こんにちは。おねがい

 

今日は

「アトピーと共に命まで脅かした22種の副作用もあって、

幼い頃の記憶はアトピーばかりでした。」

 と語っているある方の物語りです。ニコ

 

 

 

 

私はアトピーと共に生まれました。

 

 

 

 

幼い頃病院に熱心に通って見ましたけど

治療を受けてもよくならないし、ますます悪化して行きました。

幼い時は病院に通った記憶しかありません。ショボーン

 

 

 

 

 

当時には勉強どころか寝るのも大変でした。

それでも私は夢を実現するためにアトピーと

戦いながら一生懸命に勉強して

ヨンセ大学校(延世大学校)建築科に入学しました。びっくり汗

 

 

 

 

 

建築の勉強はとても面白くてぴったりと私向きでした。

 

 

 

 

それなのにその時から次第に副作用が現れ始めました。ゲッソリ

 

21歳には網膜剥離症、葡萄膜炎のため実名に至るところだったんです。

24歳には激しい2次感染が来て応急状況でした。

 

 

そして

 

偶然に韓医学的治療が知るようになって

 

 

 

 

 

その治療以後に私は生まれて初めて

私の滑らかな肌を触って見る事ができるようになりました。

 

 

’韓医学的な治療にもうちょっと早く出会ったら苦労が

少なかったはずなのに。。’

と思います。

 

 

 

韓医学は私において単純な専攻や職業ではなく

私を治療するために選択した学問でした。

 

 



 

私において平凡な日常はその自体が奇跡だと思います。

それで韓医者になって毎日診療できる事に感謝しております。

私はアトピー治療希望になりたいです。

 

 

 

生まれた時からあったアトピーのために

夢を成した後でも生命まで危なかったこの方は

平凡な日常生活と言う奇跡を与えてくれた生気韓医院と

今は一緒に皮膚疾患の患者さんたちを助けています。

以上生気韓医院のノウォン店のチョンダイウン院長の体験談でした。ニコ

 

ラブラブここまでご覧下さって真にありがとうございます。ラブラブ

 

 

 

 難治性皮膚疾患のために悩んでいらっしゃる患者さんと

その家族さんに生気韓医院が一緒にします。 

 

 

音譜難治性の皮膚疾患に関してお問い合わせはこちらへどうぞ音譜

LINE ID : saengki