こんばんわ!

相模守網元です!

 

このブログ1発目の投稿、本日は自分の御朱印巡りの原点である相模國一宮・寒川神社について書いていきます。

相模國延喜式内社13社巡りの1社目です。

私はここで人生初の御朱印をいただきました。

(御朱印収集を始める以前から神社巡りはしていましたが、御朱印拝受は寒川神社が初めてです)

写真は寒川神社拝殿です。

さすが一宮だけあって凄まじい御神威、大きさの社殿です。

毎年、初詣にはものすごい数の参拝客が訪れます。

写真の拝殿前のスペースも人でいっぱいでギュウギュウ詰めになります。

私自身もここ数年、毎年、年始には必ずこの寒川神社を参拝しお札とお守りを拝受しております。

 

それでは寒川神社につきまして、簡単に説明させて頂きます。

 

寒川神社。延喜式内社(名神大社)の古社、相模國一宮です。旧国幣中社で現在は神社本庁の別表神社です。

 

ご祭神は寒川比古命、寒川比女命です。

この二柱の神を合わせまして寒川大明神と申し上げます。

関東を開拓された神々様であるとのことです。

記紀や旧事紀には名前が載っていない神様なので神話上、具体的にどういうことをされたかは不明です。

不明というか私はこの寒川大明神が登場する神話を読んだことがないです。

知ってる方、情報下さい!!<(_ _)>

 

御由緒です。

「創建年代不詳。総國風土記によると雄略天皇の御代、幣帛が奉納されたとあり、創建の極めて古いこと、朝野の崇敬が篤かったことが知られる。相模國総鎮守として士民信仰の中心となり、源頼朝、小田原北条氏、武田信玄等の信仰も殊に篤く、武家の崇敬、奉祀も鄭重を極めた。又、古来唯一の八方除の守護神として御霊験あらたかにましまし、地相・家相・方位・日柄・厄年等に由来するすべての悪事災難を取り除かせられ福運開運をもたらし、生活活動に限りなき恩恵を蒙らせ給う御神徳は実に広大無辺にあらせられる。」

総括すると、時の有力者からの崇敬篤く、八方除けという御利益は全国でこの寒川神社のみということとのことです。

 

上の写真は人生で初めて拝受しました御朱印、寒川神社の御朱印です。

平成30年(2018年)2月11日に拝受しています。

しかし、寒川神社にはそれ以前の何年も前から参拝はしていました。

神社の一般的な紹介は、他のブログでやり尽くされていると思うので、このブログでは私と神社について自分史のような形で語るブログにしたいと思います。

私はどうして神社巡りをするようになったのか?御朱印巡りはどういう動機で始めたのか?

神社の一般的な説明はこのくらいにして、私の自己紹介を兼ねて、神社巡りと私、御朱印巡りと私について書いていきます。

 

相模守網元というハンドルネームは単なるハンドルネームであって勿論、本名ではありません(;^ω^)

しかし、自分の本名に関係のあるシャレで名付けたハンドルネームで、命名の理由を聞いてしまえば余りにも下らない話です(;^ω^)

本名バレ怖いので、この辺でハンドルネームについての説明は終わりにします。

 

年齢は30代後半。東京都目黒区が出生地で、神奈川県育ちです。

神奈川県の小学校、中学校、高校を卒業し、東京の大学に入学し、単位取得に苦労しながら卒業しました(;^ω^)

大学卒業後、新卒で東証一部上場の企業に新卒で入社し、それ以降、思うところがあって何度か転職し、様々な会社を渡り歩いて今に至っています。

今は某財閥系企業の子会社に勤務しています。

 

子供の頃、10代の頃は、親から「あまり神社には行ってはいけない」と言われていまして、地元の神社に初詣に行くくらいしか神社には縁がありませんでした・・・。

親曰く「神社の祭神は高級な神霊だが、眷属には下級な霊的存在がいて、無防備に神社に行くのは危険」とのことでした。

 

自分が神社巡りをするようになったキッカケは20代中盤の頃、新卒で入社した会社で体調を崩したことがキッカケでした。

死を覚悟するような心臓発作のような激しい症状が現れましたが、医者の診察を受けても原因不明。

症状と不安で悶々とする日々が続きました。会社も休みがちでした。

死の恐怖と不安が常に自分を覆っていました。

そんな中、死をも超越した神を求める気持ちが自分の中に湧き上がってきました。

そこで会社の勤務中に職場を抜け出し、会社周辺の神社を参拝するようになりました。(よく懲戒解雇にならなかったものだというご意見はさておき(;^ω^))

会社近くの東京10社の白山神社、根津神社などはよく参拝する神社でした。

少彦名命が医薬の神様だという情報をネットで仕入れて、どうやら神田明神に祀られているらしいと知り、会社の帰りの夕方に神田明神にも参拝するようになりました。

これが私の信仰の原点です。

病気を治し、死への恐怖を乗り越えることが、神社の祭神への崇敬の動機となりました。

ほどなくして体調は良くなり、寒川神社や出雲大社相模分祠など神奈川の神社を中心に回るようになりました。

2012年の式年遷宮の際には三重県の伊勢神宮に初参拝しました。

2013年には島根県の出雲大社や日御碕神社に初参拝しました。

最初は素戔嗚尊や大国主大神など出雲系の神様にシンパシーを感じ、それらの神様を祀った神社しか参拝しませんでした。

なので、八幡神社などは御朱印巡りを始めるまで参拝したことがありませんでした。

未だに八幡神とはどういう神様なのか自分にはよく分かりません。

ただ八幡神社では良いエネルギーを貰えることが多く、正体の分からない神様ですが、非常に御神徳のある神様だと思います。

 

また、若い頃は学問への情熱があり、大学院進学と国家資格取得を目指して勉強をしていました。

そのため自分の学業成就を湯島天神の菅原道真公に祈願したりしました。

今、30代後半になって勉強は中途半端になってしまいましたが、情熱に燃えた当時の自分は青春の真っ只中にいました。

また、当時は社会人として社会、企業の腐敗ぶりを目撃し、自分の中で理想的な新世界、ミロクの世への憧れを募らせていました。

現在、世界はコロナウィルスの禍が猛威をふるっていますが、これも真の理想社会に到達するための一里塚であると思って、状況を注視しています。

 

自分が神社詣でを始めた頃は、本格的に神社ブームが起きる直前でしたが、近年になって御朱印ブームがかってない盛り上がりを見せるようになりました。

そのため2018年2月11日から私も御朱印巡りに参加するようになりました。

その御朱印第1号がこの寒川神社です。

ここから私の御朱印巡りがスタートしました。

 

このブログではこの後、相模國延喜式内社13社(残り12社)を私の撮影した写真と共にまず最初に紹介させていただきます。

果たして相模國延喜式内社を紹介できるだけの力量が自分にあるか??(;^ω^)

それでは相模守網元ブログスタートです!!(@^^)/~~~

 

最後まで読んでいただきありがとうございました<(_ _)>