突然の訃報だった。とでも言いたいところだが、内心は実はそうでもない。
肺癌、それに脳腫瘍(転移だったとの情報もあり、私もその可能性が高いと思うが真偽は不明である)、そして今年脳梗塞と病魔が次々に襲ってきている状況だった。報道発表では死因は肺癌ということで、やはりそっちがメインだったか…という感じである。

脳腫瘍が見つかり笑点を休んだのが2019年のこと。ぶっちゃけると、以後、いつでも亡くなっておかしくはないな…と思っていたところだ。ファンの中にはこんなこと書くと不快に思われる方もいそうで、非常に申し訳ないが、そう思っていた。

 

だからこそ、この数年、私は笑点の後継者問題をブログで何度も発信してきたのである。結果的に円楽師の死去よりも先に根岸の次男坊の降板の方が先に来たのは予想外だったが。特に、脳梗塞で復帰が絶望的となってからは(出演者やスタッフの皆さんは最期まで復帰を待ち席を空けていたようだが…)かなり主張したくて仕方なかった。けど、これでもほどほどに抑えていた。円楽師の復帰を待ちのぞむファンの皆さんに申し訳なかったから。

でも、その時が来てしまった。スタッフの皆さんにはこの枠を不定期枠として残すことなく後継者を選んでほしい。まあ、私の中でこの方がいいというのはあるのだが(興味がある方は過去のブログを探ってみてください)、言いたいのは、若手メンバーから選んでください。ぜひとも紫の着物を着せてください。ということだけです。…まあ、若手大喜利の頻繁な開催と、宮治師に緑を着せたところを見ると、元よりそのつもりなんだと信じてはいるんですけどね。

この件についてはここまでにしておきますね。

 

それよりも気がかりなのは円楽師の夢だった「落語界の統一」だ。かつて自分の大師匠が落語協会に見切りをつけて出ていき、師匠であり先代が意地を張って戻らずにできた円楽党、そしてその後、一門ではないが慕っていた立川談志が旗揚げした立川流。かつて落語協会と落語芸術協会の2大協会制だったのがくずれたのだ。それを統一せんと尽力し、慕っていた歌丸師のつてで芸術協会にも客員として入会した。あれから数年、円楽党からも寄席への出演が定期的に行われるようになってきたわけだ。円楽師が今亡くなったからと言って、寄席の円楽党枠がなくなるとは思っていないが、常々主張している通り、私は「芸協・円楽党合併論者」なので、その道はかなり遠のいたな…と感じ残念だ。

また、今の関係性から円楽党は落語協会より芸術協会に行く方が自然であると考えるが、古巣・落語協会、というか円生一門との関係性も悪くはない。

というか、関係の修復に尽力したのが他ならぬ円楽師だった。円丈師の著書の内容の事実誤認を指摘したことがきっかけで円丈師と仲良くなり、さらには7代目円生襲名問題で円楽師の兄弟子・鳳楽師と円丈師とともに7代目を争った円窓師の一門も含め、「三遊のゆきどけ」と称した落語界まで開催されるようになったのだ。くしくも、この1年の間に円窓師、円丈師も亡くなってしまった。

 

色々と書いてきましたが、まとまりのない文章で申し訳ございません。

とにかく、落語界になくてはならない人物がいなくなってしまい、とても残念に思います。

安らかにお休みください。合掌