母のお通夜と、3人だけの家族葬。 | 相模野ナミ 父母の介護の記録2017年冬〜現在まで。記憶の記録。

相模野ナミ 父母の介護の記録2017年冬〜現在まで。記憶の記録。

宮城県在住だった両親の介護の記録です。
想像を超える事が多かったので、忘れないうちに記録しておこうと思いました。

神奈川県在住の56歳の主婦です。ドラックストアで登録販売者として16年勤務しています。
夫56歳、娘25歳、息子23歳、の4人家族です。

母が亡くなった日は、

そんなこんなで私は

父を病院から連れてくるのを諦め、

セレモニーホールに戻り、

母と、姉と私で過ごしました。


こうして3人で夜を過ごす事なんて、初めてだったかもしれません。


次の日に運良く火葬場が空いていて、

午前中に家族葬を行い、

午後には火葬する事になりました。


2018年1月11日、お通夜は木曜日。

12日金曜日は葬儀。

その午後に火葬。


あまりにもスピーディーなので、

火葬は土曜日や日曜日でもいいですよ、


と、葬儀の担当の方は言ってくれたので、


「そうすれば、母に逢いに来たい人にも連絡ができたりするかもしれないし、

父の親戚の方にも連絡できるかも」


と、私は思ったのですが、


姉は

「そんなに何日も仙台に居れない。早く東京に戻りたいから、スピーディーな日取りでお願いしたい。」

との事で、


「母が亡くなったら1週間くらいはゆっくりしてもおかしくないんじゃない?」


と言ったのですが、


「じゃあ、ナミは1人でやって。私は、帰るから。そして、火葬には、また来るけど、泊まりはしない。」


そう言われてしまい、


その時は、1人で残って色々する自信も無く、

スピーディーな日取りで、行う事になりました。



今なら、1人でも行う自信はあるのですが、

それは、全部終わっていて、全体の流れがわかるから。


初めての家族の葬儀は、1人で行う事に自信が無い自分で、仕方なかったと思います。


でも、今、思うことは、


やはり、火葬の前のお別れは、

可能なのであれば、

出来るだけゆっくりするべきだと思います。

逢いたい方もきっといるだろうし、

ほんとに最後にお顔を見て話せるのだから、

貴重なんです。


スピーディーにする事に反対です。


経験して、わかった、事です。




そして亡くなって、次の日。

2017年1月12日。


姉と、

家族ぐるみで親しくして頂いていた父の教え子のえっちゃんが来てくれて、

私と、

3人だけで、家族葬儀を終え、



その午後に、火葬場に移動して、

えっちゃんと姉と昔話しをしながら、

火葬を待ちました。


お天気は良かったけど、寒い午後でした。


2〜3時間後、母の遺骨を丁寧に拾い、

火葬場を後にしました。



そして、セレモニーホールで一休みして、

遺骨は私が預かることになり、


遺骨が重たくて、大きくて、持ち歩くの大変でした。でも、頑張ってそれで、新幹線に乗り

仙台駅に戻り、仙台駅で3人で牛タンを食べました。

ひとまわり年上のえっちゃんが明るくて優しくて、何年か前にお母様を亡くされていて、気持ちをわかってくれて、本当に助かりました。

悲しみを乗り越えてきた人は、本当に優しく、救いの存在になれるのだな、と、思います。

そのために、辛い事や、悲しい事を、体験するのかもしれません。


そして姉はそのまま東京に帰り、

私は、仕事を5日間お休みを貰えたので、駅周辺のビジネスホテルに泊まりました。


次の日は、父の実家に報告に行かなければなりません。


報告関係は、私がする事になりました。


母の岩手の実家にも、報告しなければなりません。

….が、連絡先がわからないのです。

こういう時、夫である父が元気なら、すぐわかるのでしょうが、

認知症の父に聞いても、わかるはずも無く、


もうすぐ処分する誰もいない実家に寄って、

ご近所に報告もして、

片付けがてら、母の岩手の実家の連絡先を探さなければなりません。



姉は、母の年金や、保険の手続きなど、事務的な事をしてくれる事になっていました。


「明日も、忙しいな…」


バタバタとしていたので、ビジネスホテルで1人になっても、悲しみに浸たることもなく、すぐに眠りにつきました。


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母の大切にしていた仙台箪笥。

2つあるうちの、これは、車箪笥の方。

血は争えず、私もとても、好きです。

今、私の家で使っています。