本当は前回まで続いて書いていた「インディーズとメジャーの違い ロジスティックス編」を書く予定でしたが、急遽変更。最近聴いたアルバムの評を。
でも、次回以降につながるレビューだと思うので、次も続けて読んで下さると嬉しいです。
ダーティ・ダズン・ブラスバンドのアルバム「ホワッツ・ゴーイン・オン」について。
言わずと知れた、マービン・ゲイの名作アルバムのタイトルだが、今回書きたいのはマービンの方ではなく、ダーティ・ダズン・ブラスバンドの「ホワッツ・ゴーイン・オン」です。といっても同名異曲ではなく、同曲のカバー。しかも1曲だけではなくて、アルバム丸ごとのカバー。
普通なら僕としては、あまり手を出さないたぐいのアイテムなのですが。
オリジナルのマービン・ゲイの「ホワッツ・ゴーイン・オン」も聴いているのだけれど、大好き、というほどのアルバムではなかった。クオリティの高さは認めつつ、名盤と評価されることもさもありなん、と思いつつ、でもしっくり来ない。そういうことはありますよね。
マービン・ゲイは本当に真摯に創っているし、その歌に込めたメッセージも心の底から出てきているものと思うのだが、なんというか、そのピュアさが痛いというかつらいというか。
なので、すごい作品とは認めつつも、何度も聞くという感じではなかったのです。タイトル曲の「ホワッツ・ッゴーイン・オン」にしても、ダニー・ハザウェイのカバーの方がずっと好きだし。
で。ダーティ・ダズン・ブラスバンドです。ニューオーリンズを中心に活動する「ブラスバンド」。名前はずっと前から知っていたけれど、ちゃんとアルバムを聴いたことはなかった。
このホワッツ・ゴーイン・オンのアルバムジャケットは発売時に、CDショップの店頭で見てずっと印象に残っていたけれど、(2006年発売)、実際に買ったのは今年になってからです。
ジャケット写真は水浸しの町の中を、ボートを片手で曳きながら歩いて行く男の後ろ姿。
ニューオーリンズ、2006年発売、というところからも分かるように、2005年にニューオーリンズに甚大な洪水被害をもたらした「ハリケーン・カトリーナ」の洪水時の写真です。
そしてそのジャケットから想像がつくように、この洪水災害に対するチャリティと、その災害の事後処理などをめぐる様々なトラブルや、行政に対するプロテスト、の意を込めているアルバム。
でも、じゃあ、それを自分の言葉で作った歌ではなく、なぜ制作時より30年以上前のマービン・ゲイのアルバムのフル・カバーで表現するのか?
一つは、ダーティ・ダズン・ブラスバンドという永示すとおり、インストゥルメンタル主体の音楽でやっているバンドだから、というのもあると思う。また、これはライナーノーツに書いてあったのだが、マービンが30数年前に発していたメッセージが、この自体に対してもそのまま通用する、まるきり風化していない、というバンドメンバーの意志があったそうだ。メンバーのうちの何人かが実際に被災している、というのも大きいと思う。当事者でなければ分からないこと出せないこと、たくさんあるはずです。
このアルバムはすごくよい。
まず、当然の話だが、音楽としての強度がものすごく強く、高いところにある。楽曲自体は、「名作」と言われている作品のカバーなのだから、いいのは当然としても、その名作に対するリスペクトにプラスして、マービン版にはないような危機感や切迫感、そして声高に訴えるだけではない、やるせなさやどうしようもないという感覚も詰め込まれている。そこがぐっと来る。
各曲ごとにゲストヴォーカリストを起用しているのだが、白眉は1曲目のタイトル曲「ホワッツ・ゴーイン・オン」。パプリック・エネミーのチャック・Dを迎えてのラップでのバージョンになっている。僕はラップはほとんど聴かないし、よく知っているわけでもないけれど、パブリックエネミーは好きで数枚持っているから、余計嬉しかった。
このラップが洪水後の状況に対する、静かな怒りとやるせなさが感じられて、すごく来る。全編素晴らしい出来なのだけれど、はじまりがこの曲でなかったら、この演奏でなかったら、アルバムとしての聞こえ方もかなり変わっていたと思う。
そしてこのアルバムをリアルに感じてしまうのは、単純に音楽的なすばらしさだけでなく、1年前に起こったことが自分たちや地域のコミュニティにどんな影響を及ぼし、それは何を意味しているのか、ということをメンバー自身が(何せメンバーも被災しているし)、当事者として真剣に考え、それを「ホワッツ・ゴーイン・オン」という器を借りつつ、どう表現していけば届くのかということとこれ以上はないという切実さを持って対峙しているからなのだと思う。きっと僕はそこに感動しているような気がする。
多分、ぼくが「東北応援行商ライブ」なんてことをやっているのも関係しているのでしょう。
特に災害から1年半が経ち、当然ことながら被害のなかったところでは痛みも記憶も薄れ。それは当然のこととして、でも、何らかの助力や気持ちが必要なのもまた、間違いのないことで。
たとえば、「東北頑張れ おーいえ~」みたいな曲を書く気はこれっぽっちもない。でも、このダーティ・ダズン・ブラスバンドのアルバムを聴いて、すごく力づけられたことは間違いないです。僕にはそんなことはたまにしかないのだ。
よかったよ。このアルバムに出会えて。