【最高のメンタルトレーナー】

わたしの産土神社。太龍寺の麓にある蛭子神社。


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3歳頃まで蛭子神社の近くに住んでいた。

2歳頃、台風で当時住んでいた官舎が浸水。子ども心に恐怖を感じていた時、父が助けに来てくれた。しかし、父はわたしより兄を抱っこして行ってしまった。顕在意識にあった一番小さい頃の記憶。

わたしの思い込みはエスカレートし、わたしは両親の本当の子どもではないと思うようになっていった。

中学、高校、大学と殆ど父とは話をしなかった。わたしの態度はいつもつっけんどんで愛嬌はみじんもなかった。

父の存在はとてもありがたいと感じていても、何処かで受け入れられない素直になれない自分がいる事を感じていた。

それは、浸水した時に父が一番にわたしを助けに来てくれなかったから性格が捻くれたのだと自分の中で定義付けをしていた。

NLPのタイムラインでもこの場面がでてきていた。

面談技術研修でも父との関わりが自分自身の行動に影響を及ぼしている事を再度認識。深い気づきを与えてくれた。それは、父に認めてもらいたくて、頑張ろうとしてしまう人に弱みを見せたくない自己成長型のモデルになっている事。

先日、道幸武久氏のセミナーで集団ヒプノセラピー中に母の胎内にいた時の記憶が蘇ってきた。第3子で生まれたわたしの誕生を父は望んでいなかった。それは、経済的な理由からであったが父の言葉に母が傷つき、その感情とわたしの存在を否定されたショックで胎児のわたしはとても傷ついてしまった。

思い出したくない事を思い出してしまったと、実は少し複雑な気持ちであったがインナーチャイルドを癒していこうと思っていた。

そして、これもわたしのUSPだなと思えるようになっていた。

心理カウンセリングをさせていただいていると、親子関係の問題から目をそらす事が出来ない。さらに、なぜか親子関係の課題をもつクライアントさんに共感してしまう自分がいた。

そして先日、シータヒーリング中にわたしは母の胎内から降ようとしていた事を思い出した。実際、出産予定日よりも早く生まれ、病院に着く前に破水し、未熟児で生まれ2週間程保育器の中で育っていた。

父がわたしの存在を望んでいないと胎内で感じてしまった事から「わたしの思い込み」は成長し、小6で「子どもなのに死にたい」と感じてしまう事がないように出来る先生になりたい。と、願い、大学では「学校教育におけるデス エデュケイションを研究。

〜続く〜