ー 1/22 上江洲義秀さんの光話より ー



今回の香港のセミナーでもこういう質問を受けました


マンションをローンで買いましたと言います

お父さんお母さんの面倒も見なければならない

子供も生まれた

でも、もうその銀行のローンを含めて

生活費も支払いに苦しいですと言うんです


誰がその原因を作ったの?と言いたいんです


1000円しかない者が1000万円もの買い物をすれば苦しいです


これを「足ることを知る生活」と言うんです


100円しかないならば100円


しかし、元子さん(スタッフの方)は100円を持っていても

マネキンが着ていればすべて美しく見えるものだから

いっぱい買いこんできて、あと支払いに苦しみますよ


これは私が南米から沖縄に戻ってきたときに体験したんです


足ることを知る生活


そうならば、あばら家に住んでいても幸せだったんです

なんの苦しみもなかったんです


ある日、隣に引っ越してきた者が高級車を買いました

豪邸を建てました


人間の欲望は限りがないですから

よし、我々も負けずに高級車を買いました

豪邸も建てました


1000円しか給料をもらってないのに

1000万円だ、2000万円だ、

旦那さんの働きに合わないローンの支払い、

奥さんが働きに出ます

奥さんが働きに出て行って

手っ取り早く多額の金を得るには飲み屋、

飲み屋で酒に溺れている間に、酒飲みの相手をしている間に

あー、私は昔からこういう姿格好の男性が好きだった、

そこで浮気、家庭崩壊

そういう状態を散々見てきたんです


だから、そのような質問をされた香港の方に私は言いました


誰が招いた結果なのかと


あなた自身が招いた結果であるならば

あなた自身が知恵を使って処理しなさい、と言うんです


誰のせいで苦しんでる

誰かのせいで苦しんでる、ではないんです


喜びも幸せも至福も、悩みも苦しみも不調も

すべて招いているのは自分なんです


香港でも多くの方々が言いました

2019年は大事な時期だと言うんです

ひとりひとりが、そのように感じている方々もいます


2019年、2020年というその年は

何の種を蒔いたか、顕著にそれが現れる時なんです


今まで皆さんが種を蒔いても

発芽するのは時間がかかりました


何週間、何ヶ月、何年、何十年と時間をかけて発芽して

その樹は大木となりました


その種まきは、思い、言葉、表現で種まきをしています


その蒔いた種は必ず発芽します

発芽すれば必ず大木となります

大木となれば必ず実をつけます


誰が刈り取りましょうか

蒔いた本人が刈り取るんです


愛の種を蒔けば、その発芽した木は大木となります


大木となれば、恨み、怒り、嫉妬、あるいは苦しみ、悩みという実をつけることはないんです


愛の種を蒔けば、刈り取りは喜び、幸せ、至福で刈り取るんです

愛の実ですから


逆に、恨み、怒り、嫉妬という種を蒔いてみてください

発芽して大木となれば、何を刈り取りましょうか


恨み、怒り、嫉妬という種を蒔いて

幸せです、喜びです、安らぎです、至福です、

そんな実なんて刈り取れないです

不可能です


愛の種まく者は、喜び、幸せ、至福で

その実を刈り取ります


恨み、怒り、嫉妬、分離感という種を蒔けば必ず

刈り取りは、悩み、苦しみという不調和を刈り取るんです


これは一点の狂いもないんです

針先の一点ほども狂わないんです


その針先一点も狂わない法則そのものが

皆さんが今まで追求してきた神だったんです

これが宇宙真理、真理だったんです


神は手の届かぬ遥かにましますでもない

神社、仏閣、お寺、教会、宮に奉られた動かぬ仏像でもない


一瞬一瞬の中に働く、一点狂いのない完全法則そのものが神だったんです


私は物心ついた時から神を追求しています

何が神なのかと


神を見出した時、私はその神を命と自覚しています


神は命なり

命は愛なり

愛はすべての原因、本質なり


その神を見出した時、神は私に何を語ったのか

何をこの私にやれと言ったのか

ただ一言だったんです


もう今生の身ではないですよ、我々は


もうここに参加している方の中にも

ある方は何百回、何千回、何万回という転生をくりかえして求めてきた神なんですよ


何百回、何千回、何万回という輪廻をくりかえしながら

求めてきたその神なんですよ


その神は、長く多くの言葉を使って語ったのか

ただ一言だったんです


幾転生、幾転生も神を求めてきたけど、

たったその一言かと思うほど

たった一言だったんです


どういう言葉だったのか


「私を生きよ」だったんです


「私」とは誰なのか

私を命として完全法則の中に生きよ、だったんです


すべてのすべてあってあるものを

愛し生かし生きよ、だったんです


今まで人類は、殺して生きよ

必ず自分が死にます


なぜなら殺した相手は自分なんだから

恨んだ相手は自分なんだから

怒りを向けた相手は自分なんだから

嫉妬している相手は自分なんだから

必ず自分が苦しみます


これを自己破壊と言うんです

これを自殺と言うんです


首をつって下がっているだけが

自殺ではないんです


恨み、怒り、嫉妬に燃えてはね返るその波動によって

自分自身が破壊されること

これを自殺と言うんです

自己責任なんです


「私を生きよ」の一言だったんです


私とは、愛です

私とは、智慧です

私とは、力です


私を生きよであるならば

殺して生きよではなく

生かして生きよであるということなんです


なぜならば

我はすべてであり、すべては我なり


我は全体であり、全体は我なり、であるゆえに

皆さんがどこをどう探したって、命はひとつしかないんです


あなたの命、私の命


ふたつと命はないんです


ひとつの命であれならば、一命であるならば

「相手」というのはいないんです


一命一体、自他一体、全一体


だから相手を憎んでいると思うけど

憎んでいるのは自分なんです


相手を傷つけたと思うけど

傷つけているのは自分なんです 


相手を殺したと言うけど

殺しているのは自分なんです


必ず自己破壊します


だから殺して生きよは、必ず自分が死にます


我々は常に相手を生かして生きよなんです




(続く)