この時期は
エレクトーンシーンではコンクールで盛り上がってます

エレクトーンフェスティバルからら、ヤマハエレクトーンコンクール(YEC)があり、最高峰を目指す人は(YEC)を目指します、

今振り返れると私は
インターナショナル エレクトーンフェスティバル

でした、

九州大会から全日本大会。そしてカナダのトロントで開催されたインターナショナルエレクトーンフェスティバルでした。



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ナイアガラの滝もありました。

当時は各国からのエントリー。

世界中からのエントリー


そこに私がでてました。


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当時は本名の川野憲一で


【時経】というオリジナル曲でしたが、世界にタイトルが伝わらず

急遽 【pictueresque  time】、つまり、絵画的時間といタイトルだったんです。

当時の楽器は

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FXー1でした


同年代とかたはおわかりですよね。


あの頃は海外に行ける〜!

くらいのルンルンきぶんでしたが、まさか今のお仕事をやるなんて微塵も思いませんでした。

当時は19歳でしたので、クソガキです。


そして20歳でデビューいたしました。



物凄い数のコンサートでした。

加曽利康之氏との
ユニットのFUNKY FOX  もその後からスタートしました。

インターナショナルエレクトーンフェスティバルのゲスト2でも二人でゲストハプォーマンスをやらせて頂きました。


今となっては全てが良い想い出です。