上長崎
上長崎、なじみがない名前だが、要は旧上長崎村である。今の町名で言うと、中心部周辺時計回りに西坂から寺町、その周辺である。なんとも説明しづらい。よくわからんでしょ。なので、これからあげる町だというのが答えだ。
現在、住居表示実施済34町、未実施3町、それらが混在する町が9町の46町からなる。
なお、今後、市街地は旧郷ごとに述べていくことにする。
旧夫婦川郷・馬場郷
夫婦川町と桜馬場町となり桜馬場は後に2丁目まで分かれた。これは文句なくそのままでいい。
旧船津郷
こちら現在の西坂町。かつては御船町と西坂町に分かれていたが、現在は自治会の上でもすべて西坂町となっている。あえて再分割するまでもないだろう。
旧岩原郷
こちらはのちの立山町。現在は5丁目まで分かれた。ひょっとしたら住居表示実施前は違う名前だったのだろうが、現在は自治会名まで丁目になってしまっている。そのままにしておく。
旧西山郷・木場郷
西山郷はのちに上西山町、下西山町、西山町となった。なぜ名前が違うのかというと、長崎市に編入された時期が違うことによる。上下西山町は先に長崎市となり、後から西山町も加わった。西山町は4丁目までわかれ、平成に入り、それを踏襲する形で住居表示が実施された。なお、1丁目のみ、新・1丁目と本町に分かれた。「西山」と西山本町の境界が入り組んでいるのは、そういうわけである。
さて、西山町と三川町、三原町の各一部を割く形で西山台も設置されている。
まとめると、旧西山郷は西山台も含め、上西山町、下西山町、西山1~4丁目、西山本町、西山台1~2丁目の9町となっている。
住居表示未実施が西山4丁目、未実施地区混在が西山1丁目、西山台2丁目だ。
・西山4丁目:こちら、住居表示未実施である。また、自治会上は4丁目と仁田木場にまたがる。今回、西山4丁目と仁田木場町に分ける。西山4丁目は住居表示実施とする。
仁田木場は木場町をまたぐ。よって、両者を横断する形で新たに仁田木場町を設置する。
・西山1丁目:実は、当町の住居表示未実施地域は金比羅神社(○)1軒のみだそうだ。まあ、わざわざ住居表示を実施しに行くほどではないのかもしれない。今回、その神社の二ノ鳥居(○)が立山5丁目22-1ということで、神社の境内もそこと同じ住所と見なすことにした。
したがって、当該区域を立山5丁目に編入と言うことにした。
・西山台2丁目:橙より右が未実施地区だ。ほんの数軒だが、これらも住宅のようである。したがって、図のように33~34番として住居表示を実施した。
なお、木場町は前述の仁田木場町設置をのぞき、そのままとする。
旧片淵郷
まんま片淵町、そして現在の片淵1~5丁目である。うち3丁目以降が未実施地区を含むそうだ。
3丁目は老人ホームかたふち村だけらしい。こちら、現在の道路上のつながりを考慮し5丁目に編入し、19番とした。
4丁目の未実施エリアは○の2軒のみだ。26番の延長でよかろう。お茶の前田園が26-34、590番地が26-45となる見通しだ。
5丁目は図の通り、14~18番とする。これにて住居表示完成だ。
旧中川郷
早くに編入された区域が中川町、遅れて鳴滝町となっており、のちにそれぞれ2丁目、3丁目に分かれた。
鳴滝3丁目の一部が未実施だ。
で、これがその未実施地区。別に金比羅神社同様、わざわざ実施するほどでもないのかもしれないが、今回、私のこだわりと言うことで、鳴滝3丁目21番とした。
旧本河内郷
本河内町となり、長らく住居表示未実施のままだったが、今世紀に入り4丁目に分かれた。なお、4丁目は住居表示未実施である。
・本河内3丁目:3分割する。
北西方向が本河内3丁目として残る部分だ。北東は御手水(オチョウズ)自治会の区域であり、現在でもバス停や交差点名として残っていることから、御手水町として独立する。現在の22番以降が該当するため、御手水町の番地は現在から-21ということになる。すなわち、日見峠のてっぺんは、25・26番となるわけ。…ってそんなところまで実施したのか。思い切ったことをする。まあ、その分、先ほどの金比羅神社やかたふち村ような無理もある程度OKになるという自信がつく訳だ。
なお、南部が住居表示未実施地区となる訳だが、こちら、田手原町と連続している。したがって、田手原町に編入とした。
・本河内4丁目:御手水同様、自治会名称でもある奥山が現在でも有名なため、奥山町に改称とする。
旧伊良林郷
早くに編入された区域が伊良林町1丁目、寺町、新中川町、遅れて伊良林町2丁目、矢ノ平町とわかれ、さらに伊良林町1~2丁目は伊良林1~3丁目、風頭町、彦見町、また矢ノ平町は矢の平1~4丁目、白木町、八つ尾町と分かれた。このうち、白木町、八つ尾町が住居表示地区と未実施地区が混在しているという。
だがその前に、すでに住居表示実施済みの町についていくつか。
まずはコレを見てほしい。
こちら、寺町6番だが、伊良林平自治会の区域だ。それも、寺町の他の区域には長い階段を使う必要がある(本河内3丁目と同じ構図だ)。よって、ここは伊良林2丁目に入れたい。こういう場合、街区符号が飛んでしまうことを長崎市は忌避する傾向にあるが、街区方式を使用する以上、仕方ないことだと私は思っている(だからといって、こんな、コーヒーで酔っ払ったクモの巣みたいな不規則な町並みに道路方式で住居表示を行うのは非常にムズカシイ話だと私は思っている)。よって、現在伊良林2丁目は18街区だそうなので、それに続け19番とする。
で、ここもだ。
現在は愛宕2丁目になっている愛宕団地(≒彦見町)の一部を彦見町29~.32番とする。
さて、白木町と八つ尾町に戻る。
・白木町:住居表示未実施地域はどこかと思ったら、コレ。
これは9番と10番の続きでもよかったのかもしれないが、せっかくなので19番を新たに設定してみる。
それよりも問題はこちらである。
おわかりだろうか。この部分、白木町でありながら白木町から直接行くことができない、準飛地だ。ここの処遇については、今後、茂木地区の巻で述べたいと思う。かなり先の話になると思うが。
・八つ尾町:○が住居表示未実施区域だ。なんとまあ微妙な。ここは31番とする。
で、愛宕4丁目25~27番を見てほしい。こちら、セラーリオコートという住宅団地だ。私の記憶では、真ん中の通りを境に八つ尾町と愛宕4丁目となっていたが、住居表示実施に伴い、全域が愛宕4丁目になったようだ。いやいやいや。ここも飛地になっとるやないかい。
やはり、どうしても番号の不連続を避けたいらしい。24番もそうだが、それで飛地ができるようでは正直本末転倒だと思う。で、愛宕4丁目にするにはあまりに不自然すぎた○は未実施になったという。
今回、白木団地(≒八つ尾町)を通過しないと愛宕4丁目にも行けないような場所は八つ尾町にしてしまう。該当地区は前述の通り、24~27番だ。先ほどの31番に続き32~35番にする。
で、ここもちょっと気になる。八つ尾町30番として、下の○にあたる早坂町1191付近を1号として住居番号が設定されているが、いずれも敷地そのものは八つ尾町として扱われていないため、住居表示が実施されていない。
今回、これらも八つ尾町に編入してしまい、下の○を30-1(複数の建物があるのでさらに枝番の設定が必要だろう)、ひこばえの苑をバス通りを入口と見なし30-12としたい。
ということで、上長崎46町(済34町、未3町、混9町)は、すべて48町(済45町、未3町)に再編となった。
下長崎
なんと、現時点ですでに、住居表示完了済みである。
表の通り、3郷が10町に再編され、2008年までに住居表示が完了され、22町となった。
なお、三景台町は弥生町と、茂木地区の田上町・早坂町の一部を割いて生まれた町である。
今回、この地区についてはそのままとし、特に何もしない。