ということで、今回は住居表示についてはあまり言うことはありません。

というのも、平成の大合併で編入した地区に住居表示を実施するわけですが、住所変更が少なくなるよう、町名迄をあらかじめ設定したうえで高宮市に編入されたため、その町名に丁目と番地をつけるだけ、という作業になるからだ。

そういう無味乾燥な回なため、ちょっと番外編を用意したわけだ。その番外編は2019年の変更に関係する。まあ、とにかく見てほしい。


2014年(平成26年)

白富町の以下の町で住居表示実施。一部の町に丁目がつく。

豊海が丘2丁目、長瀬、富好1〜4丁目、柏原1〜2丁目、白羽2〜4丁目(4丁目は未実施)、平、遠田1〜2丁目

なお、白羽4丁目は丸和町松坂の一部を編入している。

 

2015年(平成27年)

春若町の以下の町で住居表示実施。一部の町に丁目がつく。

内折、松丘1〜4丁目、南谷1〜2丁目、鳥羽、大門1〜3丁目、浦壁、三橋1〜3丁目、佐敷、前浜1〜2丁目、岡田1〜4丁目、久世1〜6丁目(6丁目は未実施)

基本的には既に設置済みの町名から変更はないのだが、以下は例外的に新規に町名を設置した。

・万字(大門・台)

・はなの丘1〜2丁目(大門・久世)

 

2016年(平成28年)

羽二重町の以下の町で住居表示実施。一部の町に丁目がつく。

浦島、堀、浜田1~2丁目、本町、小野、丹波、えりか台

 

2017年(平成29年)

秋葉町の以下の町で住居表示実施。一部の町に丁目がつく。

椿台、観海が丘1~3丁目、萱場1~3丁目、新上、布目、為永1~4丁目(4丁目は未実施)、川原1~3丁目(3丁目は未実施)、長崎1~2丁目(2丁目は未実施)

 

また、丸和町の以下の町で住居表示実施。一部の町に丁目がつく。

ニュータウン1〜3丁目、鴻池、朝日台

 

2018年(平成30年)

菊水寺町の以下の町で住居表示実施。一部の町に丁目がつく。

月湊1〜4丁目、能登1~3丁目、築上1~2丁目、橋本、今立1〜3丁目、浜村1~4丁目、島田、のぞみが丘1〜2丁目、錦1〜3丁目、来栖1〜3丁目、新開地1〜3丁目、雛形1〜4丁目(4丁目は未実施)

 

2019年(令和元年)

※市街地版の拡大版はこちら

三浜町の以下の町で住居表示実施。一部の町に丁目がつく。

ゑびす、喜瀬屋1~3丁目、ベイサイド1~4丁目、丸坂1~3丁目、湯川1~2丁目、船坂1~3丁目(3丁目は未実施)、里中1~2丁目(2丁目は未実施)、一丈三尺1〜2丁目、つつじ野6丁目

 

さて、ここからが番外編だ。

 

高宮市は、長崎市をモデルにしているため、当然ながら長崎市と同様県庁所在地である。以前言及したかしてないか覚えてないが、県名も高宮県だ。

そして、世の国立大学の多くがそうであるように、県庁所在地にキャンパスを置いている。長崎大学もそうだし、となると当然、高宮大学もそうだ。

 

さて、長崎大学には現在3つのキャンパスに10の学部がある。

文教キャンパス 教育学部、薬学部、工学部、水産学部、環境科学部、多文化社会学部、情報データ科学部

坂本キャンパス 医学部、歯学部

片淵キャンパス 経済学部

このうち、多文化社会学部、情報データ科学部は近年になって新設されている。

 

高宮大学について、2010年時点での話をすると、長崎大学にはよく似たキャンパスと学部構成をしている。ただ、長崎大学は学部の構成がやや特殊なので、少々世の中の平均的な大学に近づくように変更している。

伊右衛門キャンパス 教育学部、薬学部、理工学部、法文学部、水産学部

山王キャンパス 医学部、歯学部

蛍キャンパス 経済学部

 

て、ここからが長崎と高宮の大きな違いになってくる。 その前に長崎大学の事情を説明しておきたい。

長崎大学の本部がある(いわゆる本学)文教キャンパスは、異常なぐらい狭い。7学部がひしめき合ってるのが信じられないほどだ。 参考までに、九州周辺の国立総合大学の「本学」の面積をお示しする。参考として、九大の旧箱崎キャンパスも載せておく。また、右にある学部数は本学キャンパスに存在する学部の数であり、大学すべての学部数でないことに留意されたい。

…ね、すごいでしょ。 移転すりゃいいのに、と思う方もいるだろう。 実際、あまり報じられていない話であるが、長大のOB・OGである私の両親によれば、移転計画は昔あったらしい。西諫早とか数ヶ所候補地もあったんだそうだ。しかし、多くの学部の反対により(特に教育学部と経済学部)ポシャったらしい。

 

高宮大学は、「移転が実現した」というifのストーリーを展開する。

高宮大学は、移転計画が出た際に、やはり様々な意見が出た。春若町や魁町、北橋市松竹梅地区(長崎で言うところの西諌早)といった候補地が上がり、遠方になりすぎることから松竹梅は早々に候補から外れ、春若と魁についても、最終的にはより市街地からのアクセスがよい春若に決定した。

この春若町の新キャンパスは、高宮市宮川地区にまたがる丘陵地帯に設置されることになり、大規模な土地造成が行われた。すでに当地にある県立高宮松が丘高校と高宮県立高等技術専門学校は少し外側に移転する形で、新キャンパスの開発が行われた。

当地は松丘地区と呼ばれ、既にくだんの高校名にも用いられていたことから、新キャンパスの名称は「松が丘キャンパス」に決まった。

これが、現実の長崎市の地図への落書きになるが、こういう感じだ。赤枠が松が丘キャンパス、橙枠がそれに伴い移転となる2校の用地だ。松が丘キャンパスの面積は約60haとなる。

…思いっきりシーボルト大(県立大)の用地を含んでいるが、県立大についても後ほど触れる。

 

そして、2010年から7年間かけて、伊右衛門キャンパスの本部機能と薬学部を除く4学部、それに蛍キャンパスにある経済学部が松が丘キャンパスに移転した。

松が丘キャンパス 教育学部、経済学部、理工学部、法文学部、水産学部

伊右衛門キャンパス 薬学部

山王キャンパス 医学部、歯学部

蛍キャンパス (廃止)

 

さて、2012年に経済学部が移転し廃止となった蛍キャンパスの跡地活用について。

仙波市(長崎で言う佐世保市)にある高宮県立大学(ちなみに、長崎県立大学も佐世保にある)の新キャンパスを市内に作る計画になっており、それが蛍キャンパスの跡地を利用することに決まったわけだ。

…まあ、それが長崎シーボルト大学(現在は県立大に統合されたが)に相当する大学になるわけだ。

 

で、なぜ伊右衛門キャンパスに薬学部だけ残されたか。それは、医学部・歯学部、それに大学病院を伊右衛門の跡地に移すこととしたからだ。これは2019年に移転が行われた。そして、山王キャンパスも廃止された。

とはいえ、伊右衛門キャンパスも旧キャンパスをフルで使用したわけではない。とはいえ、9割方医学系のキャンパスに転用されたのだが。

その残る1割の用地と、教育学部ともども移転となった附属校すべての用地が、宅地に転用されることになった。医学部キャンパス移転も含めたこの再開発は、当時の学長の命名で「文化園プロジェクト」と呼ばれた。旧伊右衛門キャンパスの大学用地から外れた部分は高層マンションとなり、附属校跡地は戸建ての住宅団地となった。これに伴い番地を振り直す必要が出たたため、伊右衛門キャンパスがあった「大学町」が、文化園1~2丁目として住所変更が行われた。

そして、それを記念して、旧伊右衛門キャンパスも文化園キャンパスに改称した。

 

最終的に、高宮大学の3キャンパスは、2キャンパスが廃止、1キャンパスが改称、1キャンパスが新設という形で、跡形もなく変わった。

松が丘キャンパス 教育学部、経済学部、理工学部、法文学部、水産学部

文化園キャンパス 医学部、歯学部、薬学部

 

ということで、ここまで番外編をお送りいたしました。本編としては、大学町が文化園に変わった、ということだけを言えば済むのだが、せっかくなので詳しく話した。(ちなみに、文化園1丁目は大学町のほかに篁町を若干編入している)

 

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というわけで、現実の長崎大学もやっていない大改革をお送りした。

次も、もし現実に行われたら地理マニア垂涎の大改革を行う予定だ。こうご期待。

現実に追いつくまであと4年。次回が最終回になるだろう。