た。




失恋と、ホームシックから


何気に書いたメロディ、それが【時経】でした。



3日で仕上げました。



恋愛や何かが私を楽曲へみちびいてくれたのでしょうか?


そこで


全日本大会を最優秀賞。

いよいよ【トロント】へ!


  スカウト、そしてデビュー!



カナダは海外なので【時経】というタイトルでは意味が伝わらないから


picturerque  time


【絵画的時間】もいういみです


そして同じく最優秀賞を頂き、パーティで【川野くん、契約しない?】と、!


スカウトでした。

同期には


中村幸代さんがいます、


そして学校は2年で卒座しまして、ヤマハ音楽振興会と契約いたしました。



母には、その事を伝えて佐世保に帰らなくてよかったです、


契約が決まって再び2丁目の日々でした。



  エレクトーンプレーヤーデビュー!



卒座して直ぐエレクトーンのレコーディングのお仕事が入りました。


ナットキングコール。

私な知らなくて、【古臭い】としかおもってませんてわした。

今になってすごくいい音楽と知り合えて感謝です。


デビューと同時に中村幸代さんとの新人コンサートであちこちコンサートで周りました。



  加曽利康之氏とのユニット



今とは違い

景気も良くて北海道のお仕事は、前日に入って、翌日の本番、そして打ち上げして泊まって翌日戻りみたいなスケジュールでした。


今はありえまさんよね。


そんな中で私が契約してた事務所では私と先輩の加曽利康之氏とユニットでデビューして、Liveという流れになりました。



  FUNKY FOX  



デビューコンサートは、渋谷の

TAKE OF 7

という場所でした。


それまでのブロデュースはあの【そうる逵】、オールマイティなスーパードラマーです。



当時は【加曽利&川野コンサート】みたいなかっこ悪くていやでしかたありませんてました。



ある日、移動の新幹線の中で加曽利氏と何かユニット名かんがえよう!

と話になり勝手につくりましたが、帰って事務所に呼び出されて叱られました。


  メジャーレーベルで浅倉大介と同時に




ご存知、ユニット、アクセスでおなじみの【浅倉大介】君は同じ年でアルバムも同じレーベル、プロジェクトチームも同じでした。



正直、羨ましかったことをおぼえてます。



彼らは紅白歌な出て、我々は無理でした。




  海外演奏旅行、



新人の私は暇でしたので海外なね演奏する事が常な時代でした。


私は、インドネシア35日、マレーシア25日、オーストラリア、30日みたいな長いつあーでした。



若かっ私は


シドニーでゲイバーを探して行きましたが、刺青てマッチョで怖いくらいの白人はこわかったです。

その前に君いくつ?

と幼く見られてむかついてました。


欧米の演奏会はディナーの後くらいの時間からですから日本みたいな早起きはなかなかなく、らくでした。


お話は戻りますが、世界大会のカナダでは観光もありナイアガラの滝にも行きました。