た。




  海外演奏旅行、



新人の私は暇でしたので海外なね演奏する事が常な時代でした。


私は、インドネシア35日、マレーシア25日、オーストラリア、30日みたいな長いつあーでした。



若かっ私は


シドニーでゲイバーを探して行きましたが、刺青てマッチョで怖いくらいの白人はこわかったです。

その前に君いくつ?

と幼く見られてむかついてました。


欧米の演奏会はディナーの後くらいの時間からですから日本みたいな早起きはなかなかなく、らくでした。


お話は戻りますが、世界大会のカナダでは観光もありナイアガラの滝にも行きました。



あっかんでした。





オーストラリアでのゴールドコースト、


加曽利氏との世界大会の、ゲストでシンガポールに行って、本番前にマーライオンも見ましたが、つまらなかったです、笑


死ぬまでにニューヨーク、イタリアち行きたいです。



  ミュージカル【アニー】との出会い




加曽利氏とのお仕事はそれは沢山ステージかわありました。

今で言う【JK】向きの雑誌や、FMの出演、曲集なと、正にアイドル並みの忙しきで勘違いしてた自分もいたような気もいたします。

なんと為に今のお仕事をやってるのかわからなくなって担当マネージャーに八つ当たりして泣かしたこともありました。



それを許してくれた事務所に謝りたいです。



今更ですが、本番にごめんなさい。




そんな中でミュージカル【アニー】のオーケストラの中でエレクトーンを入れてその中で演奏してみないか?

というお話があり、正直、【アニーすらない知らず】


おまけに春公演、夏公演、合わせて80回くらいでした。


お金に目が眩んでやりました。




  アンサンブルを知りました




エレクトーンは全て1人で完結出来ます。【1人オケ】になりがちなのでオーケストラの中ではその中で【爆音】を出すと嫌われます。

最初は【うるせーな!】と、思い無視してましたが、録音を聞くと、確かにオケ全員の時にエレクトーンだけが吐出してるとこちら気づき、【バランス感】の大切さは、今でも心がけてます


何十回やっても【同じ舞台はない】

【心地の良い緊張感】に夢中になってい田打ちに20年以上やつまてました。



  え!?私が指揮者?


アニーは様々な【紆余曲折】がありキャストやオーケストラメンバーにも色々な場面がありました。

いつの間にがベテランな方にはいってました。

当鯖の偉大な指揮者に可愛がってもらいアニー以後のミュージカル、それより指揮者がお辞めになっ後の指揮者に抜擢さてました。



【物凄い重圧】でした。


その分、メンタル少し強くなれました。


この場をお借りさせて抱いて


本番にありがとうございました。



ご存知ない方もいらっしゃると思いますが、


オリジナルミュージカルをFUNKYFOXで音楽担当し、今はなき、新宿シアターアプルでの公演もやらせて頂きました。



良い経験でした。




本当にも【あり得ない景気がいい経験に】感謝です。



  クサクサしてました



私は20歳からデビューして、アルバムも出して、ラジオ、テレビ出演、何と無くな物足りなさと、何のために私がいるのか?


反抗期?とは違う気持ちがありました。


  新しいマネージャーとの出会い




時は好きで


気づけば私は30歳になってました。


デビュー10周年。

私は故郷で記念コンサートをやらせて頂きました。

そこには私の母校の【佐世保北高校】OBには、作家の【村上龍】様もしらっしゃいます。

そこで北高校のフワラスバンドとよ共演をやらせて頂きました。

【時経】とフワラスバンドのコラボのアレンジは【加曽利康之】様でした、




本当にありがとうございました!


お客様も満員で、他界した【母】への街宣コンサートでした。



  セルフプロデュースに向かってました。