アクセスありがとうございます。
お久しぶりです。相模歳三です。
さて、今回はペリー来航と日本の開国についてご紹介します!
さてさて、今年のGWに僕は伊豆の下田へ行ってきました。
ペリーロードには美味しいイタリアン料理店などもあるので、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。
では、下田で最終的に締結された日米和親条約や、同じく幕末に締結され日本に大きな影響を与えた日米修好通商条約についても見ていきましょう。
まず、1853年にアメリカのペリー(マシュー・カルブレイス・ペリー)が神奈川県の浦賀に来航します。
※週刊文武での浦賀城の記事はこちら。
当時の将軍は病で倒れてしまっていたため、幕府は混乱。一年後に再来航することを条件としてペリーを一旦退去させました。
約束通り一年後、ではなくペリーはあえて半年後に再来航。横浜に上陸し条約締結へ協議が始められました。
そしてついに、日米和親条約が締結されました。
この条約により、下田と箱館が開港することになり徳川家光
の時代から200年余り続いてきた日本の鎖国は解かれました。
その後、最終的な条約の締結のため交渉の舞台は下田の了仙寺へ。
最終的な日米和親条約締結が行われました。また、このときに追加された部分は下田条約とも言われています。
その後日米修好通商条約が締結されたことにより下田は閉港してしまいますが、現在でも賑わいは失われていません。
◆年号◆
1853年 ペリー来航 一発降参ペリー来航
1854年 日米和親条約 (上の翌年)
1858年 日米修好通商条約 いやご破産でしょ、日米修好通商条約
ちなみに、日米和親条約では下田と箱館が、日米修好通商条約では箱館・神奈川(≒横浜)・大阪・兵庫(≒神戸)・長崎が開港されました。
開港地は試験によく出てくるので覚えておくことをおすすめします。
今回はここまで。
最後までご覧いただきありがとうございました。
次回もお楽しみに!