こんばんわ!

相模守網元です。

本日は第2回目の投稿として神奈川県海老名市上郷の有鹿神社を紹介します(*^^*)

平成30年(2018年)3月18日に参拝しました。

 

有鹿神社と言えば海老名の総鎮守です。

海老名はここ10年くらいの間にVINAWALKもできたし、タワーマンションもバンバン立つし、発展著しいです。

自分が10代で思春期の頃、さがみ野に住んでる同級生がいたのですが、彼と遊ぶとなると海老名で遊ぶ機会もありました。

90年代後半、当時の海老名はまだ開発の前で、言葉は悪いですが、あまり栄えている街ではありませんでした。

五重塔が駅前にあって多少、文化の香りを感じるくらいでした。

同級生に「海老名ってめちゃ田舎じゃん、しょぼい」とか失礼な事を言ってしまったのを覚えています。

しかし、今やこの発展ぶり!

同級生も今頃、「網元の野郎、当時は好き勝手な事言いやがって!ざまぁみやがれ!」と思っているかもしれません(;^ω^)

ただその同級生は北海道の大学に行ってしまったので、それ以降は縁が切れてしまい、その後どうしているか不明です。

話が脱線しましたが、有鹿神社の話に戻します・・・。(;^ω^)

 

写真は有鹿神社の鳥居付近です。

有鹿神社につきまして、簡単に説明させていただきます。

有鹿神社。延喜式内社にして旧郷社。相模國五ノ宮とも言われています。

 

ご祭神は有鹿比古命、有鹿比女命、大日靈貴命です。

大日靈貴命とは天照大御神の別名ですが、有鹿比古命、有鹿比女命は寒川神社の時と同じく記紀に名前の無い神様です。

有鹿神社は神奈川県で一番、古い神社と言われていますが、縄文時代からの原始の信仰の表れなのでしょうか、記紀の時代よりも古い地元の神様を祀っているようです。有鹿比古命、有鹿比女命で日の神、水の神でペアになっている神様です。

 

御由緒です。「有鹿谷の泉は、縄文の水神信仰の対象。泉落ちる鳩川に沿い、海老名の大地が成り、農耕の豊穣と安全を祈り、水引祭が起こり、創建。霊験あらたかで。奈良・平安の頃、相模国府の崇敬崇敬篤く、天智天皇三年(664)に祭礼、天平勝宝八年(756)、墾田五百町歩の寄進、貞観十一年(869)、従五位上に昇階との記録。室町の大乱により、美麗な社殿と広大な境内を喪失。その後、再建成り今日に至る。」

総括すると、海老名という土地は縄文時代から人が住んでおり、それ以降、連綿と信仰が続いてきたようです。

 

写真は有鹿神社神楽殿です。

ここでパンダ宮司さんが祭祀舞を踊ったりするところです。

私は有鹿神社の予備知識なしで、2018年3月18日に初めて参拝したのですが、パンダ宮司の存在には度肝を抜かれました(;^ω^)

神社の神職って生真面目なイメージがあったのですが、被り物をしてメディアに出演する神職というのは衝撃的でした(;^ω^)

非常に大きなカルチャーショックを受けました(;^ω^)

色々と思うところはあるのですが、コメントは差し控えます。(;^ω^)

写真は有鹿神社の御朱印です。

平成30年(2018年)3月18日に拝受しました。

御朱印はこの写真の鹿の御朱印だけではなく、何種類か選べます。(現在ではパンダ宮司の御朱印もあるようです)

奥宮を参拝すれば、奥宮の御朱印もいただけます。

私は中宮にも奥宮にも行っていないので奥宮の御朱印は頂きませんでした。

御朱印を頂く際に、宮司さんが鈴を鳴らしてお祓いをやってくださいました。

そういう細やかなサービス精神は嬉しいポイントでした(*^^*)

 

これにて有鹿神社の記事は終了となります。

最後まで読んで頂きありがとうございました。<(_ _)>