長女が3月9日に10歳の誕生日を迎えました。
翌日10日は、亡き父の誕生日。
長女と父は60歳違いで干支が一緒。
生きていればちょうど70歳です。
そして11日は東日本大震災から6年、様々な思いを胸にまた新しい朝を迎えた
今日12日。
6年前、幼児のあどけなさを残しつつも私の心情を察知しているのか、
いつも私に笑顔を向けてくれる4歳だった長女は今、
自分の思いを自分の言葉ではっきりと主張するような、
そして批判や矛盾を許さないような、まわりの状況をよく見たり、正しいものを貫こうとする、
正義感のかたまりのような思いを思いっきりぶつけてくるようになりました。
批判めいた言葉を聞いていると、ついつい指摘して直したくなるのが私、、、ですが、
今は踏ん張りどころとして日々向き合って葛藤しているところです。
低学年の頃、お友達とよくケンカをし、泣いて帰ってきた時は
「あなたにも悪いところがあるんでしょう。」
「どんな友達とも仲良くしなさい。」
と、私は長女の思いを汲み取る前に私の思いを押し付けていました。
それでも低学年のうちは、まだなんとか収まっていたけれど
成長するにつれ、このやり方では将来自分の思いを話してくれなくなるなと、
ふと気づき、それからはひたすら「聴く」ということに重きを置こう!とギアチェンジ。
まだ学校のことや友達関係のこと、色々話してくれる長女ではありますが、
友達と交換日記をしたり、ママには見られたくない物があったりと
彼女自身の領域ができつつあります。
なぜ、話を聴くことを大事にしたいかと思ったのは、
私の父がとてもとても思いの強い押し付けばかりの触れ合いで私の心は閉じてしまったから。
親になった今は、父の思いもわかります。
でも、子どもの頃は、威圧的で一方的な怒られ方がとにかく嫌いで
早くその場から立ち去りたいとしか思っていませんでした。
何度も何度も同じことを繰り返し言い、そして一言自分の思いを言おうものなら100倍になって返ってくる父の言葉に、
もう、何を言っても無駄だと、私は諦めてしまったのです。
だから、反抗期もなかったわけですが、
その分、大人になってから猛烈な怒りが溢れだしたわけで、
それは今もまだまだ自分の中に残っていることを感じています。
子育てしていると、出会ったことのない自分に出会うなんて言いますが
我が子と同年齢の自分の子どもの頃の思いが蘇ってくるという感覚も
あるというか、そこが消化されていかないと親と同じパターンを繰り返してしまうのだな
なんても思います。
長女は今、まさに反抗期の入口に立っています。
私には、彼女が言いたいことを言い、文句や愚痴を言い、
ネガティブになってみたり、急にそっぽ向いたり、
弟や妹に八つ当たりしてみたり、
そんなひとつひとつが眩しいのかもしれない。
彼女と接していると時々心がぐちゃぐちゃになります。
怒りが湧いてきて、怒鳴りちらしたくなります。
親→子
という縮図は、あまりにも一方的で、子どもの可能性をつぶしてしまうこともあるのかもしれない。
子→親
というよりも
子=親
のほうがわかりやすい表現になるのかな、子どもから学ぶことはたくさんあるし、でも子どもの言いなりになることも違う。
自分と違う人格を持った一人の人間として尊重する。
まだできないことはお手伝いします。
わからない時もお手伝いします。
あなたはあなたらしく生きていけるように見守ります。
いつも発見をくれる子どもにはむしろ私のほうがありがとう。
「親」という権力を振りかざしそうになった時に自分自身が立ち戻るところ。
私という人間を豊かにしてくれる存在がいる。
長女の姿を通して、またひとつ私も経験を積んでいきます。
どうしたらいいんだろうと迷いながら
親としてどうあったらいいのかを考える。
子どもを変えるのではなくて
変わるのは私。
父もきっと一生懸命だったのだろうな。
親の思いって深いなぁと
自分も長女を思う気持ちが強いことに気付かされたのでした。
色分けすることで、より折り紙が選びやすくなるそうです〜
