北畠具教の首塚 | 三重県の高校教員Nのブログ

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地理歴史・公民科の教諭が、日課のランニングや史跡訪問の様子等をレポート。

 三重県で第1号の道の駅「飯高駅」(1990年開業。1993年「道の駅」登録)発着で、木陰を求めてランニングしました。松阪市西部の山間部です。

 年に1度は走りに来ていますが、初めて飯高駅から約1㎞の地点に所在する北畠具教(きたばたけ とものり)の首塚を訪問しました。ランニングを中断して、傾斜が急な山道を200mほど登った所にありました。

 北畠具教(1528~1576年)は、伊勢国の国司を務めてきた公家大名・北畠氏の8代当主です。1569年、居城だった大河内城(現・松阪市)を織田信長に攻められて敗北し、織田信長の次男・信雄(のぶかつ)を自身の子である北畠具房の養嗣子として家督を譲りますが、のちに信長らに謀られて自刃しました。これにより、北畠氏は織田氏に完全に乗っ取られました。
 なお大河内城(おかわちじょう)の跡地は、松阪市の中心部から国道166号線で飯高駅に向かう途中に所在します。

 伊勢国は、織田信長が活躍した尾張国・美濃国・近江国・山城国(京都)から近い場所にありますが、高校の日本史の教科書には、織田信長の伊勢国での動向は「伊勢長島の一向一揆」(1574年)以外は登場しません。細かすぎる内容ということになるのでしょうか。尾張国・美濃国・近江国・山城国での動向は教科書必出なだけに、残念な気持ちもあります。納得していますけど…。

[写真は、三重県松阪市飯高町野々口の「北畠具教の首塚」]
(2024.7.21撮影)