された生態系をもとに戻すには人間の力はあまりに小さいのである。
 ヴィクトリア湖の生態系の崩壊は以上の通りである。150種に及ぶフルの絶滅は間違いなく人間のせいである。そしてその原因はヴィクトリア湖が最貧国にあること、フルが温血動物ではないこと、澄んだ水の中ではなくよどんだ水の中を生息域にしていたこと、こんなつまらないことが原因のような気がする。その絶滅は急激な気候変動でもなく、まして巨大な彗星が湖に落ちたせいでもないのである。アメリカのテリコダム事件ではスネールダーターというフルとさほど変わらない魚のために巨大なダム建設が一度は中止に追い込まれた。長良川河口堰の建設ではサツキマスの生息域の破壊が問題となった。いわゆる先進国では環境保護運動の高まりが一定程度の環境破壊への歯止めになっていることは確 かだ。しかしアフリカの貧しい国にとって環境、ましてやいたるところにいるがやたらに骨っぽくて小さく食用に適さないフルがいなくなったとしても誰にも省みられることはない。しかしヴィクトリア湖に漁業改善と称してナイルパーチを持ち込んだのが旧宗主国のイギリスとオランダであり、しかもそれが本格的に行われるようになったのは1970年代、環境問題が既にクローズアップされていた頃というからにはイギリスとオランダの漁業関係者の責任は問われなければならないと思う。

■これから先の僕の振る舞いは、君の死にふさわしくなければならない。
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 どうして温血動物でないと人間はこうも残酷になれるのだろう。私はそれが不思議でたまらない。例えばヴィクトリア湖が最貧国にあったとしても、これが毛皮のある温血動物だったらジャイアントパンダやハクトウワシと同じように世界的な保護運動が起きたような気がする。
 フライフィッシングという釣りがある。釣りというよりスポーツという人もいるだろう。アーネスト・ヘミングウェーの初期の作品で「二つの心をもつ大きな川」というニック・アダムスが登場する小説がある。その小説の中にはアメリカ人が求めつづけるイノセントな少年時代が描かれている。大自然の懐に抱かれマスと格闘しながら自分自身を見つめてゆくニックはマス釣りをすることで少年から大人への道を歩いていく。朝日の昇った美しい川にはニックとマスだけしか存在しない。二つの違った生き物であるはずの人間とマスが一本の糸を通して互いの心臓の鼓動を確かめる。ニックもマスも大自然の中では密やかな存在でしかないのだ。心に傷をもったニックが大自然の懐の中で希望を見出してい く、そうした情景がヘミングウェーの文章で生き生きと描かれる。
 サンダンス・インスティチュートを率いるロバート・レッドフォードの映画に「リヴァー・ランズ・スルー・イット」という佳作がある。ブラッド・ピットのメジャーデビューとなった映画だ。その中で大人になったブラッド・ピットが生きることに苦悩して帰るところは、マス釣りをしたイノセントな少年時代だ。流れの中に身体を沈めながらロッドを操る映像は自然の美しさと一体となってとても感動的だった。
 私は「二つの心をもつ大きな川」を読んだ時も「リヴァー・ランズ・スルー・イット」を見た時もそこに表現されたイノセントな少年時代に憧憬を覚えた。しかし対象にされるマスに思いをよせたことは一度もなかった。私はフライフィッシングをよく知らない。だからまったく見当違いのことを考えているのかも知れないが、どうしてマスが相手だとゲーム或いはスポーツになるのだろう。フライという擬餌を使ってのマスと人間との騙しあいと駆け引き、正確にポイントに投げ入れるテクニック、かかったマスが疲れ果てるまでつづけられるダンスと言われるもの。マス釣りを巡る小説、エッセイ、映画にどこか精神性、インテリジェンス或いは都会的なスペリオリティーを感じてならない。それは竹製 のペインのフライロッドだったりハーディ・パーフェクトのリールだったりする高価な道具と、それらを積み込んで川へ向かう足はレインジローバーが定番だったりするせいだろうか。こんなことは単なる偏見なのかも知れない。しかし「板子一枚下は地獄」という漁師の世界とは思い切り趣が違うことは確かだ。そもそも漁師はリリースなんてことはしない。一度釣った魚をリリースすることの偽善性に私は到底ついていけない。
 デヴィッド・クォメンというノンフィクション・ライターがいる。ほぼ同世代の彼はリチャード・ニクソンがハイフォン港を封鎖した時、叫び声をあげてオックスフォードを逃げ出した。そして一年後にたどり着いたところがアメリカ合衆国の北の大地、モンタナだった。
 モンタナはクォメンの言葉を借りればオックスフォードから地理的にも精神的にも最も遠い場所だ。ウイルダネス、原生自然の残るアメリカでも数少ない場所だ。そこには雪を抱いた山と二つの心をもつ大きな川があった。アメリカの開拓史上の英雄カスター将軍がリトルビッグホーンでクレージーホースによって頭の皮を剥がれたところである。ニール・ヤングのバンド、クレージーホースの名前はここに由来する。ティム・オブライエンの小説「ニュークリア・エイジ」の舞台にもなっている。今ではモンタナは都会のインテリが最も憧れるところかも知れない。ロバート・レッドフォードの「モンタナの風に抱かれて」の中でニューヨークの生活に傷ついたクリスティン・スコット・トーマスがレイン ジローバーに乗ってやってくる、モンタナはそんなところだ。
 クォメンは「自然の比喩としてのマス」というエッセイの中でこんな風に語っている。『自分が大人になって初めて釣り上げたマスと、そのときの私にとってそのみすぼらしい小さな魚が何を意味していたかを正確に覚えている。それは…、自我と新たな場所、自分が何者かを再び見出すことは何よりも重要だった。魚を針からはずす私の手は激しく震えていた。全長15センチか20センチのニジマス。東洋のどこかで安い材料を使って安っぽくつくられた12番のブラックナットの毛鉤、サウス・ダコタのどこかのハーターズの店で手に入れた毛鉤にかかった小さな魚。私はその小さなマスを殺した。』クォメンはこの出来事をウィリアム・フォークナーの小説「デルタの秋」に例えてこう言っている『これから 先の僕の振る舞いは、君の死にふさわしくなければならない』と。クォメンは以前のようにはマス釣りをしていないという。そしてこう結んでいる。『フライフィッシングは釣り人とマス双方の意志と双方の共感のもとに演じられるゲームにすぎない、求愛のダンスにすぎないのだ。かかりを平らに伸ばした小さな毛鉤を使えば、釣り人自身の感受性は傷つかずにすむ。しかし魚のほうはいつもそれほど幸運だとは限らない。目に鉤がかかり、血を流し、傷に苦しみ、顎をはずされ、感染する。不可避的に、そのいくらかは死ぬ。マスにとって、それは決してゲームではないし、ダンスでもない。ときどき、これほど無慈悲に相手を危険にさらし、もてあそんでいながら、この生き物を愛していると言うのは偽善的だ と感じる。…捕まえたものを殺し、殺しにうんざりしたら釣りをやめればいいのではないか、と思う日がある。』
 クォメンにとってマスは心から愛してやまない生き物だ。そしてある意味でマスはアメリカ人の文化の体現者なのかも知れない。大自然と向き合い自分がいかに小さな存在であるかを知り、少年から大人になっていく通過儀礼としてのマス釣り。その精神性が文学や映画として普遍的に表現されるのではないだろうか。
 しかしここでもう一度考えてみよう。ゲームとして他の生き物の命を弄ぶ。その生き物が温血動物だったらどうだろう。それが絶滅危惧種のような希少動物であったら捕まえることそのものが非難される。仮に人間が捕まえても影響がないほどの個体数をもった動物であったとしても、それが毛皮を纏った温血動物だとしたらゲームとして命を弄ぶのは非難されるだろう。私は動物解放戦線ではない。だからマス釣りを声高に非難するつもりはないが、日本で個体数が増えて「間引き」されようとしているニホンカモシカを銃で一発で仕留めるのではなく、力尽きるまで猟犬で追い回し、息も絶え絶えになって何の抵抗もできなくなったところを眼前で殺したとしたら、それは許されないことだと思う。ニホ ンカモシカの傷口からドクドクと流れ出る血は赤く温かい、痛みと恐怖に満たされた口からは悲しい叫び声が漏れるだろう、涙をたたえた大きな目はその理不尽さを訴えているかのようだ。今私たちが共有している感情ではその光景は残酷で見るに耐えない光景だ。その映像をメディアに流したとしたら世界中から非難の大合唱が起こるだろう。そしてその隣に満面の笑みを浮かべ、ニホンカモシカの頭の上に足を置いた男が誇らしげ立っていたとしたら、その男の恋人は別れ話を持ち出すだろう。英王室が王室伝統の狩猟を取りやめたのもこうした感情が社会として共有されてきたからだと思う。
 開高健が釣り上げた大きなブラウントラウトを誇らしげにもっている写真がある。死者を鞭打つわけではない。開高は自然をこよなく愛し、釣りを愛した。しかし時代は流れ、そこに共有される感情も変わってゆく。かつて狩猟は英王室の伝統であり、ヘミングウェーはキリマンジャロの雪を仰いでライフルを撃った。それは勇敢で男らしさの象徴のようなものであったはずだ。しかしほんの30年も経ってしまえばそれはマッチョな動物に対する残虐な行為にほかならない。そうだとするなら開高が得意げに手にしたブラウントラウトも何れ動物に対する残虐な行為にならないとは限らない。少なくとも私にはブラウントラウトがライオンやアフリカゾウと違うとは思えない。