です。



  クサクサしてました



私は20歳からデビューして、アルバムも出して、ラジオ、テレビ出演、何と無くな物足りなさと、何のために私がいるのか?


反抗期?とは違う気持ちがありました。


  新しいマネージャーとの出会い




時は好きで


気づけば私は30歳になってました。


デビュー10周年。

私は故郷で記念コンサートをやらせて頂きました。

そこには私の母校の【佐世保北高校】OBには、作家の【村上龍】様もしらっしゃいます。

そこで北高校のフワラスバンドとよ共演をやらせて頂きました。

【時経】とフワラスバンドのコラボのアレンジは【加曽利康之】様でした、




本当にありがとうございました!


お客様も満員で、他界した【母】への街宣コンサートでした。



  セルフプロデュースに向かってました。



時代は進み、エレクトーンならEL900でした。

個人的にはレッスンのお仕事も増えましたが、事務所の、ボスからはレッスンはやるな!

と言われましたが、「生活がありますから!」とワガママを聞いて頂きました。



これは今でも譲れません。



新マネージャーとは年も近く、何でも会話できました。それこそ一緒に新宿2丁目でものんでました。

そんかこんなで私を探ってくださったのがそのマネージャーでした。



エレクトーンの月刊誌の対談、

セルフプロデュースLive


『蜜会』が産まれました。


毎回《新曲》を入れて、そこから《ソロアルバム》をリリース!



早、10回を終わらせる事が出来ました。

御世話になってワガママを聞いて下さった皆々様。本当に本当にありがとうございました!


同時に曲集も出せました。

しかしなかなか知らない曲ですから「難しくて」などとのお叱りの声も頂きました。


この場をお借り致しまして

ごめんなさい。


  一方恋愛事情。

二頭負う者、3頭追ってた事も、




最低な事もありました。

私は35歳を超えてました。

《人生のモテ期》


《勢い》かわありました。

大阪と東京に好きな方がいて!マメにあそんでました。


余計な情報ですが、

私は【水商売】の人がタイプてしたが、カウンターは、【ベルリンの壁】でした、


かれの部屋にサプライズで言ったら別の段差と寝てました。



いい思い出いでです。



【恋愛もゲイの糧】


今でも同じ考えです、ら




  ストレスに対談が負ける年頃になったような気がします




よく目上の方とお話しするときに最後「体調だけには気を付けてね」

なんて言われますが、素直でない私は【うるせ~な】と心の中で言います。



しかしながら最近

椎間板ヘルニアになり車椅子生活が1年を超えました。



【橋本病】という【甲状腺】の病氣ですが死ぬ病気ではありません。