爆走五十路街道『反逆の軌跡』

爆走五十路街道『反逆の軌跡』

ブログの説明を入力します。

Amebaでブログを始めよう!
20日(金) 仕事開始直前に兄からのLINE。
『母、危篤』

会社に電話、代理の人を呼んでもらい急いで帰宅~帰省。

病院へ直行、兄嫁に状況を聞く。心臓が衰弱しているうえに肺炎も患ってるからスムーズな呼吸が出来ない。要は薬で生き伸ばされてる状態。




遺族としては少しでも頑張って欲しいと願う、医者もそうだろう。でも母自身はそれを願ってるのだろうか?苦しむ姿を見ながらそんな考えが湧いてきた。それでもやっぱり生きて欲しい。たとえ俺のエゴでも。



部屋には付き添い用のベッドまで用意されていた。いよいよなのかな。この日は姪が自ら付き添いを志願。


21日(土) 朝から病院に向かい姪とバトンタッチ。何をするわけでもないが母の側に付き添う。たまに手を取ったり、頭を撫でたり、呼びかけてみたり。解ってるのかどうか、こちらには解らない。

とりあえず様態も持ちこたえ安定したようなので後は兄貴家族にお願いして帰ることに。

手を取り額をくっつけて『頑張れよ!また来るからな!』と声をかける。後ろ髪引かれる思いで帰宅。


実家に到着の電話を入れたら、様態急変、先程息を引き取ったとの報告。


なんだよ、それ。もっと長居すりゃ良かった。いや、もう一泊すれば、、、思ったところで後の祭り。

さっきのが生きて最後のご対面。臨終の場面に居ないからいまいち実感も沸かないし、入院長かったからある程度覚悟出来てたのか、涙も出ないよ。


斎場の予約がいっぱいらしく葬儀は一週間後とのこと。遺体は預かっていただいてるらしい。そんな訳で母が逝った翌日から俺、普通に働いてます。



そして29日(日)。朝から帰省、家族と斎場へ向かう。懐かしい親戚やお世話になったご近所さんたち、母の最後をお見送りに来てくださいました。こんなことでもなければ顔を会わせる機会もないのが情けない。義理ばかり欠いて生きてるよな、俺。





式は淡々と進んで行く。母への送る言葉の途中、斎主が俺の名前を読み間違えたことは一生忘れない。
そして最後のお別れ、お棺に花を入れて上げる時触れた母の頬はとても冷たかった。
『俺もすぐ行くからちょっとだけ待っとけ』

姿かたちある母にはもう会うことが無いなか、、、そう思ったら涙が止まらなくなった。母が逝ってから初めて、声をあげて号泣。

お棺を皆で運んでいよいよ焼き場。たまらなく嫌な雰囲気。でも仕方ない。

暫くの間、広間で食事しながら談笑。湿っぼいのは苦手、これでいい。


最後の最後、焼きあがった母の骨を拾いに行く。また涙が溢れ出す。少しだけ骨を食べてみる。生前は散々悪態ついて来たけど俺はやっぱりこの人を愛していたんだなと実感。



心配ばかりかけてきた駄目な息子、申し訳ない気持ちでいっぱい。親孝行出来なかったな。後悔ばかりだよ。



人生なんてあっという間。次は俺かもな。
そんでさ、もし生まれ変われたとしたらやっぱりアンタの息子がいいです。アンタは嫌がるかもしれないけど。

またな、ありがとう。