この数日で、池波正太郎「日曜日の万年筆」とドメストル美紀さんの「フランス伯爵夫人に学ぶ 美しく、上質に暮らす45のルール」を続けて読んでいました。





この2冊を読んで、昔の東京の粋と、パリの上流階級の人たちが継いでいるエレガンスって、共通するものがあるような気がしたのです。


もちろん私にはパリの上流階級の人たちに会ったことはないから想像になるけど、なんとなく、母方の祖母を思い出しました。


祖母は私が10才の時に亡くなりましたが、今でも覚えているのは、家でもタイトスカートをはいていたこと、祖母の口癖を真似して私も「みみっちいわ」と言って笑われていたこと。


みみっちいって、しみったれてるとか、けち、せこいという意味だけど、四谷生まれの祖母は、粋か無粋かで判断して、無粋なみみっちいものが嫌いだったんだと思う。生き方も含めて。


「日曜日の万年筆」からは引用したい言葉がありすぎたので、「フランス伯爵夫人~」からいくつか抜粋します。


エレガンスとは、品格を持って生きようとする、その姿勢のこと。自分の中に宿すもの。

人の目を意識するのは、社会性のある大人であれば当たり前のこと。

汚してもいい適当な安い服など持たず、いつも上質な服を着て、気をつけながら生活する。こういう日々の積み重ねによって、いざという時に「無理のないおしゃれ」ができるのです。

背伸びしたおしゃれというのは、知性の低さを露呈するだけ。

外に感性を求めるより、自分の内面を探ることのほうが大切。自分はどんなスタイルが好きなのか、何色が好きなのか、どんな匂いに惹かれるのか、どんな音楽に安らぎを感じるのか。自分の感性に耳を傾けるのです。

見かけの豊かさに美しさが宿ることはないのです。

豊かさとは「自分のために」という目的の持ち方から始まります。



粋もエレガンスも、日々の暮らし、どう生きているか、その人の内側から滲み出てくるものなんだと思う。


今、2冊の本を通じて、祖母がわざわざ教えたわけではないけれど感じさせてくれていたことを思い出せて良かった。


みみっちい生き方は嫌だものね。