音楽流通に革命を -3ページ目

音楽流通に革命を

相模の風レコード 代表 いしはらとしひろが綴る、『メジャー崩壊後』の音楽流通ビジネスやレコーディングのあれこれ


前回まで、インディーズとメジャー違うところはどんな部分なのか、なんてことを考えてみました。今日からはまた違うテーマで。

今日から何回かは、なぜ、CDが売れないのか、ということを考えていきたいと思います。
CDを初めとする「音楽パッケージ」は1998年~2000年あたりをピークに、この数年はどんどん落ちています。
CDの製造量で見てみると、一番多かった1999年に比べると、昨年は約半分くらいまで落ちています。
売り上げで言うと、日本国内で1999年は6000億円。昨年2011年は、2000億円ちょっと。だいたい1986年頃と同じ水準です。
製造量で半分、売り上げでは1/3。
きついっすよねえ。
経営や経済学に詳しくない僕の目から見たって、これはどう見ても衰退産業です。

では、配信に喰われた、というけれど、その伸び具合はどうなんでしょうか?
配信が盛んになり始めた2005年は340億円。昨年2011年は700億円.伸び率で言うと倍ですが、金額で言うとCDの売り上げに比べるとさほどでもありません。伸びてはいるけれど、この金額比率から言ったら喰われた、というほどではないでしょう。もちろん配信の方が、おおむね単価も安いせいもあるでしょうが。

要するに音楽全体が『売れなくなっている』。
その原因(と思われるもの)を少しずつ探っていきたいと思います。

いきなり核心。

音楽自体も音楽家のパフォーマンスもつまんないからじゃねーの?

あー、言っちゃった。

これは僕の個人的な意見です。
もちろん僕だって、今、世に流れている音楽のごくごく一部しか聴けていない。
僕が聴いたことないだけで、素晴らしい音楽を奏でている人はたくさんいると思う。
でも、ごく一部をつまむようにしか聴いていなくても、『面白いものに当たる確率』ってあるじゃないですか。
その比率がこの数年でだいぶ下がった気がする。

でも面白い音楽って?
好みの差だってあるから、僕にとっての面白いと、あなたにとってのオモシロイだって、必ずしも一致しないだろうし。

こりゃ、明日からも考えないとなぁ。
続く

最後まで読んで下さって、ありがとうございました。

相模の風レコード いしはらとしひろ



相模の風レコード 流通サポート
あなたのCDの CDショップ流通 ネットショップ流通 ダウンロード配信 引き受けます




さてさて。
何回かに渡ってメジャーとインディーズの違いがどこにあるかを見て来ましたが、今日はとりあえずの〆。
広告宣伝です。

今、インディーズと言われるポジションにいるあなたが、あなたのバンドが新作CDを出しました。
どんな風に宣伝しますか?

・ブログやホームページ、Twitterにお知らせ記事を書く。
・プロモビデオを友達に作ってもらい、Youtubeやブログにアップする。
・チラシをよく出るライブハウスや縁のあるお店に貼ってもらう。
・FM局などにCDを送る。
・ネットラジオをやってもらう知人に「かけてね」とCDを渡す。

だいたいこんなところではないでしょうか?

今いるファンや支持者の数でも、売れ行きは相当変わりますよね。
ファンが100人いたら、今いるファンだけで、70枚くらい売れるかもしれないし、
もちろんそれ以外の人達にも、CD発売以降どれだけファンになってもらえるか。

で、メジャーのある程度上の方にいる人達は。
・(うんと金のかかった)プロモーションビデオの露出 TV広告。
・音楽誌などを中心に、雑誌や新聞などへの有料広告。
・テレビラジオ出演。
などがプラスされます。

ここは大きな違いですよね。
なんと言ってもお金とコネクションと両方がいります。
ここはインディーズレベルにはなかなか手が出ません。
有能なマネージャー、事務所の力、レコード会社の力、どれも必要です。

今はどうか知りませんが10年くらい前は、バカ売れする人達は、CDの制作費の5~10倍くらいを宣伝費にかけていると言われていました。
それだけの宣伝費をかけて、もちろん元が取れる、利益が上がる、という見込みがあったからです。
いや、中にはそこまでやったって外れるものもあったでしょうが、おおよその目安として、これくらいの宣伝を打てば最低でもこれくらいの数が売れる、というラインはあったそうです。
しかし、そういうものも2004年あたりを境に崩れ始める。お金をかけても売れない、という事態が続発。今に至る「CDが売れない」という時代に突入です。

もちろん、今だってお金をかけた宣伝は大事です。必要な場面も多々あると思います。
宣伝の方向と、アーティストのやっていることの方向とお客様の気持ちが上手く合致すれば、それは効果を発揮するでしょう。
でも、「昔よりもお金をかけたテレビや紙媒体の宣伝の効果が薄くなった」ということは言えると思います。

テレビ離れはかなり著しいし、雑誌なんかも売り上げ低迷に悩んでいるところは多いです。

誰が見ているんだか、というメジャー局だけどマイナーな番組に出るよりは、自分でネットテレビかなんかやった方が早いんじゃないの?というようなケースもあるし。

ということは。

今まで何回かに渡ってみてきた
レコーディングのクオリティ
アーティスト育成
流通
広告宣伝

という部分における、メジャーとインディーズの違い。
今の段階で言えるのは、
「もちろん差はある。でも10年前に比べたら その差はかなり縮まった。少ない人数が喰っていくくらいなら、音楽で稼げるのでは?」という状況になってきたのは、間違いのないところだと思います。

よくない条件や契約でメジャーでやるくらいなら、インディーズのまま自分で態勢を創っていった方が良いかもしれない。やろうと思えば、ある程度までは出来る。
少なくとも今の方がやりやすい。

僕はそう思います。
じゃあ、相模の風レコードが、ミュージシャンとしてのいしはらが、音楽ユニットの相模の風THEめをとが、成功しているか?といわれると、まだまだそこまでは行けていないのでアレですが。

でも、希望を持てる状況にはなりつつあると思うのです。

僕ももちろん色々な方法を試しつつ、頑張ります。
あなたもインディーズのまま、のし上がりませんか?


最後まで読んで下さり、ありがとうございました。
相模の風レコード いしはらとしひろ でした。



相模の風レコード CD流通・配信サポート





ちょっと間が空いてしまいましたが。
インディーズとメジャーの違いの考察、その3回目です。

ロジスティックス=流通です。

昔、メジャーは自社で配給網を持っていました。
インディーズを扱うディストリビューター(流通業者)は、非常に少なかった。
以前の回で書いた、レコーディングやアーティスト育成・マネージメントなどというところでもそうでしたが、以前よりもその部分での差もだいぶ小さくなっています。
特にCDが売れなくなったといわれて久しい昨今、売れるのならインディーズも、という傾向は強まっています。
インディーズを扱うディストリビューターも増えたし、また制作はインディーズレーベルだけれど、流通はメジャー経由で、というケースも増えてきました。
この10年くらい、ということで言えば、大変増えた、と言ってもいいかもしれません。
メジャーにしてみれば、要はノレン貸し。
制作費も宣伝費もかからず、売れた分のマージンをいただくわけですから、これはメジャーにとっても悪くない。そういう形でも数千枚以上売れるCDならば、これは「おいしい」ということになります。かかるのは輸送経費と、事務的な手間だけですから。
CDの裏ジャケットや背帯などをよく読むとわかりますが「販売元」のところには誰でも知っているような大手のレコード会社の名前が入っていても、「制作元」のところには名前を知らないような会社の名前が入っていることがあります。こういうような場合は、ほぼ、上に書いたようなケースです。

今、CDが売れなくて、アーティストも大変だけど、お店の人も大変です。
みんな必死です。
生き延びていくには売れるものを置く。
一度にたくさんは、難しいかもしれないけれど、ロングセラーになるようなインディーズだったら、それもまたあり。そう思うお店の方も多いと思います。

また、CDという品物にこだわっていると見えにくいですが、今は配信というシステムがあります。この10年で大幅に増えましたね。
ここに楽曲を掲載するのにも、だいぶハードルが下がりました。
これはもう手前味噌で書いてしまいますけれど、相模の風レコードの流通サポートを使っていただければ、店舗にも、Amazonはじめネット通販大手のページにも、iTunesにも掲載されます。
ああ、配信のことも近いうちに腰を据えて書かなきゃ。

10年以上前だったらこういう形での流通サポートを僕が立ち上げるのはほぼ不可能でした。
今なら、その気になれば誰でも流通に乗せることもできるのです。

誰でも?
ということは音楽のレベルが低くてもいいの?

僕は、それはお客様が決めることだと思います。
でも本当にいいものだったら、それは時間はかかるかもしれないけれど、やはりちゃんと認められていくのです。そう信じています。

まずは流通への道を、なるべく多くのつくり手に開く。これがまず大事な気がしています。
だから、こういうことやっています。


最後まで読んで下さり、ありがとうございました。
相模の風レコード いしはらとしひろ でした。



相模の風レコード CD流通・配信サポート





本当は前回まで続いて書いていた「インディーズとメジャーの違い ロジスティックス編」を書く予定でしたが、急遽変更。最近聴いたアルバムの評を。
でも、次回以降につながるレビューだと思うので、次も続けて読んで下さると嬉しいです。

ダーティ・ダズン・ブラスバンドのアルバム「ホワッツ・ゴーイン・オン」について。

言わずと知れた、マービン・ゲイの名作アルバムのタイトルだが、今回書きたいのはマービンの方ではなく、ダーティ・ダズン・ブラスバンドの「ホワッツ・ゴーイン・オン」です。といっても同名異曲ではなく、同曲のカバー。しかも1曲だけではなくて、アルバム丸ごとのカバー。
普通なら僕としては、あまり手を出さないたぐいのアイテムなのですが。

オリジナルのマービン・ゲイの「ホワッツ・ゴーイン・オン」も聴いているのだけれど、大好き、というほどのアルバムではなかった。クオリティの高さは認めつつ、名盤と評価されることもさもありなん、と思いつつ、でもしっくり来ない。そういうことはありますよね。
マービン・ゲイは本当に真摯に創っているし、その歌に込めたメッセージも心の底から出てきているものと思うのだが、なんというか、そのピュアさが痛いというかつらいというか。
なので、すごい作品とは認めつつも、何度も聞くという感じではなかったのです。タイトル曲の「ホワッツ・ッゴーイン・オン」にしても、ダニー・ハザウェイのカバーの方がずっと好きだし。

で。ダーティ・ダズン・ブラスバンドです。ニューオーリンズを中心に活動する「ブラスバンド」。名前はずっと前から知っていたけれど、ちゃんとアルバムを聴いたことはなかった。
このホワッツ・ゴーイン・オンのアルバムジャケットは発売時に、CDショップの店頭で見てずっと印象に残っていたけれど、(2006年発売)、実際に買ったのは今年になってからです。

ジャケット写真は水浸しの町の中を、ボートを片手で曳きながら歩いて行く男の後ろ姿。
ニューオーリンズ、2006年発売、というところからも分かるように、2005年にニューオーリンズに甚大な洪水被害をもたらした「ハリケーン・カトリーナ」の洪水時の写真です。

そしてそのジャケットから想像がつくように、この洪水災害に対するチャリティと、その災害の事後処理などをめぐる様々なトラブルや、行政に対するプロテスト、の意を込めているアルバム。

でも、じゃあ、それを自分の言葉で作った歌ではなく、なぜ制作時より30年以上前のマービン・ゲイのアルバムのフル・カバーで表現するのか?
一つは、ダーティ・ダズン・ブラスバンドという永示すとおり、インストゥルメンタル主体の音楽でやっているバンドだから、というのもあると思う。また、これはライナーノーツに書いてあったのだが、マービンが30数年前に発していたメッセージが、この自体に対してもそのまま通用する、まるきり風化していない、というバンドメンバーの意志があったそうだ。メンバーのうちの何人かが実際に被災している、というのも大きいと思う。当事者でなければ分からないこと出せないこと、たくさんあるはずです。

このアルバムはすごくよい。
まず、当然の話だが、音楽としての強度がものすごく強く、高いところにある。楽曲自体は、「名作」と言われている作品のカバーなのだから、いいのは当然としても、その名作に対するリスペクトにプラスして、マービン版にはないような危機感や切迫感、そして声高に訴えるだけではない、やるせなさやどうしようもないという感覚も詰め込まれている。そこがぐっと来る。
各曲ごとにゲストヴォーカリストを起用しているのだが、白眉は1曲目のタイトル曲「ホワッツ・ゴーイン・オン」。パプリック・エネミーのチャック・Dを迎えてのラップでのバージョンになっている。僕はラップはほとんど聴かないし、よく知っているわけでもないけれど、パブリックエネミーは好きで数枚持っているから、余計嬉しかった。
このラップが洪水後の状況に対する、静かな怒りとやるせなさが感じられて、すごく来る。全編素晴らしい出来なのだけれど、はじまりがこの曲でなかったら、この演奏でなかったら、アルバムとしての聞こえ方もかなり変わっていたと思う。

そしてこのアルバムをリアルに感じてしまうのは、単純に音楽的なすばらしさだけでなく、1年前に起こったことが自分たちや地域のコミュニティにどんな影響を及ぼし、それは何を意味しているのか、ということをメンバー自身が(何せメンバーも被災しているし)、当事者として真剣に考え、それを「ホワッツ・ゴーイン・オン」という器を借りつつ、どう表現していけば届くのかということとこれ以上はないという切実さを持って対峙しているからなのだと思う。きっと僕はそこに感動しているような気がする。

多分、ぼくが「東北応援行商ライブ」なんてことをやっているのも関係しているのでしょう。
特に災害から1年半が経ち、当然ことながら被害のなかったところでは痛みも記憶も薄れ。それは当然のこととして、でも、何らかの助力や気持ちが必要なのもまた、間違いのないことで。
たとえば、「東北頑張れ おーいえ~」みたいな曲を書く気はこれっぽっちもない。でも、このダーティ・ダズン・ブラスバンドのアルバムを聴いて、すごく力づけられたことは間違いないです。僕にはそんなことはたまにしかないのだ。
よかったよ。このアルバムに出会えて。

昨日は、録音、という部分からメジャーとインディーズの差がどう縮んでいったのかというのを見てみましたが、それ以外にはどんな違いがあるのでしょうか?

・アーティスト育成
・広告宣伝力
・ロジスティックス=流通経路

大まかにいってしまうと、上の三つではないかと思います。
最初に挙げた、アーティスト育成は、レコード会社、というよりも今はどちらかというと、「事務所」の仕事ですね。身もふたもない言い方をしてしまえば、売れそうな人材を見つけてきて、しかるべきトレーニングを施し、売れそうなものを作り上げる。
こう書くとホントに「なんだ、金ばっかりかよ」となるかもしれませんが、これを工場の製品と置き換えるとよく分かると思います。売れない見込み100%のものを作って売ろうという人はいません。
まして、本人が立ち上げたものならとにかく、他人の事務所に所属しているのだったら、アーティスト本人と、その周りの人が最低限、食べていけるだけの収入を上げなければ、話になりません。

ちょっと脱線しますけれど、よくある表現として、「お金じゃないんだ。」という言葉があります。僕だってそういう言い方をするときはもちろんあります。
でも、「そのこと」(何を仕事にしていようと)で、最低限生活できるだけのものを得ようと思っていたら、まずは「売れなければ」話になりません。
よって、お金じゃないんだ、はその世界である程度売れているいる人、お金に余裕がある人のいう言葉です。

でも、音楽性・芸術性とお金のことは必ずしも一致しないのでは?
そうです。そういう場合もあります。ゴッホなどはまさにそうですよね。
自分の描きたい絵を突き詰めていったけれど、生前には評価されず、亡くなって何年も経ってから評価が上がり、その絵は何億ものお金で売り買いされる。
でも、音楽において芸術性と売り上げを合致させている人も、またたくさんいます。
その最大の例として、「ザ・ビートルズ」がいるじゃないか、といっておきましょう。

いきなりビートルズかよ?

でも、それをよりどころにしたって良いんじゃないかな。
たとえ才能や実力では、うんと差があったとしても。

大きな組織の場合、こういうことは分業になっています。
もちろん「アーティスト」が一番表に立つのですが、本人が音楽や表現活動に専念できるよう、他の周りの人が、宣伝をしてくれたり、流通経路を確保してくれたりして、本人がそういうことに関わらなくても大丈夫なようにしてくれているわけです。
逆に本人がすべてのことを仕切ろうとすると、ある程度以上売れた場合、肝心の音楽をやる時間がなくなる、という本末転倒なことが起こりかねません。

言い方を変えれば、インディペンデント=一人、または少人数の組織で「売れよう」という場合、すべてを自分たちでやる覚悟が必要なわけです。

あーなんか脱線しまくりだけれど、大事なことは書いた気ががする。
続きはまた次回に!

最後まで読んで下さり、ありがとうございました。
相模の風レコード いしはらとしひろ でした。



相模の風レコード CD流通・配信サポート