長崎市には478の町がある。なお、これは丁目を1つの町とみなした場合(というか、それが正式な認識なのだが…)の数である。

この数は2011年以降増減がない。2011年、住宅団地・ウェリスパーク南長崎を新戸町四丁目として住居表示実施したのを最後に、長崎市は住居表示を実施していない。

いやいや、まだまだ住居表示を実施すべき町がいっぱいあるじゃないか。そして、すでに住居表示が行われている町、行われなさそうだが町名とかを何とかしておきたい町もある。

今回、私だったら長崎市の町名をどうするか、語っていきたいと思う。圏域構想から舌の根も乾かぬうちに新企画である。

 

そうそう、いきなりの宣伝で申し訳ないが、私が九州各地の町字一覧記事を執筆した中で初めての作品であるWikipedia記事を投げておこう。

Wikipedia-長崎市の地名

さて、先ほども申し上げたが、478町ある長崎市。そのうちの何割かは住居表示が行われている。その内訳を、表で出してみようと思う。

各地域センターの管轄ごとの数である。中央(かつての本庁直轄地区)はあまりに膨大なので細かい地域別にさらに細分化している。

なお、済は住居表示実施済、未は住居表示未実施、その間は住居表示実施地区と未実施地区が混在する町だ。

 

今回、この地区ごとに話を進めていきたい。地区ごとに今の町名がどうなっていくか、そしてそれをどのように変えたいか。その結果待ちの数はどうなるか、それだけである。特に説明することはない。

 

中心部

現在、住居表示実施済40町、未実施9町の49町からなる。

この地区は、1889年に市制施行した当時からの市域で、旧長崎区とその地先の埋め立て地からなる地区である。長崎市らしく言えば、長崎くんち(里くんちではなく諏訪神社で奉納される中心部のおくんち)の範囲内である。

 

長崎区は87の町が存在したものの、うち8町は現在、中心部というよりは大浦地区とみなされるため、それらを除く79町と、出島から駅前にかけて存在した埋め立て地の10町を含む89町を今回の範囲とする。

 

で、その89町が、住居表示により現在までに49町に再編されたのだ。これについては私がWikipediaの前述の記事に投稿したGIFアニメを示す。

でだ、実は、今回の企画、すでに中心部については似たようなことをやってしまっているのだ。

長崎市住居表示新案(という名の妄想)というか、思い出したが、アノ時もシリーズにしようとしていたのだ。今回、やっとシリーズ化することになりそうだ。今回は再掲がメインになると思うが、お付き合いいただきたい。

以下もしばらく↑のコピペだ。

 

旧町名復活運動(きゅうちょうめい ふっかつ うんどう)とは、住居表示に関する法律(住居表示法)の施行により消滅した町名を、行政上の正式な町名として復活させる運動である。

石川県金沢市の「主計町」の復活を皮切りに長崎県長崎市、長野県の上田市や長野市松代町、宮城県仙台市、大分県豊後高田市、埼玉県鴻巣市、東京都の中央区や台東区、千代田区、岩手県盛岡市、福島県会津若松市、富山県高岡市などで旧町名の復活が検討されたり、それに向けた運動が行われたり、実現されたりしている。


…以上、Wikipediaの旧町名復活運動のページからの引用である。このように長崎市でも2007年に銀屋町、東古川町が復活し、翌2008年には船大工町(町そのものはそれまでも存在していた)の旧町域が復元された。

くだんの3町が属する中島川左岸地区(磨屋地区とも)は、住居表示実施後においても旧町名のまま自治会が残り、長崎くんちも各旧町ごとの出演を現在まで貫いている。それほど地元に根差した名前である。なので、今からでも完全に復帰させるべきだと考えた。

 

方法としては、これまでの3町のやり方を踏襲すればよいだろう。

・街区方式を用い、旧町を原則としてそっくりそのままの町域で復活させる。

・新しく町名を設定する(旧町名復活)場合は、道路もしくは町界で囲まれた区域を街区とし、1番から順に附番する。

・既存の町名の場合、町域拡大の場合は現在使われている街区数より1つ大きな数字より順に附番する。町名が変更とならない地域の番地はそのままとする。

・中島川は元来川のそばまで街区がつけられていたが(当時は長崎大水害前で、川端に建物も存在した)、現在はほぼ全域公園として整備されたため、新規に街区符号をつけないこととした。

以上の基本ルールを設定し、町名を再編する。

 

八幡町・麹屋町・諏訪町・古川町・銀屋町・東古川町・万屋町・浜町・鍛冶屋町・油屋町

・八幡町・麹屋町:いずれも住居表示実施以前からの町名。麹屋町と八幡町の境界は、古くは少々北寄りにあったが、旧町名表示板がないことから、必要性はどれほどかわかりかねたが、一応旧町界復活とする。中島川沿いの本紙屋町、麹屋町1・6北側の紺屋町(北半分)を復活させる。

・諏訪町:新橋町、紺屋町(南半分)、磨屋町(北半分)、西古川町(中島川沿い。北側)を復活させる。なお、紺屋町は麹屋町・諏訪町になった中島川左岸部分のほかに、現・魚の町にあたる右岸部分もあるが、実は市民会館(中央公民館)、と旧公会堂(数年後に市役所になる予定)の敷地の各半分であるため、復活させない。もちろん旧来の諏訪町の町域も残る。

・古川町:銀屋町・東古川町をすでに復活させた後なので、残りがコの字型になっている。それぞれ磨屋町(南半分)、西古川町(中央部)、本古川町(北半分)となり、現行の古川町は消滅。

・万屋町:榎津町、西古川町(南側)、本古川町(南半分)を復活させる。もちろん万屋町も旧来の町名なので残るが、一部が浜町になってしまったため、編入する。

・浜町:主に旧東浜町と西浜町(北側)、それに万屋町(南半分)であり、旧鍛冶屋町・銅座町の一部も含む。鍛冶屋町・万屋町は元の町に編入する。西浜町については、東浜町とともに現在の浜町のままとする。浜町は東西に分かれるが、浜町アーケードが東西を貫き、特に知名度が高いことから、浜町のままとする。ただし、西浜町の春雨通り以南は西浜町として独立する。銅座町との境界付近も、銅座町には返さずそのまま浜町とする。なお、実はハママチが正式な読みになっているので、この際ハマノマチと読ませることにする。

・鍛冶屋町:こちらも旧来から現在まで残る町名だが、万屋町同様、範囲が大きく異なる。旧鍛冶屋町は南半分が浜町・油屋町になってしまっており、逆に今篭町、八坂町(北半分)を編入している。今篭町・八坂町を元に戻し、浜町・油屋町の一部となった旧鍛冶屋町を再編入する。また、ししとき川通り沿いの一部分も万屋町・榎津町に編入する。

・油屋町:八坂町(南半分)と鍛冶屋町の一部を含む。それらを元に戻す。

 

中島川左岸、春雨通り以北の以上10町は古川町がなくなり、本紙屋町、紺屋町、新橋町、磨屋町、西古川町、本古川町、榎津町、今篭町、八坂町の9町が(再)発足したため、計18町となった。

 

銅座町・本石灰町・丸山町・寄合町・船大工町・篭町・梅香崎町・新地町

・銅座町:西浜町(南側)と築町の一部を含む。こちら側の西浜町は復活させる。また、築町の一部であるが、こちらは西浜町に編入とした。

・本石灰町・丸山町・船大工町:この辺は境界変更のみだ。船大工町はすでに旧町域を復元済みなのだが、逆に本石灰町から当町になった部分があるため、それも元に戻す。

・寄合町:唯一、最初の住居表示の段階で旧町域のまま住居表示が実施された。もちろんそのままだ。

・篭町:本篭町が中心となるが、自治会名に従い現町名の篭町のままとする。 西小島一丁目の一部(篭町自治体の区域で公民館も当区域)を編入。また、旧広馬場町・梅香崎町を元に戻す。

・梅香崎町:旧称は梅ヶ崎町。自治会名称は湊町であるが、今回、町域は梅ヶ崎町/湊町ではあるが町名は梅香崎町とした。なお、これらの区域のうち、出島道路より西側については常盤町あるいは東山手町に編入とした。東山手町に編入された区域に建物は存在しない。常盤町に編入される区域には長崎みなとメディカルセンターが存在する。元来の市民病院の敷地は新地町であったが、建て替えに伴う増築により、常盤町2番の区域を大幅に編入しており、現在の常盤町2番がホテルニュータンダにあたる狭い区域のみとなっている。したがって、今回編入の区域は常盤町2番に編入する。

・新地町:旧梅ヶ崎町を梅香崎町に。旧入江町の一部も含むが、復活は見送る。

 

ということで、中島川左岸、春雨通り以南(出島町除く)の以上8町は西浜町、広馬場町が加わり、計10町となった。

 

魚の町・栄町・賑町・築町

中島川右岸。こちらは現在、新しい町名で自治会が組まれており、左岸に比べると、旧町名復活に積極的ではない。けど、この地域は旧来の短冊形の町域が残されているので、是非とも復活させたいところである。

・魚の町:本大工町、酒屋町(北半分)を復活させる。紺屋町の一部を含むが、前述のとおり復活させず、本大工町の一部とする。今魚町については、それが現・魚の町の由来となったため、そのまま魚の町とする。

・栄町:袋町、酒屋町(南半分)、本紺屋町(北半分)を復活させる。これにより、栄町は消滅となった。

・賑町:こちらも住居表示による新町名であるため、消滅となる。材木町、今下町、本紺屋町(南半分)、築町の一部が含まれる。それぞれの旧町名に戻すが、今下町については、本下町と合わせて下町とする。

・築町:前述のとおり、賑町から旧町域を編入する。また、本下町を含む。今下町と本下町は分割すると細かすぎるため、まとめて下町とする。

 

というわけで、これらの中島川右岸4町は栄町・賑町がなくなり、本大工町、酒屋町、袋町、本紺屋町、材木町、下町の6町が(再)発足し、8町となった。

 

炉粕町・八百屋町・馬町・勝山町・出来大工町・今博多町・大井手町・古町・桶屋町

住居表示が実施されずそのまま残されたいわゆる宮の下地区。町域そのままで住居表示実施。

なお、八百屋町のみ住居表示により一部が上町の一部となってしまっているため、奪還。

また、中島川左岸以外で唯一旧町域で自治会を編成している小川町(現町名で言えば上町と桜町)も同時に復活する(ただし、元来の小川町ではなかった内中町の区域や桜町公園を含む)。


ということでその結果が前回お示ししたこの地図である。

赤は新町名・街区番号。青は現在のまま据え置き。 緑は新規住居表示区域である宮の下地区である。

さて、これから残り18町についても改めて確認していく。その中で、旧町名復活を追加提案していくかどうか決める。

 

江戸町

東部は旧築町にあたるが、当該地区が現在、「江戸町商店街」と呼ばれていることから、住民が築町への復帰を希望しないと判断したため、変更せず。したがって、新地中華街(旧築町)電停あたりは飛地になってしまう。したがって、前述の取り、築町には復さず、隣接する西浜町に編入とした。

 

出島町

こちらは、出島町のほかに埋め立て地の5町を編入した町であるが、ひとつひとつが細かいうえに町名として使われた期間もそんなに長くないので、特に何もせずそのままにしておく。

 

元船町・尾上町

こちらも同じく埋め立て地のみである。そのまま。

 

樺島町・五島町・大黒町

住居表示実施のため一部で境界変更が行われているが、そもそも区画整理がやり直された箇所であり、旧町域の復元は極めて困難であるため、そのままとする。

なお、樺島町(と江戸町)の一部に旧玉江町が含まれるが、埋め立て地であり、大波止通り沿いで人家がほぼなく、旧町名復活の気運もまったくないことから復活させずそのままとする。

 

金屋町・万才町・興善町・桜町

この辺も区画整理があったり、そもそも町が細かすぎて町名として設定する意義が薄い町も少なからずあり(ほぼ全域国道敷地になった大村町やら、文字通りお濠を埋め立てた後でそもそも人家がほとんどない堀町やら、戦時中の建物疎開で市役所の北半分ぐらいしか建物がない中町やら…)、旧町名の復活は困難と判断した。ただし、唯一復活できそうな引地町のみ新たに復活の対象とする。珍しい、旧町界が街区形式になっている町である。


 

恵美須町・中町・上町・筑後町・玉園町

今回、新たに追加提案する町である。元は恵美須町(旧外下町、現在の桜町通り)から見て中町、上町、筑後町だったのに、住居表示で中町と上町が90度回転してしまうというまさかの事態が起きた。今回、それを正そうと思う。ただし、下筑後町・上筑後町のみ現町名から筑後町・玉園町とする。ということで、中町・上町を廃し、西中町・東中町・西上町・東上町、そして前述の小川町を復した。また、恵美須町の南半分、船津町もこの際なので復活させてしまう。なお、大黒町との境界については今回考えないものとする。

ということで、2町廃止、6町新設となった。

 

伊勢町・新大工町

こちらもかなり大胆な境界変更が行われた。ただ、間に電車通りをはさむこともあり、旧町界の復活は見送ることにする。

 

ということで、中心部49町(済40町、未8町)は、すべて住居表示実施の68町に再編となった。

 

次回は旧上長崎村以下、中央地区の続きです。