脚本を書くにあたって最後の詰めの作業で
「いろんな人に読んでもらってアイディアとか、台詞の言い回しを聞いた方が良いよ」
と教授言われて、いろんな人にお世話になった。

特にお世話になったのが、大家さんのパートナーのマイケル。
72歳のじいちゃんなんだけど、この人の人生が凄いんですよ。
正に、事実は小説より奇なり。

完全なるヒッピー。しかも高学歴。
若いときは船乗りで、1950年代の神戸や横浜を知っていて
その後カリブ海の島でカジノディーラーに転職してエルビス・プレスリーやら
ショーン・コネリーやらの一流の客を相手にしていた。
その後イギリスに帰って60年代から70年代にヨガの教室を開いていた。
その頃そこに出入りしてたのがビートルズ!ジョージ・ハリスンとは特に仲が良かったらしい。
そして演劇に目覚めて演劇の名門大学に通い、その後パートタイムで講師を務める。
その頃のクラスメートは今ではロイヤルシェイクスピア劇団でリア王をやっている大物俳優。
それでも役者としては芽が出ず、木目のフロアー修繕会社を立ち上げて、
演劇学校時代の友達の口コミでいろんなセレブリティーの家のフロアを手がける。
で、その頃から物件を買っては転売し、4つの物件を持つ大家として生計を立てて今にいたる。

ふわぁ、ざっと書いてもすごいなぁ。ある意味、作家の頭では描けないような人生を
歩んできてらっしゃる。

60年代から70年代のいろんなイギリスのセレブリティーの裏話が聞けたけど、
それはやっぱり有名人だからと特別扱いしないで普通に接していたマイケルじいちゃんだから
聞けた話しなんだろうなぁと思った。

ジョージ・ハリスンに神戸と横浜の話しをしたら、
「僕たちは日本に行ったけどキッチンしか見ていない」と言って熱心に旅話を聞いていたそう。
有名な話しだけど、来日の際はあまりのフィーバーぶりで、空港から車でホテルに行ってキッチン経由で
ホテルの部屋に行き、公演日までそこに缶詰で、公演日はまたキッキン経由で武道館に行って、
講演してまたキッチン経由で部屋に帰って、次の日帰国・・というスケジュールだったらしい。

はぁ~~~。正に有名税って感じ。

マイケルじいちゃんのようんな人に出会えるのも私の運のうちなのかも知れないけど、
じいちゃんの昔話はかなりインスピレーションになって、脚本執筆に良い刺激をもらいました。

ニューヨークに居たときの大家も博士号持ちのヒッピー女性だったけど、
大家にはこうゆう人って多いのかしら・・。