(前項から続き)

真実の姿は、ときに寓話という形によって、なによりも明せきに描写されることがある。この物語りはまさにその真髄をつくもので、最高傑作のひとつであろう。 
ライオンの子供は、羊の社会のなかで育てられた。

自分の本性がライオンであることを知らず、むしろ羊のなかの一員たろうと努力している。 

だが、なにかがフィットしない。 なにかがすっきりしない。 

成長するにつれ、ほかの羊とのちがいがはっきりしてくる。 
鳴き声のトーンがちがう。 たてがみの体毛はふさふさしているが、ほかの羊のように全身が長い体毛でおおわれているわけではない。 

比較すればするほど、自分は「醜い羊の子」だと思う。 

だが、どうしようもない。 

自分が羊だと思っているうちは、あれこれ努力してみる。

そして、シシュフォスの神話のように不毛な努力のなかで、疲れ果てていくのだ。 
これはライオンと羊のたとえを使いながら、人間の本質と現実のあいだに形成されるゆがみの構造を描写している。 

寓話のなかではライオンは一頭だけだが、実際には羊はすべてライオンである。

ライオンの群れがすべて自分は羊だと思い込んで、メエーと鳴き、草を食べている姿を思い浮かべてもらいたい。 

それは、実際、奇妙な光景にちがいない。 

しかし、それが人間におこっている現実でもある。 
 

さきに、「オニオン・ピーリング・ヴィジョン」という変容のプロセスを紹介した。 

それは基本的に、今のあなたはさなぎであり、内的変容をとおして成長していくことによって、ある日「さなぎ」から脱皮して「蝶」になるという視点だ。 

そのためには、瞑想、奉仕、祈り、ハタヨガ的な肉体と呼吸の修練などのワークが必要だ。 

あなたはそのワークをとおして、より精妙で崇高な境地を達成していく。 
この視点にたいして、この寓話はもうひとつ別な視点を提示している。 

自分を羊だと思い、羊の社会に順応しようとしているライオンが、その本来の自分というものを得るためには、なにも特別なものを必要としない。

たんに目覚めることが必要なだけだ。 

夢のなかで苦しい思いをしているとき、それを解決する最良の方法は夢からさめることである。

一瞬にして、「あ、なんだ、夢だったのか!」と我にかえる。 

真実を、直接あるがままに、<観る>ことが必要なのだ。 
若いライオンは、水面にうつった自分の姿が大きなライオンと同じものであるのを見た瞬間、自分本来の姿を悟った。 

そこに時間は介在しない。 

そこにプロセスは介在しない。 

それがはっきりわかった瞬間、「ガオー!」というライオン本来の雄叫びが自然にわきおこった。 すべての疑いが氷解し、「これが私だ!」という了解が全身をつきぬけた。 そのとき、ライオンだと自覚したライオン本来の咆哮(ほうこう)が、青空にひびきわたった。 
その瞬間、なにがおこったのだろうか? 

その一瞬前まで、ライオンは羊だった。 

その瞬間から、ライオンはライオンである。 

この十分の一秒間ほどの<一瞬>あいだに、さなぎは蝶になったのだろうか? 

否!、である。 

この一瞬のあいだに、ライオンはなにか特別な成長をはたしたのだろうか?  

否!、である。 

このように短い時間のなかで体験できるものなどなにもない。 体験するためには時間が必要である。 

したがって、その瞬間にはなにもおこらなかった。

が、一瞬にして、「わかった!」のである。 
なにかに「なる」ためには時間がかかる。 

だが、「わかる」ときには時間はかからない。 

メガネをかけていながら、メガネをさがしまわっている人にとって、「メガネはもうかけているじゃないか」という一言だけで十分だ。 彼は、「なんだ、かけていたのか」と言って、笑うだろう。

そのとき、彼は新しいなにかを達成したわけではない。 

「あっ!」とわかるときには、時間はかからない。 

彼はメガネを得るためになにかをする必要はない。

なぜなら、彼はそれをすでにもっているからだ。

ただ、それに気づくことが必要なだけだ。 
あなたはすでにライオンである。 

あなたはすでに、あなたが求めている<よろこび>そのものである。 

あなたはすでに<自由>なのだ。 
これは、「ガチョウは外だ!」と叫ぶ禅の師の教えと同じである。 

あなたは深い海底にもぐって、真珠をさがしまわっている。 

だが、真珠はあなたが持っているのだ。 

あなたが持っている、というのもほんとうは正しくない。 

なぜなら、そのとき<あなた>と<真珠>は別々なものになるからだ。 

正しくは、「あなたが真珠そのものだ」と言わなければならない。 
玉ねぎの皮を一枚一枚 むいていった結果として、真珠があらわれるのではない。 

玉ねぎをむいているあなたが真珠なのだ。 

あなたは、それを一瞬にして、<観る>必要がある。 

一瞬にして、<知る>必要がある。 
真珠は、今、この瞬間、完璧な姿でここにある。 

あなたはそれを知らなければならない。 

玉ねぎの皮をむくのは、時をかせぐ方便にすぎない。 
あなたが真珠そのものだと宣言するこの視点のことを、「パール・ビジョン」という。

 ここには成しとげるものはなにもない。 

あなたはすでに<自由>なのだ。 

あなたの本性をはっきり<観た>とき、あなたはライオン本来の雄叫びをあげるだろう。それを獅子孔(ししく)というのだ。 

それは真の祝祭であり、つきせぬ光明(生)のはじまりでもある。 

 

 

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