最近、とある本になるほどと思うことがある。
一昔前にはやった本なのだが、キャッシュフローの概念の大切さを訴えるものだ。

自分にとってのファイナンススキル・知識がまだまだ何もないことに改めて考えさせられ、勉強することに目を向けさせてくれた。
そういった意味でとても感謝しているし、新たな視点に気づけたことは自分にとってはいい機会になっている。

その本の中でネットワークという言葉出てくるのだが、日本ではおそらく謝った理解がされている人が多そうだ。

著者が言っている内容はマーケティング上で定義されているネットワーク効果の意味合いだろう。

それは使う人が多ければ多いほど効果的になるというもの。
LINEやFacebookは周りの人がいっぱい使っていると使いたくなるだろうし、使わないと連絡の手段が人と異なることになってしまうなんてことになったりする人もいるだろう。

サービス提供側からみると人を増やすことこそ、最重要な価値のひとつになるのだ。

自動車やテレビ、ゲームや音楽などは自分が利用することにこそ意味があり、人とのつながりの側面はとても小さい。

いわゆる、ねずみ講の様に金品を出させるつながりを無限に作るということとは概念が違う。

同じ書籍でも、受け取り方、理解の仕方がほんと人によってこんなにも違うものなんだと。
別の意味でも勉強になった本。

自分が正しい知識と言葉を持つことって本当に大切。
情報を正しく適切に拾える人。
ただただ情報を拾うけど、使えない人。
そもそも情報を拾えない人。

みーんな違うけど、違いは自分で考える力があるかってとこだろう。

若いときに養いたいのは、そのスタンスとスキルだと思う。
処世術とか、上辺の知識、上辺のコミュニケーションスキル、給料、ステータス、失敗しないこととか自分からみるとちと優先度が違う。

そういう微妙なずれは、大きく表面化せずに頭を蝕み、気づいたらイケてない人になっちゃう。
少なくないけどね。
保身、人からの情報を鵜呑みで自分の意見の様に言うひと。批判しかせず、行動できない人。自分視点でしかない人。

・・・あ。キャッシュフローのことはまた自分なりに整理してみたいと思います。
それではまた。
コミュニケーション。
相手とうまくやり、自分のやりたいことを達成できる様にもなってきて自信もあるという人でも、うまく廻すのがとっても困難な場合がある。

それはその人にとっての思考する時にベースとなる一番の軸が違うときだ。

たとえば、企業で規模拡大や改革することを軸に行動している人と、今見えている局面で問題を回避しようとする人とは決定的に衝突することが少なくないはずだ。

変革には常にリスクや問題がつきまとう。
そして時間やリソース、そして能力にも限りがある。
最大限の努力を尽くすのは前提としても、リスクや多少の問題を覚悟して踏み出す必要がある。

そんな時に後者の人には理解できない。
頭では理解できるかもしれない。
でも感情的に嫌だと思ったら人はあら探しで否定を使用とする。本人は気づいてないことも多いだろうが。

リスク察知能力が高い人との違いは「建設的であるかどうか」ということだ。
もちろん、問題の指摘はとても重要だ。
だが、それは何のためか?
ストップするためか?ゴールに向けて進むためか?

結局、その人にとっての心に紐づく問題だ。
だからこそ、なかなか中短期には解決が難しい場合も少なくない。

相手が決定的なキーマンならば、時間と労力をかけて対面する必要があるかもしれない。
そうでないならば・・・、最小限のタスクはするが無視せざるを得ないのだといまでは考える。

もちろん理解をし、同じ志で同じ目標に進みたい。
しかし、そうなるのには心を変える必要があるとなると、それはスピードが求められる世界では”不可能”になる。

理解できないものは同じ船には乗れない。
理解し合えない人間は非情でも一線を引く、または切り捨てるという判断することもとても大切なことだ。
もちろん、そんなことは望んではいなくとも。

時間をかけて労力をとして、その問題児を変えようとすることは本当にゴールにつながるのか?
その場で仲良しクラブをすることが本当にいいのか?
冷静になると、全くそうではないことが分かるはずだ。

この問題には自分のコミュニケーション能力を超えた部分で心情的な強さを必要とする。

実は最近の実体験に基づくものだ。
自分にとって考えを大きく変えたことだったので、ここに記載しておきたい。

それでは。
古き日本人の意識だろうか。


否。
今も脈々と継がれているその根性。

実に情けない。

なぜ横並ぼうとするか。
逆になぜ人が突出することを認められないのか。

それは自信がないからだ。
まず間違いない。

その人が優れていると自分の存在価値がないように感じる。
その人がいい評価を得ると自分はもう上には行けない。

そんなダメ人間の思考回路が透けて見える。

コンサル時代にはそれぞれが自分に自信をもって、意見を主張していた。
もちろん、間違うことだってあるだろうし、不十分な思考をしてしまうことはある。

でもそれを認めていた。
自分も他人も。

そして、無駄に自分の論理に固執はしない。
なんとなくとかで歯を食いしばるばかはいなかった。

でもそれがあるのが多くの日本のコミュニティではないだろうか。

妬み、嫉み。
足の引っ張り合い。
陰湿ないじめ。陰口。

自分に自信がなく、すぐに人の思考に乗る。
0から自分で考えることができない。
またはいくつもの1をつないで自分のストーリーに昇華できない。

そんな情けないやつらに接することが、今の会社ではほんとに多い。
だが、そんな奴らには気づくことは一生できないだろう。

「空気を読む」
ほんとに気持ち悪い。

自分の意見も質問もできないようなやつが何を言っているんだと思う。


自分に圧倒的に自信をつけるべきだ。
それは何かの領域、コミュニティでトップになることかもしれない。
ある一定のスキルを身に着けることかもしれない。

できる人は、足をひっぱたりしない。
そして、そういう行動をする人のことは、回りからはかなり明確に分かるんだよ。

そう伝えたいものだ。