現代ビジネス Yahoo!ニュースより引用

元気だったあの子を返して…!赴任先のタイで息子が自殺、日立造船の判断を覆して「労災認定」を受けた母の「執念」と「会社への思い」

現代ビジネス

「毎回おこられてばかりで、とても辛い」


写真:現代ビジネス

「今、オレは仕事が全然できなくて、毎回おこられてばかりで、とても辛い。でも、なぜか今になって、父のことを思い出す。父は働いているとき、何を思って、何をやりがいに感じて仕事をしてきたんだろう。朝早くから、遅くまで働いていることはスゴイ。30年近く、それを続けることは、並外れた努力のたまもの。今になって、父の子で良かったと思う」

2021年4月30日、新型コロナウイルスが世界的に猛威を振るっていた真っ只中、27歳の若者が異国の地で自ら命を絶った。

亡くなったのは、日立造船の社員として同年1月からタイに赴任していた上田優貴さん。前述したのは、優貴さんが亡くなる前に書いていた「一日三行ポジティブ日記」の一部だ。

日記には、1日にあった嬉しかった出来事などが三行で簡潔に記されていたが、最後のページには長文で、父親に対する感謝がつづられていた。

優貴さんの死後、大阪南労働基準監督署(労基署)は、初めてだった海外勤務での業務内容の変更や、上司による厳しい叱責や業務指導が、優貴さんに与えた心理的負荷の強度を「強」と評価。死亡直前に精神障害を発症したとし、労災を認めた。

「仕事は忙しいけど、楽しいよ。いろんな国籍の人がいてね…」「いつか自分も先輩のように海外に行くと思うよ」

タイに赴任する前、家族に対して、仕事に対する熱意をこのように語っていたという優貴さん。夢と希望にあふれていたはずの彼は、数ヵ月の間でどのように精神的に追い込まれ、自死を選択するに至ってしまったのだろうか。

「昼までは死にたかった」


日記の一部

優貴さんは富山県出身で、大学院で電気工学を専攻。「環境と電気をつなぐ仕事がしたい」として、2018年4月に日立造船に入社した。日本では、海外のゴミ焼却発電プラントなどの電気設計業務に従事していた。

優貴さんの母親の証言、日立造船の報告書、労基署の開示資料によると、優貴さんは2021年1月にタイに到着。新型コロナの感染拡大防止策として、ホテルで2週間の隔離期間を経て、2月より現地で業務を開始した。

一方で、優貴さんが担当していたプロジェクトが予定より早く進捗したことから、3月半ばからは専門外である機械の試運転の業務に携わることが急遽決まった。経験したことのなかった業務にもかかわらず事前研修はなく、また、これまでとは違うシフト制での勤務が始まり、業務時間も増加した。

心身共に疲弊する状況が続く中、上司が優貴さんに対し、ミスを厳しく叱責する様子も見られるようになる。そうした状況下で優貴さんは、一日三行ポジティブ日記を書き始めるようになった。

・3月28日

「今週の週報の所感は前回よりも出来が良かった」

「昼までは死にたかったけど、週報作ってたら死ぬ気なくなった」

「久々に食べたマックのチーズバーガーがとてもおいしい」

・4月16日

「前日お酒を飲まなかったのでスッキリ目がさめた」

「悪夢を見ずに目がさめた」

「マンゴーフローズンがうまい」

・4月18日

「特に何もしていないが死にたい気持ちにはならなかった」

「カイベンだった」

「お酒のまなかった」

日記には度々、「自死」をほのめかす表現が出てくる一方で、日常のささいな幸せを何とか見つけようとする優貴さんの想いが見えてきた。前向きな言葉をつづることで、心の平穏を必死に保とうとしていたのかもしれない。

深夜に及ぶトラブル対応


優貴さんが亡くなった現場

優貴さんが亡くなる前日の4月29日、設備でトラブルが起きた。対応として灰の掻き出し作業が発生したが、体力的につらい業務だった。上司は一度、体力面を心配して優貴さんからの手伝いを断ったものの、自ら率先して始めたため、その意思を尊重したという。トラブル対応は、深夜にまで及んだ。

その翌日、優貴さんは通常通り出勤し、ミーティングに参加した後、ボイラーの約30メートルの高さから、手すりを乗り越えて飛び降りた。すぐに同僚らによる応急措置が行われ、現地の病院に運ばれたが、帰らぬ人となった。

後に確認された優貴さんのスマートウォッチの睡眠記録を見ると、亡くなる数日前から睡眠時間は3時間前後で推移し、通常より短くなっていたことが分かった。労働環境の急激な変化に加えて、コロナ感染対策に伴うコミュニケーション機会の減少、信頼していた上司の帰国、滞在期間の延長など、優貴さんを追い詰めるさまざまな要因が重なっていた。

後日、会社が実施した現地社員を対象にしたヒアリング調査では、優貴さんの人格について、「静かで、笑わないがいい人だった」「良く働き、まっすぐであり、責任感の強い人だった」という表現が見受けられた。同僚や後輩からも慕われ、頼りにされていたという。

慣れない業務でも頼まれると、「できない」と言うことがなかったという優貴さん。その責任感の強さが仇となり、自死を選択してしまったのだろうか。

「会社の説明に納得できない」




優貴さんと母親の最後のやり取り

一方で、優貴さんの労災認定の裏には、遺族の多大な苦労があった。

「少しずつ息子の持ち物がタイから送られてきて、細かい日時のデータが記入されている手書きのノートを見ると、会社側が提示した勤務時間以上に働いていたのではないかと思い、会社側の説明に納得できませんでした」

息子の突然の死に打ちひしがれた、母親の上田直美さんはこう語る。事故当初、タイ警察が死因を特定しなかったことから、会社からは「自死か事故なのか分からない」という説明を受けていた。

しかし、「優貴さんが手すりを自ら乗り越える様子が映っている監視カメラの映像がある」という証言や、一日三行ポジティブ日記や労働時間の記録を確認していくにつれ、「息子は自死した」と確信したという。

過労死問題に長年携わる、いわき総合法律事務所(大阪)の岩城弁護士に依頼し、優貴さんの死の真相を明らかにするための闘いが始まった。直美さんは自らタイの地に赴き、事故現場を視察。優貴さんのパソコンなどから過去の同僚とのやり取りを見つけ、英語のチャットは翻訳ソフトを使って訳した。独立性のある立場から事件を検証するため、日立造船に第三者委員会の設立も要請した。

「やっとの思いで私たちの話しを聞いてくださる岩城先生にたどり着くことができました。もし先生に相談していなかったら、息子は単なる海外の事故死とされ、このように報道もされず、誰も真実を知らないままになっていたでしょう」(直美さん)

弁護士事務所は、優貴さんが作成していた週報やエクセルの保存時間、メールの送信履歴などをもとに、改めて労働時間を算出した。すると、1ヵ月当たりの残業時間は、会社が把握していた時間を大幅に上回る最大149時間11分にも上っていたことが分かった。

今回のケースは、直美さんの執念が実り、労災認定につながったものの、岩城弁護士は、海外での過労死案件について真相を明らかにすることの難しさを指摘する。

「自殺の認定って大変なんですよ。パソコンのログイン・ログオフ、入社の時間、通勤に利用するICカードやコンビニのレジの伝票まで、労働時間立証のため、情報を集めるのにすごく苦労する。ところが海外だと、労働時間を管理できていないことが多い。日本国内の案件でも労災申請は非常に困難なのに、海外の場合は何倍も大変」

労働時間を立証することができず、海外での過労死が認められなかったケースも複数あるという。

海外で年間100~200人が精神障害

グローバリゼーションによる日系企業の海外進出に伴い、海外で暮らす邦人は増加してきた。外務省統計によると、海外在留邦人数は、1989年の約59万人から右肩上がりで増え、2019年には約141万人にまで拡大。以降は新型コロナの影響もあり減少傾向にあるものの、2023年で約129万人もの邦人が海外に在留している。

在外公館が把握している海外の事故・事件に関する邦人援護統計によると、2012~22年の間、年間約100~200人が「精神障害」を理由に援護されている。さらに30~70人程度が毎年、海外で自殺および自殺未遂している。

日系の製造業などが集積するタイは、居住環境が整備され、比較的住みやすい国とされている。それでも、筆者がタイに住んでいた間、現地の駐在員やその家族からは、海外生活特有の悩みを聞くことも多かった。

たとえば、「勤務する工場が地方の隔離された場所にあり、社内に日本人が他にいないので、孤独な生活を送っている」「中間管理職として、日本本社と現地会社の板挟みになっている」「食生活や生活環境が合わない」など、日本とは違う働き方や生活様式に、慣れない人も少なからずいた。中には、うつ状態になってしまう人もいた。

岩城弁護士は、海外での就労について、「言葉が通じないという問題や、少ない人数で、心を通わせる仲間がいないという課題もある。業務そのものが孤独で、非常にストレスフルだといえる」として、企業は社員に対し、注意深いケアが必要だと指摘する。

「元気だった息子を返して」

日立造船からは遺族に対し、労災認定に伴う弔慰金が支払われたものの、7月21日時点で、正式な謝罪は行われていない。今後の対応について、同社に取材を申し込むと、次のようなコメントが送られてきた。

「亡くなられた故人に対しあらためてご冥福をお祈り申し上げ、ご遺族の皆様に謹んでお悔やみを申し上げます。現在、ご遺族側との話し合いを続けている段階であり、そのため、メディアを通じて当社の見解を伝える段階ではないと思量しております。また、従業員が安心して働ける環境作りに注力しておりますが、そちらも今後皆様にご案内できればと考えております」

直美さんは今後、優貴さんの死を無駄にしないためにも、「日立造船に対して、再発防止対策を求めていきたい」と決意。海外駐在時の待遇改善策をまとめて、会社に提案する準備を進めている。

その献身的な取り組みの裏には、こんな後悔があるからだ。

「いくつも、息子を助けられたポイントがあったと思うんですよ。ビデオ通話をすれば、表情が見えて、“この子は病院に行かなければならない”と分かったかもしれない。でも、海外という事情で、時差があるし、“休みじゃない日に連絡したら迷惑かな?寝ている時に連絡したら睡眠のさまたげになるかな?”とか、躊躇してしまった」

「息子がつらい時に、“みんな頑張っているんだから、頑張っていかなくちゃね”って、そういう励ましをするのではなくて、“なにか、つらいこととかあったん?”と、周りに気にかけてくれる人がいたら、助けられたかもしれない」

そして、いまは悲しさよりも、悔しさの感情がこみ上げてくるという。

「息子と夕飯を食べながら、もっと楽しい話をたくさんしたかった。会社に申し上げたいのは、従業員一人一人、大切に思っている家族がいることを忘れないでほしいと思います。そして、元気だった息子を私たちに返してください」

日本国内と比較して、見落とされやすい海外での労働環境。今後もグローバル化が進むことが見込まれる中で、企業には海外での勤務体制の管理強化が一層求められている。

泰 梨沙子