(前編から続く)
最近、友人にすすめられて「アルケミスト」という本を読んだ。
それは、羊飼いの若者が、夢のおつげを信じて、スペインからエジプトまで宝をさがしにいくという物語りだった。
エジプトに着いて宝の埋まっている場所を掘っていると、盗賊に身ぐるみはがれてしまう。そのとき、盗賊の首領が若者に自分の見た夢の話をするのだ。
スペインの教会の木の下に宝が埋まっている、という夢だ。
そして、その教会は、若者がいつも羊と一緒に休んでいた教会だった。
エジプトまでの旅のできごとと、最後のどんでんがえしによって、奇妙なおもしろさをかもしだしていたが、その基本的な構図はこの物語りから取り入れられている。
これもかなりポピュラーな物語りで、いろいろな師によって話されてきている。
私は、1980年から2000年頃にかけて、インドを旅しながらさまざまな師に出会ってきた。
あるとき、プンジャジーという師をたずねたことがあった。
当時、彼は80歳をこえており、世界中からあつまる人々にパパと親しみと尊敬をこめて呼ばれていた。
インドで年長の人を呼ぶときには、名前のあとに「ジー」という敬語をつける。それで、彼は「パパジー」と呼ばれていた。
プンジャジーに初めて会ったときの印象は、まったく意外なものだった。
彼は、大柄な身体を付き添いの人にささえられて、会場に入ってきた。
そして、壇上の椅子に「どっこいしょ!」というかんじで腰掛けたのだが、それはどう見ても「肉屋のおっちゃん」といったかんじで、優雅さとは遠くかけ離れたものだったのだ。
その当時、私には、悟りをひらいた師はどことなく優雅でうつくしいものだという思い込みがあったので、「なんじゃ、これは!?」とがっかりした記憶がある。
彼はどう贔屓目にみても、普通の人以上には見えなかったからである。
しかし、それは後になって、なににも代えがたい贈りもの(ギフト)となった。
どうみても普通の人にしかみえない、というところがである。
そのときは、「遠路はるばるやって来たのに、なんだ、ただのおっちゃんか!」と少しがっかりしながら彼の話を聞いていたのだ。
ところが、人々が彼のまえに進みでて質問しだすと、場の雰囲気が一定方向に収束していき、さまざまなことがおこりはじめた。
ある人は泣きだすし、ある人は沈黙のなかに入ってしまう。
ある人は感動しながら、「そうです(イエス)、そうです(イエス)!」と言うばかりだ。
ほんとうになにがおこっているのかは、当の本人にしかわからない。
しかし、それは私の魂の琴線にふれて音色をかなでるのだ。
私はすっかり魅せられていった。
彼の仕事(ワーク)ぶりは、まるで年期のはいった職人芸のようだった。
刃物の切れ味がよく、かんなをかけたあとがスパッと切れて、光沢(つや)があるというかんじだ。
彼はラマナ・マハリシの弟子で、主な仕事(ワーク)は「私はだれか――?」という問いに基づいている。
しかし応答はつねに生き生きとしていて、ユーモアと機知にとみ、目を離せないほど興味深いものだった。
あるとき、一人の男性が進みでて質問した。
「パパジー、あなたはだれですか?
そして、私はだれですか?
私とあなたの違いはなんですか?」
プンジャジーはクックックッと彼独特の笑いを見せながら、しばらく笑ったあと、
「あなたと私のあいだにはなんの違いもないよ」と言った。
男性はその答えに満足せず、つづけた。
「パパジー、私はオランダからあなたに会うためにインドまで来ました。でも、あなたは私に会うためにオランダまで行かないでしょう。どこかに違いがあるはずです」
なかなか的をえた突っ込みだった。すぐれた問いには、すぐれた答えが返ってくるものだ。
「オーケー」と一息ついたあと、プンジャジーは言った。
「あなたのなかには、自分自身にたいする<疑い>というものがあるはずだ。そうでなければ、こんな遠くまで私に会いにやってくるはずがない。
この<疑い>が旅をさせるのだ。私には<疑い>がないから、どこへも行かない。そのほかに違いはないよ」
プンジャジーは、その<疑い>はここにある、と頭のところをゆびさして、愉快そうに笑った。
またあるとき、「悟りとはなんですか?」という質問に、やはりクックックッと笑いながら、
「疑問符というのはマインドのなかにあるだけで、実存のなかには存在しないものだ。
いいかね。私の言うことに、ちゃんとついてきなさい。まず、最初にもう一度質問をくりかえしてごらん」と質問者にうながした。「悟りとはなんですか――?」
と質問者が繰り返すと、プンジャジーが言った。
「<何>と<か?>という疑問符をまず落としてごらん。そうすると、なにが残るかね?」
「悟り・です」
「そうだろう?
つぎに、<悟り>という概念もマインドのものだから、落としなさい。そしたら、なにが残る?」
「・です」
「そうだ。私は医者です、彼は風来坊です、あなたは主婦です、どんなものがその前に来ようと、この<です>という基本形は変わらない。
なあ、わかるだろう?
この、<です>、ただ在る、というところから一歩も先に出ないことだ。
そうすると、それは変わることなく、動くことがない。
いいかね、ついてきているか? わかるかね?」
サットサン会場に静けさが広がり、深まった。そして、しばらくしてからプンジャジーが言った。
「・・・じゃあ、最後に、それも落としなさい。そしたら、なにが残る?」
「・・・なにもありません」
「そうだ。それだ!無だ」
「えっ!?・・・」
「なにもない(Nothing)」と否定的に言った同じ言葉が、満面の笑みとともに「無がある」と肯定的に切り返されて、一瞬マインドがストップしたのである。
質問者は、深い沈黙のなかにはいっていった。
パパジーのやりとりはつねに絶妙だった。
言葉を羅列しただけでは、その味わいの90パーセント以上は失われてしまう。
私自身もときどき彼の前に座って、質問や対話をしたが、いつのまにか内側から力強い気が満ちあふれてくるようであった。
その秘密は、クックックといかにも面白がっているような笑いのなかにあるように思えた。
記録にのこされた師の言葉と、生きている師の言葉とのあいだには、同じような言葉であるにもかかわらず、千里のへだたりがある。
それはいかんともしがたい真実である。
だから、昔から生きている師をさがすことが探求者の重要なプロセスだったのだ。
経典というものは、ほとんど、それが目のまえでおこったときの感動の記録なのだが、記録されたあとには、むなしい「文字」が残るだけで、
ほんとうの「できごと」は消えてしまっている。
それは、四季折々の会席料理を、外国の日本料理店で食べるようなものである。
舌が恋しがっているから、それはそれなりにおいしいだろうが、その季節に日本独特の自然環境、温度や湿度のなかで食べるそれとは、質的に異なっているのはやむをえまい。
生きている師が、生きている状況のなかで繰りひろげるエネルギーの場(フィールド)は、過去の師たちの記録と質を異にする。
生きた師とやりとりができる機会にめぐまれたら、なにをおいても逃してはならない。
あるとき、プンジャジーがこの話をしたことがある。
彼は場所や人の名前は省略して、もっと単純な形で物語りを話したあと、こう言った。
「見張りの男が『エイシクの家の暖炉の下に、宝が眠っている!』と言った瞬間、それを聞いただけで、もう踊りださんばかりにうれしいだろう?
そして、家に帰るあいだじゅう、そのうれしさは増していくばかりだ。
最後に我が家に着いたときのよろこびはどれほどのものだろう? 想像もつかない。
道具を取り出して、暖炉の下を掘りはじめるときの興奮、その宝の壷にカチっとあたったときの感動、そして掘り出して、実際に触れたときのよろこび、
至福、感謝・・・、それはもう言葉をこえている。
そして、実際のところ、これには時間はかからないのだ。一秒でも長すぎる。
聞いた瞬間、ハートの奥にもどれば、カチっと音がして、宝はそこにある。
ああ、なんてすばらしいんだろう!」
聞いているだけで、うれしくなってくるような彼の話しぶりであった。
宝は実際に手にしたときにのみ、よろこびがわいてくるというものではない。
宝はあなたのものだ、と聞いただけで、どれほどのよろこびわいてくるだろう?
そして、そこへ向かう旅のよろこび・・・それはつねに我が家にもどる旅である。
それを、一休は歌う。
「有露地より無露地へかえる一休み
雨ふらばふれ風ふかばふけ 」
うれしさに歌い踊りながら、あなたは叫ぶ。「なんだ、そうだったのか!
宝は最初から私の家の中にあったのか。
なんてことだ。なんてすばらしいんだ!」
そして掘り出した宝を、目のまえにしたとき、あなたは言葉を失うだろう。
あなたは至福のなかで沈黙するだろう。
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