突然ですが、私、黒柳徹子さんが大好きです。

 

彼女の著書、「小さいときから考えてきたこと」を読んでから心奪われました。

落ち着きのない小学校生活で退学となり

トモエ学園に転校する。

そこで小林宗作校長先生の触れ合いで、彼女は彼女らしさを発揮していく。

彼女は自分がLD(学習障害)だったということをこの著書で書いています。

そして発達障害そのものをまるごと肯定している。

エジソンやアインシュタインも自分も。

 

この本に出会ったのは20代前半だったでしょうか、発達障害という言葉はこの著書で知りました。

私も数字を見ると、途端に脳みそが動かなくなり、算数がまったくできない子どもだったので、これを読んですごく救われた記憶があります。

(小2の時に虫垂炎で入院した時期がかけ算学習と重なり、退院してから、放課後に薄暗い教室で先生と2人きりかけ算の勉強をしたというトラウマかもしれませんがあせる

 

そして彼女のユニセフでの活動。

 

また、この時も私はコソボ紛争の難民支援ボランティアに行った後だったので、ものすごく彼女の活動に興味を持ちました。

 

黒柳徹子さんは、言わずと知れた「徹子の部屋」という、自身の名前がついた番組を持ち、

女優、タレント、声優、司会者、エッセイスト、ユニセフ親善大使、平和運動など、

活動の幅は多岐にわたりますが、

「黒柳徹子」というアイデンティティがビッカビカに光っていて輝いていて、彼女だからこそできることがたくさんあるんだなーって、いつも拝見するたびに惚れ惚れしてしまいます。

 

ところで、アイデンティティってなんだろう?

 

と、私、先日大変興味深いワークショップに参加してきたのですが、

テーマは「平和構築にむけた和解トレーニング」という、一見、抽象的すぎて小難しい感じもするのですが、その中のワークショップのひとつにこのようなものがありました。

 

大きなマルの中に小さいマルを書き、そしてその小さいマルの中に自分の名前を書く。

そして、今度はその名前のマルを

・私はどんな役割を持ってるか、あるいは呼ばれているか

・私はどんな立場か

で囲んでいく。というようなものでした。

 

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例えば、私は「妻」であり「母」であり「女性」であり「娘」であり「子ども」でもあり「ママ友」であり、、、、、と、自分のコミュニティではどういう存在かを考えながら書いていきました。

 

それから、「杉並に住んでる」「東京に住んでる」「宮城県出身」「日本人」とか、

あとは、「いつも忙しそう」とか「掃除が好き」とか、私を表現するとどうかなーなんて考えてみたり。

 

記入が終わったら、近くの人とそのマルが共通のものがあるかを探していくのですが、

共通のものがあると嬉しくなったり。あまりないとなんだか寂しかったり。

 

そのワークは

人は、相手を知ろうとする時、共通点を見つけるとそれによってつながりができる。

そして違う(共通点がない)と知った時は悲しい。

でも同じではないことが相手を理解する・発見する旅になる。

といったようなものでした。

 

そしてこのマルで書いたものはすべてあなたのアイデンティティだということも。

もうね、これが私にとって最大の発見でした。

「私」というものはひとつではない。

よく、アイデンティティーは「独自性」とか「自分であること」とか訳されますが、いまいちピンとこなかったのですが

ひとつじゃないんだ!っていうのがものすごく発見。

 

私は「母」だけじゃない。「妻」だけじゃない。「女性」だけじゃない。どれも私。

 

ワークでは、そのどれかひとつだけにフォーカスしすぎると、他を排除してしまうとも聞きました。

 

本当にそう。

例えば私は「母」だからだけに執着してしまうと、子育てしている私はおしゃれんなんかしてはいけないとか、子どもを預けて遊びに行ってはいけないとか、そんな風に制限してしまうことがあるんじゃないかと感じました。

 

また、記入したマルはこれがすべてではなく、これからも発展していくとも。

~私史上、最高の私になる~

進化し続けることの大切さを学びました。

 

このワークは、民族間等の争いで、対立ではなく対話によって平和的解決の手法を学び、和解を促進するトレーナーを育成する時に用いられているものというでしたが、

日常にも非常に活用できるなあと感動して帰ってきました。

 

そんなところからの黒柳徹子さん。

私は彼女のように「髙橋早苗」で輝く人生を送りたい。

黒柳徹子さんがお手本ですキラキラ