私は、落語界の動向という記事を作っているが、2022年11月現在の落語家の人数は以下の通りである。

落語協会 302名

芸術協会 171名

円楽党  _57名

立川流  _59名

上方落語 269名(※鶴光はカウントせず)

フリー  _12名


完全に私の独自的な集計であるが、各団体公式サイトという絶対的な裏付けがあり(上方協会と、事実上の円楽党のサイトとして機能している両国寄席のサイトはやや更新が遅いが…)、それをWikipediaにも随時編集している状態にある。上方落語協会も、協会非加盟の落語家を系図に名前だけでも乗せているのはありがたい。尤も、系図の都合上どうにもならない文吾一門が省かれているのはなんともだが(名鑑には掲載されている)

 

さて、系図制作を行っている私(@wikipedia)やごくらくらくごさんが常に頭を悩ませているのが、フリーの落語家の扱いだ。この場合、通例として上方落語家は含まず、東京(にルーツのある)の落語家の場合である。東京は寄席というシステムが発達している都合上、極端な場合、プロとして認めないファンもいるほどだ。ただ、4つ(5つ?)ある定席に出ることだけが落語家の仕事ではない以上、そこで喋るプロであれば、落語家として間違いないだろう。問題はプロの基準である。

これについては、どのような考えが一般的かという議論もなかなか成り立ちにくいので(そもそも実例が少なすぎる)、あくまで私の基準で語りたい。(こういう考え方があるよ、というのがあれば、Twitterなどで教えてくれるとありがたい)

 

絶対的な条件として、前座修行を修了して、それから真打になること。こうなってくると二派(特に一時期の円楽党)はアブナイのだが、この際目をつぶっておく。あくまで、四大団体への所属は落語家としての絶対的な条件になるし、それは本題ではない。

 

まず、前座修行することがプロの落語家への唯一の入口であり、それをしていないとこれまでの通例としてプロとは呼べない。アマチュアの中には、内輪でプロの落語家の弟子として認められることもままあるが、基本的に、特に四大団体所属だと、その弟子は師匠の所属団体で前座修行することが義務と見ていいだろう。それがないと、いくら真打に認定されても(たまにある)、プロの落語家とは呼べまい。

唯一グレーゾーンなのが、三遊亭笑くぼさんかなと考えられる。彼女は三遊亭歌笑師が名古屋を拠点にしていたころの弟子で、大須演芸場を拠点に活動していた方で、南京玉すだれの家元との二足の草鞋だが、少なくとも芸人としてはフルタイムの活動であろう。彼女をカウントするかは未だ検討中である。

 

さて、真打に認定といったが、東京においては真打になることが一本立ちの条件で、それまではどこかの師匠の下にくっついていなければならない。だから、独立した活動をするには真打昇進が第二の条件になるだろう。百歩譲って、これは四大団体からの認証でなくともよい。前座修行さえ修了していれば(とはいえこの例に該当するのは雷門喜助師ぐらいしかいないが…)。

以上2つの条件に合致するのは、春風亭華柳、三升家小勝、らぶ平、雷門喜助、快楽亭ブラック、三遊亭貴楽、三遊亭円左衛門、古今亭駿菊の各師、計8名かなと思われる。

 

少しだけ例外があるとすれば、名古屋の落語家であろう。くだんの笑くぼさんもそうだし、もっと重要な一門として登竜亭一門がある。これは真打昇進という条件でいえば上の条件を満たさないが、そもそも名古屋には元来真打制度がないので(小福師が突発的に真打を名乗った程度)、上方同様、真打制度がそもそもないと考えるとすれば、現在活躍される雷門獅篭師・幸福師・福三師は小福師の下で前座修行を修了したプロであるので、彼らは数えていいだろう。ちなみに、上方との相違点としては、制度として前座というものだけははっきりとあるらしく、どちらかといえば、芸協の色物に近いシステムを取っているように思える。

そして、今となっては彼らも弟子を取るようになり、現時点で3名がおり、登竜亭は6名を数えるようになった。今後とも発展していただきたいと思う。

 

話を東京に戻すが、先ほどの8名のようなフリーの落語家の下に入門して、プロとして活動をするのなら、それは落語家としてみなしてもよいとも考えられる。この辺は最も意見の分かれることであろう。

かつてブラック師が立川流を除名になった際に、当時5人いた弟子の処遇が問題となった。この時点で、彼らは全員、師匠を変え立川流に残る道を選んだ。のちに吉幸師(くしくも彼は新しく師匠になった談幸師について結局立川流を抜け芸協に入った)が語るところによれば、「ほかの師匠から、ついていくのも一つの道だ、と言われた。しかし、フリーでやっても周りのだれも落語家と認めてくれないと考えたため、残ることにした」と。

そういうわけで、フリーの落語家につく弟子は少ない。ただ、当のブラック師はフリー転向後も積極的に弟子を取ってきた。とはいえ、いまや誰も残っていないが。さて、廃業はしたが、二つ目昇進して披露を行った事例としてブラ坊さんがいる。6年近くにも及ぶ前座修行を修了し二つ目となり、ほかの落語家と落語会を開いたり、「二つ目だけが出られる」という連雀亭にも出演し、フリーながらも二つ目の落語家としての市民権を得ていたことは重要であろう。彼は円満でない形で落語界を去り、残念であるが、少なくとも、現時点でフリーの弟子はプロではないという見方は終わったとみるべきであろう。

同様の事例はらぶ平師のところにもある。まず最初にらぶ吉さんという弟子を取ったが、彼は普段広島で社会人として働いているため、「内輪でプロの弟子になった人」とみなすべきであるが、そこから下の弟子はまた別だろう。らむ音さんとらぶ丸さんというのだが、彼らはフルタイムの芸人として、前座修行を行い、らむ音さんは最近になってブラ坊さん同様、二つ目昇進披露を行った。師匠の古巣である落語協会の者も含め、共演する落語家も増えてきた。今の一番の悩みの種はこの一門だ。どういうわけか名鑑は未だに彼らを掲載していないため、こっちも掲載していない。皆さん、どう思います?本当に悩んでいます。

 

まあ、まとめると、今、「フリーの落語家」と言えるのは上方以外で合わせて16名ということになるか。

ちなみに、動向掲載のフリー落語家は12名で差分は喜助師とらぶ平一門だ。

 

上方にはもっと頭が痛い問題がある。それは「上方においてフリーで活動する落語家」だ。

上方落語協会はその歴史的経緯から、加盟していない落語家もちょこちょこいる。現時点で、芸協所属の鶴光一門を除けば「15名」ということになっている。

ちなみに、この15名は東西寄席演芸家名鑑に載っており、内13名は上方落語協会のサイトに「名前だけ」掲載されている(当然ながらプロフィールにはない。ちなみに掲載されていない2名は鳥取在住の文吾一門)。

しかし、それ以外にも実はフリーの上方落語家はいるのだ。というのも大人の事情がある。全員が何らかの円満ではない事情で協会から去ったからである(その割に逮捕されたにもかかわらず、未所属の状態で名前が残っている者もいるが…)

Wikipedia基準で申し訳ないが、「脱退」(名鑑掲載者以外)もしくは「除名」となった者が7名ほどいる。ただし、色々調べる限り、現在、事実上活動を行っているのは桂福若師とてんご堂我楽(元・笑福亭瓶太)師ぐらいでしょうね。
プロとしてゆるやかでも活動している以上、この辺はらぶ平一門同様、悩みどころです。

 

あとは、「寄席演芸家名鑑」についても再度触れておくかな。今まで触れてこなかった方で、フリーの落語家として掲載されている方がいる。それは三遊亭はらしょうさんだ。ご存知の方もいるかもしれないが、「ドキュメンタリー落語」を演じる自称「第三の落語家」というタイプの芸人さんだ。要は新作落語の一種とも解釈できるので、落語家という見方もできる。

ただ、彼にはちょっと問題がある。それは落語協会の前座修行を修了せずに、入門から2年ぐらいで一度破門されていることだ。これは本文の定義を根本的に満たせていないということになる。そして、その後、破門自体は解かれたのだが、修業のやり直しをしたわけではなく、あくまで色物の弟子として円丈師の身内に置かれただけなのである。たぶん漫談家として再スタートを切ったということなのだろう。その後、洋服で正座をして落語風に身の上話を語ったことがウケて、円丈師のすすめもあり今の芸風になったらしい(この辺は本人の文章による)。いまだ、立場としては色物(落語協会への登録はないが)であることから、私の定義としては申し訳ないが外させていただくつもりである。

もう一つ言うと、去年円丈師が亡くなったのに、新しい師匠につく様子がないんですよ。。まあ、色物だったらさておき、落語家の二つ目として扱うにはそういう意味でも不適格と言わざるを得ません。ちょっと彼は新しく誰かの身内につくまでは今後とも「動向」には非掲載とさせていただきます。

この辺を許したら、芸協準所属的なポジションで東北弁落語を演じる六華亭遊花さん(遊三師の弟子という立場になる)はどうなんだ、ということにもなるので(芸協の某師匠曰く、彼女は芸協で落語家としての前座修行を行ったわけではないので、正会員と同列に扱えないとのこと)、ちょっとこの辺は引いておきたい。