ー 1/22 上江洲義秀さんの光話より ー

 

 

解脱とは、この現象という結果世界から解放されていること

 

この肉体という衣装をまとっていながら、肉体の影響を受けない自分

家族でいながら、家族に縛られない執着しない自分、

この世に生きながら、この世に支配を受けない自分

 

これを解脱と言うんです

 

しかし、この肉体を受けて

見えるものの影響を受けている者

見えるものに支配されて生きている人間

これは自縛と言うんです

 

だから、よく私に地縛霊がと言うけれど

自縛しているのはあなたではないのか?と言うんです

 

自縛をもう一度書いてみてください

自ら縛ると書くんです

 

本来、自ら無限という本質でありながら

私は病気です、私は病人です、私は何々です

 

縛っているのは自分

これを自縛と言うんです

 

霊が自縛しているんではないんです

 

霊は命なり

命は神なり

神はすべての原因、本質なり

 

水子霊、地縛霊、祟りの霊、悪霊、迷った霊なんていないんです

 

全部、人間の観念、概念、霊を知らない愚か者が

皆さんには、霊なんて、本質なんて

ここに遍満していても見ることはできません

 

その霊なる本質はここに

この宇宙に針先一点空間なく満ち満ちていても、遍満していても

見えないが故に皆さんそれに脅されて

 

あなたには何体の水子の霊、何体の悪霊、何体の地縛霊、何十体の迷える霊、

皆さんはそれに恐怖させられて

供養したら救われる、拝んだら救われる、

皆さん、金儲けに利用させられているんです

 

水子の霊なんていないんです

もし水子の霊が実在で、皆さんに災いを与えるならば

 

私が住んでいた南米には水子の霊なんて

誰ひとりだって説く者はいない

 

アメリカなんてなぜ、あるいはヨーロッパなんてなぜ、水子の霊を説く者がいないのか

 

いるならば、実在ならば説きますよ

 

だから、それを説いている国、説かぬ国があるならば

それはおかしいということなんです

 

実在ならばどこにでもあるんです

 

皆さんがこの地球のどこを探し求めても

この地球、あるいは宇宙で、どこを探したって、何を求めたって

この本物を見出しているものはひとつしかないんです

 

すべての原因である本質、命こそが

たったひとつそこに実在あるものと言い切ります

 

皆さんの目に映し見て「今いる、ある」はないんです

 

だから、この世は無常世界と語るんです

この世は影、幻、幻影と言うんです

 

もちろん皆さんに、仕事を捨てないでもありません、家族を捨てよとも言いません

この現象という世界を否定しなさい、ではありません

 

ただ皆さんに理解してほしいというのは、ひとつなんです

 

何が真実か、何が非真実か

何が本物か、何が偽物か

何が実相か、何が仮想か

何が実在か、何が非実在か

 

これを理解してほしいであって

私は何を捨てなさい、何を否定しなさいとは言っていません

 

なぜならば命としての見えない本質は

この肉体という乗り船があればこそ

皆さんとこのように学ぶことができるんです

 

この肉体船を失っては皆さんと学ぶことはできないんです

 

だからこの肉体船を私は粗末にしなさいとは言っていないんです

 

だが今の宗教は非常に勘違いをする宗教もあります

 

何もかも捨てよ、捨てよ、捨てよ

捨てて生きていくことができるのかと言います

 

この乗り船があればこそ、皆さんはこの世界で学び成長し、

とうとう本質の世界に錨を下すことができるんです

 

黄金の海原と、皆さんが歩んでいる道

人生とは道です

道とは人生です

 

いま世界の人口、60億70億と言われ

そのひとりひとりの人生、道を歩んでいます

 

いま厳しい道を歩む者もいます

やわらかい道を歩む者もいます

平坦な道を歩む者もいます

すべて含めて、黄金の海原と言います

 

黄金の海原を櫂でボートを漕ぎ

そのボートを櫂で漕げるならば

とうとう本質の岸に錨を下すことができるだろう

 

黄金の海原とは皆さんが歩んでいる人生

その人生を、櫂とは愛なんです

 

ボートを漕ぐ櫂は愛です

ボートとはこの肉体です

 

このボートを、この肉体を

愛そのもので顕現して、皆さんが進むことができるならば

必ずや本質の世界に錨を下します

 

だから本質という世界に融合していくための

パスポートはひとつしかないんです

愛というパスポート

 

日本から香港へ、どこの国に出入りするにも

我々はパスポートというものを使います

しかしそのパスポートは結果世界に通用するものであって

本質の世界には通用しないんです

 

何冊もパスポートを持っていても

根元の世界には帰れないんです

どんなに地位、名誉、財、富、金に恵まれていても

根元の世界に帰るパスポートとはならないんです

 

本質、根元の世界に錨を下すためには

唯一必要とするのは「愛」というパスポートなんです

 

我愛なり

すべては愛なり

 

その愛は、ただ女性男性の愛を説いているのではないんです

愛は本質そのもの、命を愛と説くんです

 

愛されていないと言う人間もいるけど

愛されていなければ、この者の肉体はこれはもう死体なんです

 

愛されていればこそ、ここにいる者としているんです

 

なぜなら愛は命ですから

命こそ本質ですから

 

その本質は、金持ち貧乏、学のある者ない者、

あるいは、どこの国に生まれ育っても

命という本質こそすべてにおいて平等なんです

 

肉体自ら無なり

肉体自らゼロなり

 

肉体が生きている、肉体が何かをやっている

これは錯覚なんです

 

肉体自ら何の力もないんです

まさか今肉体から命が去れば、その肉体は何と言いましょうか

 

目あって見えません

口あって一言も話せません

耳あって一声も聞けません

手足あって指一本すら動かせません

 

これ死体と言うんです、死人と言うんです

だから肉体なんて始めから死んでいるんです

 

精子と卵子が結合し、一個の細胞が分裂、増殖を繰り返しながら

一肉体という表現体が仕上がります

 

しかし本質、命を宿さずして生きているものがいるでしょうか

 

約10か月10日でこの肉体という器が仕上がったとしても

命と言う本質を持つことがなかったら死産で出てくるんです

 

あなた方が「私、私」と思い見ているこの肉体に

本質である命が宿っているからこそ

生きる者として今ここにいるんです

 

だから肉体は始めから生きていません

肉体は今もおろか生きていません

肉体は未来永劫に生きていません

肉体を生かしているのは命なんです

 

だから生きていない肉体を「私、私」で生きている人間を、死人と言うんです

我命なりを自覚している者を、生きる者と言うんです

 

 

(続く)