こんにちは、冴木遥です。


今日はキッチン、冷蔵庫の中を徹底的に片づけ、そうじして、気分が良いですルンルン


普通は年末の大掃除でやることなんでしょうけどニヤニヤ


3/21の宇宙元旦に向けて、いま大掃除してるってことで(笑)



ところで、皆さんはいま一番欲しいものを素直に「欲しい!!」と思えてますか?言えてますか?妥協して、2番目、3番目で良しとしてませんか?


なんだったら、本当は欲しいくせに、欲しくないふりをしてませんか?


私は、本当は欲しくて仕方がないくせに、私が一番欲しいものを持ってる人を批判的な目で見て、その欲しいものを手に入れないようにしてました。


そして、代わりのものを、私が好きなもの、お気に入りのものと思い込ませて、我慢していた。


だから、片づけのとき、代わりのものに全然ときめかなくて、また絶望(笑)


捨てるしかなかった。


どうして、私は私の願いをちゃんと叶えてあげようとしなかったのか。


例えば、ノートひとつを取っても、私は自分の願いを叶えてあげていなかった。


以前、蔵前にあるカキモリでオリジナルノートを作ったとブログに書いたことがある。


その時は、カキモリでノートを作ってみたかったし、それが私の欲しいものだと思っていた。


だけどね、本当は違った。


使ってみたいノートがあったのに、私はそれを買えなかった。


そのノートを使ってる人たちを、バカにしていたから。


モレスキンやロイヒトトゥルム、ロディアといった、外国製のノートを使ってる人たちを見て、そのノートが似合う人、似合わない人を分けていて、似合わない人をバカにしていた。


そういうノートを使う人は「おしゃれでかっこよくないといけない」って勝手に思っていたから。


だから、本当は私も使ってみたいのに、似合ってないと思われたくないから、買えなかった。


すべて他人目線だった。


欲しいものは、誰かが良いと言ってるからだったし、欲しくないふりをするのは、他人にどう思われるかを気にしていたからだった。


私にとってノートは、自分を知るために、必要不可欠、重要なツールなのに、それですら「これでいいや」と自分をごまかしていた。


「本当はどうしたいの?何が欲しいの?」


出てきた答えは、これだった下矢印





ロイヒトトゥルムのA5サイズ、無地で、色はベリー。


本当はずっと使ってみたかった。


何度もお店で見ていた。


だけど、自分の中であらゆるイチャモンをつけて、買えなかった。


リングノートじゃない、A5サイズは大きすぎるとか、私の好みから外れてるってことにしていた。


でも、私の好みなんて、過去のデータを積み上げたものでしかなくて、一瞬で真逆のものを好きになることだってある。


とにかくこのノートを使ってみたい。


ただそれだけだった。


それでも、今の私には3000円するノートを使うのはどうなの?と思った。


今度は、金額のせいにしようとした。



このノートを使うと決めなさい!!


そして決めたら、「あのポイントがたまってるから、ポイントで買えるよ!」ってインスピレーションがふってきた。


翌日、すぐにお店に行った。


手に入れた日はドキドキして、何も書けなかった。


それから一週間、このノートを使うことは私の日常になっている。


願いを叶えてあげられた自分がいると、デスノート的なこと(悩みや不安)を書くよりも、「今度はどんな願いを叶えようか?」と自分と会話するほうが私にふさわしいと感じられるようになった。




一番ときめくものがあるのが、私の日常。

願いを叶えるのが、私の日常。