皆さま、こんばんは宇宙人くん
 
 
 
 
もう一本だけ、
お付き合いくださいませ。
 
 
 
 
 
先日の記事のリブログです。
 
 
 
 
 
先日、雨が降らないうちにと
夕方スーパーに買い出しに行きました。
我が家には車がなく、徒歩。
お天気は結構重要です。
 
 
 
 
 

 
私はわりと、
スーパーの店員でも、
バスの運転士でも構わず
「ありがとうございます」
と言うことにしており、
お会計中も現金を出すのに
手こずったり滞ってしまうと
ちょっとおどけたりします。
 
 
 
 
 
 
それって、何故かといえば、
人が好きだから。
コミュニケーションが好きだから。
何かその場にあるものを
面白いものを
楽しいことを
誰でもいいから
分かち合いたいのかもしれません。
(自分が好きなものや好きな人の魅力は
一切分かち合いたくもない変人なのにね)
 
 
 
 
 
サッカー台で
買った商品の袋詰めをしながら
「それって、うちの父もそうだったなぁ」
と思い出し、
家に続く坂道を登りながら
「あぁ、そうか。
構ってくれる人が他所にはいたのか」
とほっと安心するのと同時に、
同居していた頃に、
もう少し
優しくできたらよかったなぁと反省。
 
 
 
 
 
私のここ一年半の特技、後悔です(笑)
 
 
 
 
 
 
でも、もう遅いし。
でも、いま伝えればいいし。
都合よく生きていたっていいよ。
 
 
 
 
 
 
他所で、
釣り仲間や、友達や
ファミレスの店員の○○さんや
スーパーの店員の皆さん、
かかりつけの病院の受付の方や
調剤薬局の事務のお姉さん…
いろんな方に優しくしてもらえたから
いいじゃないか、
やっと、そんなふうに思えたんです。
 
 
 
 
血が繋がっているとか他人とか
そういうことすら飛び越えて、
人間関係が成り立つ瞬間がある。
 
一期一会、もう二度と会う事はない人、
知り合いのあの人、友達のあいつ、
そんなふうに、
よそん家の人だからこそ
自分の家族よりも優しくできたり、
期待しないで接することができたりする。
 
 
 
 
 
そういう関係性のなかで、
たまたま、父がおどけたその瞬間に
立ち会ったお客さん、店員さんは
ラッキーかも。
「またあのお客さん…💢」
と、お店の人に嫌われていると
勝手に思っていた私は
父に謝らなきゃいけないね、
本当、ごめんね。
 
 
 
 
 
 
 
大丈夫。
 
 
 
 
 
人はそこまで見られていないし、
よっぽどでなければ、
好かれも嫌われもしないで
当たり障りなく付き合っていけるもの。
 
 
 
 
 
 
気にしすぎはいかんね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
奇しくも今日は、母の命日。
お線香を上げ、母のことを思い出す。
 
 
 
 
母は、本来どんな人だったのか?
 
 
 
 
私は母親の姿しか知らなかったから、
「私のやることがいちいち気に食わない
不機嫌なおばさん」
にしか見えなかったのに。
 
 
晩年の母は、私の知らない顔をした
可愛らしい人でした。
不遇な環境で育ち、それでも
できるだけ善い人間であろうとした
自分にも他人にも厳しい印象は皆無で、
ただ、育ててくれた里親たちや
出会った人たちとのご縁に感謝する
心やさしい、可憐なお嬢さんおばあちゃん。
 
 
 
 
 
こんな一面もあったのか、
と今になって思い返すと
あらためて気付かされる要素が多く、
未だに情報が上書きされていきます。
 
 
 
 
 
そんな母にも、あの母にも、
甘えるなんてできなくて、
どうしたら怒られないか
(つまり打たれないか)
内心ヒヤヒヤで暮らしていた日々は
一体、何のための時間だったのかな?
なんて問いただしたくなりますが。
 
 
 




 
 
もう自分をゆるすしか
道がない。
時間はかかれど、
その方向で検討いたします。
母が打ったことを許さなくちゃ、
自分が自傷をやめられないことが
ゆるせないような気がして。
悩みや問題って、意外と
鎖かなんかで何かに繋がっている。
 
 
 
 
 
 
全くだ。
 
 
 
 
 
でも、母さん、
産んでくれてありがとね。
いま、この暮らし、
チョー楽しいよ。
お仕事とか、生活は
なるようになるから、
自分を信じてみるよ。
あなたにはできなかった、
私を信じる。
 
 
 
 
いや、少しは信じてくれていたか?
 
 
 
 
母には母の人生が確かにあった。
母から見た景色があった。
母が感じたもの、
母が受け止めたもの、
母が思い考えたこと、
母が行動した結果が
穏やかな最期ならば。
 
誰がっていえば
私が
救われる。
 
 
 
 
もういいかな。
 
 
 
 
 
爪先立ちは疲れた。
背伸びしなくても、
よく見せようとしなくても
私は立てるから。
 
 
 
 
 
見ててね。
 
 
 
 
 
子は親に愛を求めてしまう。
親の子として相応しいかどうか
認められたがる。
不変の価値をつけてもらおうとする。
じゃあ、
子は親を愛しているのかというと?
それは愛かな?
 
 
 
 
愛していなくても、
あなたの子である事は
あなたの親である事は
一生変わらない。
愛されていなくても、
他所で愛してもらったって
そんなの罪でも何でもない。
愛はどこからもらってもいい。
そこかしこに溢れている。
 
 
 
 
これまでも私は他所の大人に
我が子のように可愛がってもらう機会が多く、
とてもツイていると思います。
それこそ、他所の子だから
特有の距離感が保たれたまま
優しくしてもらえる。
踏み込まれたくない領域には
絶対に侵入されないで済む。
親子ごっこ。いいとこどり。
 
 
 
 
 
だから、親とあまりいい関係でなくても
そんなこと、問題にしなくていい、かな。
親とは距離を置いて、
自分を愛している存在は何か、
よーく探してみたら、
もうそばに居るかも。
 
 
 
 
 
お読みいただき、ありがとうございます。
 
 
 
 
 
これからお布団を敷くのかーらーのー投稿