
スナフキンや風の又三郎、最近何気に僕が気取ってみたくなるというか、ますます身近に感じるひとたち...、そんな彼らの日常っていったいどんな感じなのだろう。
いつも淡々と振る舞い、結果ひとを勇気づけたりする彼らはいったいどんなひと達なのだろうかと思うことがある。
昨年の暮れ、忘年会でカラオケへ行った時のこと。久しぶりに飲んだお酒に酔っていた僕は、みんなが大はしゃぎしながら歌うのを楽しく見ていた。それぞれの人となりが嬉しくも温かく、日常ほとんどお酒を飲むことがない僕にとって、こういうのも楽しいなぁと思えたものだったが、そう思う自分の気持、このいい気分の延長に、いつも自然を愛で、その中で多くの優しさや元気をもらえる感覚になれる自分、独り佇む自分が見えた。
どちらがいいとかな話しじゃなく、感覚だけがその場の自分から抜けだし、遥か遠くへ無限に拡がるような感覚。それが心地いいのかどうかわからないけど、慣れない場所にいるなぁ~という感じなのかもしれない。なにがひととは違うのだろうかと思いながらも、でもここの自分も確かに楽しいし、皆の笑顔を見てると心から嬉しく温かい。
僕は音楽を聴くとき、いつも心の中にイメージが拡がる。
ある時は激しく躍動するような、ある時は切なく息を殺す感じがしたり、よく言ってる喜怒哀楽を感じながら聴いている。そしていつも勇気と希望、優しさと寂しさ、よく言う冷静と情熱さながらでそのイメージとともに浮かぶ人間模様みたいな感じが力強く湧いてくる感覚になれたりする。
最近そういう感じで創った曲を誰彼なしに聴いてもらいたい自分がいる。ある時「おまえの曲は暗い」と言われた。確かに自分でもそうかなと思うことがある。その昔、二十歳過ぎの頃だったと思うけど、「おまえのギターは重い」と言われたことを思い出した。
僕自身なにも悪いことじゃないと思っていたし、軽いなぁと言われるよりいいと思っていた。
それに、日頃から考え過ぎとも言われていたので、善くも悪くもこだわりが強くて、ひとから見れば重く、よくいう、しつこくくどい性格なのは知っている。
でも本当は、まるでいい加減でものぐさ、臆病で何をするにもなかなか勇気が出ない自信の無い奴。
だからこそ、いつも出来うる限り頑張ってと自分に言い聞かしている。
周りのことを見落としそうになる恐怖といつも闘っている自分がいる。
それでもダメな時はあるし、どうしようもなく自分に負けて嫌な部分を晒してしまうこともある。きっとスナフキンや風の又三郎でも同じだと思うけど、実際にはどこ吹く風とサラッと生きてる感じが憧れでもあったりする。
昨年このブログを始めて、いままで誰にも話したことのない自分を書いている、書けているといってもいいのかも知れないし、それはきっと多くのブロガーさんに後押しされているようにも思う。
リアルな面にもそれは変化としてあらわれ、音楽をやることもそれ以外のことでも、いままでの自分の集大成をカタチにと思い始め、出せるきっかけにもなっている。
何が無くても有っても、とにかく楽しく。
恵まれたものがあるから何か出来るというのではなく、そう思う気持、志が何処へでも連れて行ってくれると、僕はそう思っている。
寂しさ故にわかるひとの気持、心の影もまた見えるというものだし、だからこその笑顔の意味でもあるはず。。思えばこそ、念ずるがこそ出てくる力や智慧を精一杯に。
目の前にある困難や差異は、ゆく道の景色にも似たものと、良く見るか悪く見るかで、それは大きく違って見えるものだから。
てなことをスナフキンや風の又三郎は考えているかどうかはわからないけど、、昨年の漢字「変」僕にとっても大きな変化の年だった2008年を経て、ますます楽しみだとも、またそれゆえに勇気が必要だとも思っている2009年の初心ブログです。
風に吹かれてサラッといきたいと思う反面、またこんな重たいことを書いて今年も始まりましたが、、実はいい加減だからこそ、気侭な奴だからこそ自らに言い聞かせているわけです。。
どうかこれからもよろしくお付き合いください。