「母が嫌いでも感謝は出来る」の巻 | ユッキのブログ 社会がわたしに不適合!だからムダさえない日常

ユッキのブログ 社会がわたしに不適合!だからムダさえない日常

メガネ茶髪ジーニストの陽気な陰キャ、ユッキです。
常々なんで?と思うこと、体験談など楽しくおかしく書いております。
ごゆっくりどうぞ☕︎

皆さま、こんばんは流れ星




今日は母の日。
お母さまがいらっしゃる方は
贈りものとか
ごちそうとか
なさったのでしょうかね?








私は、亡き母にお線香を上げました。
お花も買って飾りたかったけれど、
次にお買い物に出かけたときにします。





ただ、仲良しだけが人間じゃない。






母親との関係が
あまり良好とはいえない方も
世界にはいらっしゃるかと思います。






実家の母がこうすべきだを押し付けてくる
とか
義母と信頼関係を築くのに苦労されている
とか
言葉や暴力で酷い目にあわせてくる
そういった関係性の場合は
ご無理をなさらないでほしいです。






いまはコロナ禍にあって
会いたくても会えない事情は
お互い分かり合えるはず。
それでも顔を出さないなんて酷い子だ
と言ってくる方もいらっしゃるそうですね。

もう仕方ないですよね。
そういう気質の人だから。
なんとでも言わせて
気が済むまで毒を吐き切ってもらうしかない。

その毒は吸い込んじゃいけないよ。
自責になってしまうから。







それでも、大好きな存在だったり
どうしても認めてほしい
と思う気持ちもわかります。






自分と母親との関係がどんなものであれ、
会ったことすらなかったとしても
生まれるときに亡くなられたとしても。

この世界に自分を産んでくれたことに
感謝する。

それが、母の日じゃないかと思います。




ニヤニヤニヤニヤニヤニヤあ、





何がなんでも感謝しろっていうのも
なんだかおかしいよね。





うーん、感謝どころか
生まれてきたくなかった
と思ってしまったっていいよね。
思っちゃったものは取り下げなくていい。
私もそんなふうに思った時期がある。





感謝しないまでも、
自分と母、ご先祖さま
そのルーツや確率を考えてみる。
そんな日でもよかったんだよね。

母親が産んでくれたからではあるけれど、
もちろんそうだけど、
自分がここまで生きてこられたこと
この奇跡はすごいもの。
でも生きてくるためには
生まれてこなければいけなかった。
ムムム、
感謝と言わずになんと表現するか。







すごいこと?





ある日突然、母がいなくなって。
どうして私は、母の存在、
ありがたみにフォーカスできなかったのか。
いなくなったことをコレクションするほうに
自分の命を賭けてしまった。
私の家族は普通じゃない。
それを望んだのかもしれない。
どうしてかは、もっともっと
自分に聞いてみるけれど。





母に感謝する=母を好き
である必要はないし、
母が嫌い=母に感謝していない
ことにはならない。






また後日、書いちゃいますが
このへんの話のすり替えで
伝えることに苦戦したネタがあります。







母さん、産んでくれてありがとう。






テレビCMの美談のような母の日は
実際5回くらいしか出来なかったけれど、
いつもお料理を作ってくれてありがとう
とか
改まってお礼と感謝を伝える日でもいい。
母の日だけ、子どもがご飯を作る必要はない。
いつも、ご飯を作ったっていいと思うし。







どんな母親だって完璧じゃない。
そりゃそうだ。
人間は完璧に創られていない存在だし。
だのに求めていたなぁ、母に
他所の母親のようにしてほしいと。
母も母で私に
他所の子みたくなってほしかったのと
おあいこでやんの。











母の日
すべての母親たちに
おめでとうウエディングケーキ





お読みいただき、
ありがとうございます花束





カーネーションの絵を描いたよ
かーらーのー投稿