お久しぶりでっす。
いしはらです。
単純に、忙しかったのと、若干体調を崩していたのが重なり。
別に重症だったわけではないのです。
ただ、ネットに向かう気持ちがあまり起こらず、リアルでやることも許容量を超えてあり。
みんなだって忙しいんだから、自分だけではないのだから、
あんまり、忙しい、とか書きたくないけれど、
今年の2月以降、凄まじいペースで仕事も音楽も動いていた。
ということは、今はちょっとリアル世界でしっかりやれってことだな、
と思って、現実の仕事や音楽をみっちりきっちりやり、疲れ果てた時は爆睡し。
ワンマンライブで「変わるぞ」宣言をしたけれど、
「ネット活動をしなくなる」ってことだったのか??(笑)。
いや、なんかいろいろなことが変わってきていますよ。
言葉にすべきこと、表明すべきことはおいおい書いていきますね。
僕にとって一番大事な音楽、その演奏のスタイル。
ギターを弾いている時間そのものは、たいして長くはないのだけれど
なんかこの数週間で、いろいろなことが見えてきた。
それはわりと狭い意味で、つまり技術とか楽理とかそういうことです。
以前より、もっとフリーな演奏が出来そうな気がしています。
曲がどこに行くかわからない、というか、
どこに行ってもいいような演奏スタイルというか。
いわゆるフリージャズのような感じとは違うけれど、
でもアプローチの仕方は似ているかもです。
この数年、ぼんやりと頭の中に描いていた演奏の理想像は
「自由を感じさせる演奏」でした。
今試しているような演奏がどこまで自由なのか分からないけれど、
でもなんとなく近づけているような。
不自由なくらい音楽の約束事に
ぎちぎちに縛られた末に獲得する自由、
などと言うマゾヒスティックな、しかし
だからこそ、の自由なんてのも音楽には存在するしなぁ。
例えばジャズピアニストのセロニアス・モンク。
彼なんかは考えて演奏しているのだけれど、
その音の突き抜け方が自由、を感じさせる。
アドリブだけれど熟考のあと。
しかしあらゆる型を突き抜ける
「モンク」としかいいようのない自由な音。
すごい不思議な響きなのに、コピーしてみると
ただのセブンスだったり。
音楽における「自由人」のありかたとして
一つの究極だと思うなぁ。
まぁ、自分とジャズの偉人を比べるなって話ではあるけれど
(ツマとの音楽をめぐる日常会話ではすぐに、マイルズはさぁ、とか
ブライアン・ウィルソンはこうだった、とか当たり前に出てきます。
頭の中だけでは、この辺の人たちとタメな雰囲気。ははは。)
音楽における自由の体現、というのにほんのちょっと近づいてきたような気がします。
でも自由を獲得するためにこそ、特に僕のようなタイプは
練習と研究あるのみ。
まぁ、面白いんですよ、この過程が。
さぁ、今日はちょびっと時間あいたから、これからリハです。
いってきま~~す!