やはり人間にとって余裕というものは大切だと思う。
余裕がある人は、態度にも現れるし、話し方にも現れる。
では、余裕が生まれる場所とは一体どのようなものなのだろう。
それは、自分の安全圏におけるゆとりかと思う。
つまりは生活のゆとりだ。
それは金銭的なゆとりも含めての話である。
自分の安全圏において、心置きなくリラックス出来る環境が、心の余裕を生むのだと思う。
それが生活にも繋がっていって、態度にも現れてくる。
しかし、金銭的なゆとりだけを持って、人生に余裕が現れるかと言えば、どことなく違う気がする。
お金があっても余裕がなく、窮屈に人生を過ごしている人もいるのだ。
僕の周りにも、そういう人が少なからずいる。
金銭的な余裕があるにも関わらず、窮屈に人生を過ごしている人。
そういう人には共通点があることに気がついた。
それは、自分を信じていないということ。
そして、人も信じていないということ。
自分も、人も信じれないということは、赦すことが出来ないということだ。
自分も他人も赦すことが出来ないのでは、余裕が生まれてくる余地はない。
自分を赦すことが出来ないのだから、自分の嫌なところばかりに目が行く。
それは人に対しても同じで、人を赦すことが出来ないから、人の嫌なところばかりに目が行く。
「私なんて…。」
「アイツなんて…。」
が増えてくれば、それに伴って余裕は削られていく。
常々思うことだが、人が取るに足りないなんてことはない。
そのままの状態でも、充分社会に貢献出来るし、自分の人生を楽しむことが出来るし、人も赦すことが出来る。
ありのままでも充分なのだ。
「私なんて…。」は元より、「アイツなんて…。」ということもない。
あなたはあなたのままで充分だし、あなた以外の人も、そのままで充分だ。
それを踏まえた上で、人は変えられないのだから赦してしまった方がいい。
性格が合わない人がいるなら、それはその時点で赦してしまえばいい。
性格が合わない奴がいることに気づいた自分を褒めてやればいい。
合わない人がいるからといって、その存在を赦せば、人生が悪い方に向くことなんてない。
と、いうよりも、あなたが悪いわけではないのだ。
みんなが充分に足りていると考えれば、それはそれで良しとできる。
決して人を変えようなんて思わないこと。
自分と性格が合わない人は、それはそれで完成して、完結している出来事だと思えば、それで全て終わる。
そういう風にゆとりを持って考えていけば、余裕が生まれてくる。
安全圏はより安全な環境に出来る。
性格が合わない奴はいるけど、ソイツが自分の安全圏に侵入してくると思わなければ、あなたの安全圏は保たれるのだ。
ありきたりな言葉だが、心配事の9割は起きない。大丈夫だ。
いつでもどこでも自分自身や人を信じて、人生を歩けばそれで心の余裕は生まれ、ゆとりが生まれる。