日本のシルバーバック
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学校に行ったら、NEETになった? Part2

柔道で養われた家族愛

 人間の脳はまだまだ未知な領域である。脳のうち、大脳半球と小脳をのぞく部分、延髄・橋・中脳・間脳を脳幹というが、ここは呼吸機能など人間の生きる上での生命維持装置の全てが詰まっている箇所。この箇所の不全こそが、身心の現代病を引き起こしているといわれ始めている。その説をいち早く唱えたのは、実はあの戸塚ヨットスクール校長、戸塚宏であった。彼はその脳幹にもっとも刺激を与える方法は、平衡感覚に刺激を与えることが一番と敢えて転覆しやすいヨットを制作し、その操縦訓練を通して、脳幹に大きな刺激を与え、不登校などの一見、精神的と思われる症状を劇的に緩和していったのである。

 さて、彼以外にもNEETのように社会そのものを恐怖せずに生きていける図太い人間を育て上げようと、混乱期の日本に非言語的教育システムを構築した人物がいる。その人は 明治維新の混乱期、若干二十二歳の若さで東大卒業と同時に学習院大学に奉職。その年、明治15年(1882)講道館柔道を興した嘉納治五郎教授である。
 彼の体術は、維新後の日本人の特に青少年のアイデンティテイの拠り所として、編み出されたものであり、決して護身術の集大成がその本来の目的ではない。また、講道館柔道は、「自他共栄」「精力善用(むしろ、性力善用と書いた方が、意味がわかりやすい。)」をモットーに、知育(英語塾の弘文館)・徳育(寄宿舎の嘉納塾)・体育(講道館)の三育兼備を目標とした。1911年初代日本体育協会会長、アジア人初のオリンピック委員となり、1938年カイロの国際オリンピック会議に出席し、東京大会誘致に成功し、帰国途中太平洋上を航海中の氷川丸にて病没した(実際には、大東亜戦争の勃発で、オリンピックはの開催は中止となった)。かような努力も、黒船来襲で、無理矢理に開国、明治維新となだれ込んだ日本人の心の強い動揺を抑えるものとして嘉納が考案したのが講道館柔道であり、自信回復の象徴としての有色人種最初のオリンピックの誘致であったのである。

さて、柔道といえば華やかな一本背負い投げ等を想い出す人も多いだろうが、柔道の教育的真価は寝技にある。先に述べたように、人間も身体接触によって精神が落ち着く生物であることに変わりない。その点、柔道の寝技は充分に身体接触があり、同性同士でかくもあれほど真剣にくっついていることはあり得ない。そういえば、戦前は立ち技の講道館、寝技の高専と言われるほど寝技は隆盛を極め、寝技は練習量がそのまま実力に反映されるとも言われ、センスに頼る部分が多い立ち技とは大きな違いを見せた。寝技ならば、技術によって体格差、体重差を克服することができるとし、戦前の旧姓高校生は寝技中心の柔道を志したものである。そこら辺りのことは、井上靖の金沢を舞台にした自伝的長編小説「北の海」に微笑ましく書かれている。
また、強い家族愛で有名なブラジリアン柔術のグレイシー一家も、寝技中心の体術であることに強く起因するものである。彼等の持つ、家族愛、質実剛健さなどの武士道に通ずるものは、今や完全に日本人の師匠格といっても過言ではないだろう。かつて、高田延彦がヒクソン・グレーシーとの対戦直前に私に整体指導を受けに来てくれたが、高田が負けた腕ひしぎ逆十字固めの技はヒクソン最大の敬意の表れでないかと私は見ている。なぜなら、その昔、柔道王、木村政彦がブラジル遠征の際、戦った相手がヒクソンの父、エリオ・グレイシーであり、その決め技は同じ腕ひしぎ逆十字固めであったからだ。しかも、完全に決まった技であったにもかかわらず、エリオは参ったをせず骨折したまま気絶し、たまりかねた兄のカルロスがストップを申し出てようやく木村の勝利に終わったという曰く付きの技であった。身体接触で養われた気概は、恐ろしく強力で、美しい。


学校、このNEET養成所!

NEETは、大人になって発症するが、あくまで感染は小学校である。NEETは、躾という社会性を持った人に教育されれば感染しないですむが、最近では肝腎の先生が躾ができていないのだから、逆の教育が成され子供は走り廻ることになる。先程の「躾の時期」の「独立の時期は躾の時期」の章に、こうある。

 世の中に独立して生きてゆく為には、いろいろな躾が要る。躾がないと団体行動は出来ない。(中略)人間が生きてゆく限りは、自分の要求を積極的に発揮しようとする面と、発揮しようとする手段としての躾ということが要るのである。(中略)躾のある人はどんな場合でも、地震に遭って逃げ出すような場合でも、躾は身にくっついている。

 では、何が原因でここまで躾教育は無視され出したのであろう。解答を求めるために、我々は時計を六十年前の混乱期に戻さなければならない。まず、我々は昭和二十年に未曾有の敗戦を喫する。その後、米軍はただちに、教育に関する四つの解体指令を出している。その第四にこうある。「修身、日本歴史及び地理停止」に関する覚書(昭和二十年十二月三十一日)
 修身、日本歴史、地理の授業をGHQの許可ある迄中止することを命じる。

米軍の追い打ちは続く。本国に「日本派遣アメリカ合衆国教育使節団」を設立させ、同使節団を昭和二十一年三月五~六日に来日させ、三月三十日に使節団はマ元帥に「第一次米国教育使節団報告書」を提出させる。この報告書は政府と教育関係者に無条件で受け入れるべきものとされ、ここに敗戦後の日本の教育は実質的にスタートすることとなる。
いかに戦勝国とはいえ、日本の教育の目的及びその内容に始まって、神話のように民族文化の根幹にかかわるものまで改革しょうとなどということは、とうてい許されことではない。ここら辺りが、同じ敗戦国でも、ドイツと大きく違ってくるところである。
 当時の文部省学校教育局次長は「日本が教育使節団の勧告をしりぞけ六三制の採用を拒否した場合、連合国のわが国に対する占領政策はいかに転換するだろうか。恐らく日本独立への希望は霧散し、生きる望みはなくなってゆくのではないか」と述べている。確かに非協力的のレッテルを貼られたらどんな報復を受けるかはわからない状況下での承認は、何もこの法律に限らない。

 ともかく、躾教育として戦前に教えられてきた「修身」(修心ではない)は、敗戦後の日本の教育では教育のサブ課題とされ、成績の範疇外となる。よって、生徒が問題を起こしたときに、よく言われる「学校の成績は、優秀だったのですが・・」というおかしな教師の弁解を我々は聞く羽目になるのである。

 ところで、NEETは昔からいた種族(?)ようである。最後に、昔の荒っぽい対処法を紹介して私は消え去ることにしよう。以下は、小説家・津本陽の「覇王の夢」の中で、安土桃山時代のルソン(フィリピン群島の主要島)のラグタスと呼ばれる法典の内容である。

毎日の生活をするうえで、働かぬ怠け者は最大の犯罪者である。そのような者は金持ちの奴隷に売り、強制労働をさせる。働くよろこびを知るようになれば、それまでの労賃を与え、家族のもとへ戻す。立ち直ることのできぬ怠惰な者は、他人との交際を禁じ、森へ追放する。(中略)両親の扶養を受けられない子供は殺して川に棄てる。子を養わなかった父親は死刑に処す。


学校に行ったら、NEETになった? Part1

なぜ、街にNEETが溢れるのか? 


 人は、何故せっせと働くのだろうか。確かに、食っていくためである。しかし、それだけだろうか? 結婚の多くが職場結婚であったり、職業を通して知り合ったりしているところを見ると、生殖行為のひとつとも取れなくもない。また、「オルガスムの機能」などで著名な精神分析学者ライヒは、健康なオルガスムの体験能力を獲得することこそ健康の基盤であるとする性革命理論を唱えた人だが、晩年はもっぱら、自分自身にとって納得する仕事を持っていることがどれだけ人間の精神衛生上大切かを説いている。どうやら、仕事そのものは、大脳的行為に見えても脳幹的行為であって、本人の自覚とは別にどこか本能に根ざした快楽的行為ともいえるのかもしれない。
 だが、仕事をするには前提があり、その本人に社会性という身体記憶の蓄積が未成熟な場合には、成立しない作業といえる。そして、その社会性という身体記憶を蓄積してくれるものが、躾の時期を持った少年期を過ごすかにあるといっていいし、もう少し正確にいえば、まだ未熟な子供が急に大人の世界に入ってドギマギしないために、身体的な型に一時的に押し込めるサナギ化の時期、躾の時期を通して将来はばたいて行くための基礎工事をしておいたかが重要なキーポイントになるといっていいだろう。

 では、躾とは実際どのようなものなのであろうか? 広辞苑を見ると、躾とは元々、仕付け、仕付くの連用形から来た言葉で、縫い目を正しく整えるために仮にざっと縫いつけておくことを意味する言葉だと気づく。さらに、野口晴哉著「躾の時期」(全生社1970年発行)を見ると、「動作が美しく、お互いに生きてゆく上にお互いに快感があるようにしてゆく、そういうことが躾ということの意義である」とある。どうやら、一般に考えられていた躾とは意味が少し違うことに気づく。しかも、躾には条件があるとこの書では言う。
 「例えば子供が縁側に行くと、落ちたら危ないと思って親は注意をする。しかし子供には落ちた経験がないのだから、何か自分の行動を抑制されたように思って反抗する。落ちたら怪我をするのだという知識がない、そのために注意したことが躾られる方向に行かないで反抗心になってゆくのも無理ないが、そういう場合は頭の使わせ方から考えて行かねばならない。(中略)躾とはそういうことを言うのであるから、躾ける側の人間は、躾られる人間よりいつも年を取って経験が豊かでなくてはならない。同年輩とか、同程度の知識や経験では躾られない。そういう意味で、大人が大人であり、子供が子供であるということであり、躾けようとする者と躾けられる者との差がキチンとあれば体罰は要らなくなる。」
 躾は、その子が大人に成長するためには、生命維持の立場からも必要なものである。ただし、その子はその時点では自分の経験の浅さからその大切さがわからず反抗的になりがちである。そこをどう教えていくかが大切なことになると言うのだが、本人にその大切さの意味がまるで理解できないのだから、至極困難を極める。しかも親子は距離感が無いので、わめいたり、どなったり、ひっぱたいたりしながら教えようとする。その点、教師は最初から生徒とは距離感があるので、先生の側に子供との経験の差が十分にあれば躾やすいはずだが、最近の先生はテレビドラマの「金八先生」を勘違いしてか差を埋めることが良い先生の見本とばかりに生徒に歩み寄るので、生徒としては実は迷惑千万この上無いこととなる。しかも、敗戦後はただ「子供を二度と戦争に行かせない!」だけが教師の使命と心得て、体罰はまさにその軍国主義の象徴とばかりに、身体的教育の重要性を無視して言語だけによる『説得』が体罰に変わることとなる。しかも、本人が躾不足状態のまま生徒に対し躾を『説得』で試みることになってしまった。結果は一目瞭然。ここに、敗戦六十年にして、日本での躾の文化は崩壊し、街にNEETが溢れ出すことになった。


凄まじい現代の学校風景


 よく試合場に今から赴かんという選手に、コーチが盛んに肩や背中を叩くシーンを見かけると思う。あれは、何をしているのだろうか?
 かつて、デカルトは「我想う、故に我あり」と言ったが我々は、頭の認識だけで自己の存在を実感できるのだろうか? 試合前の選手や、ステージに上がる演奏者は、一応に皆、横隔膜が上に上がりやすくなり、呼吸が浅くなり、通称‘あがる’状態になりやすい。それに対し、強く触れて貰うことで人は落ち着きを取り戻し、我に返ることができるのである。
 生命力の本質はあくまで、安心立命。安心感があって、始めて生命力も芽生えてくるというものである。その安心感に必要なものが、身体接触である。子供や子犬がじゃれつくのは、心の安心に必要なばかりか正常な脳の発達にも不可欠なものだからである。(もちろん、それは実は子犬や子供ばかりか成長した犬も人もを終生必要なものに違いない。)その大切な身体接触をさせてくれたのが、かつての「男女混合馬飛び」や「おしくらまんじゅう」のような 校庭での遊びだったが、今では影を潜めている。私は十年ほど、大学の講師をしていた経験があるが大学生達にさせた「おしくらまんじゅう」は、大変好評でほとんどの子が初体験の喜びを語っていたものである。もちろん、大学でやる課目ではないのだが、やっとたどり着いた開放感か、時間が過ぎても楽しくてなかなか止めてくれない彼等を見ていて、私はむしろ悲しい気持ちに襲われたのを憶えている。
ところで、大学で始めて「おしくらまんじゅう」をやる彼等の躾度合いはといえば、授業中の「携帯メール」、「チューインガム」、「ペットボトル」の授業妨害の三種の神器に象徴される。これは、私が担当した美大が進歩的だからではない(笑)。六大学でも、行われている。特に、授業中のペットボトルは現代大学の風物詩にさえなっている。
 無能な小学教師と中学教師、ならびに今や義務教育化された高校の教師のツケを、大学の先生は払わねばならない。なにせ、躾である。理由で説明できない 。彼等曰く、「だって、誰にも迷惑かけていないしイイじゃん」。私はいちいち本人の前まで行き、無言で相手の口元に、手のひらを差し出す。大方の子は、恥じて、自分のテッシュにまるめてチューインガムを処分するが、中にはそのまま唾液付きでチューインガムを吐き出す子も少なくない。もちろん、「男女平等」である(笑)。携帯は、授業が終わるまで取り上げ、ペットボトルは机の上にこれ見よがしに乗せているものは、中身を全て飲み歩く。お陰で、私の授業は、3回目にして大学の授業らしくなってくる。もちろん、他のクラスは、そのまま学期が終わるまで続く。
ガムを噛んで授業を受けるのは、何も生徒だけとは限らない。私のうちでは、高校から上の学校は自力で出ることを原則としているが、長男、次男は江田島の海上術科学校であったのでそういうことだけは無かったようだが、長女の行ったキムタクも通ったと校長の自慢する一日三部制の(学校が廃校になったので、名を出すと)都立代々木高校などは、ゴム草履履きでチューインガムを噛む先生を生徒が注意すると、クルリと黒板を向いてガムを始末し、「噛んでないよ!」と弁明する始末だったとか。何とも、凄まじい学校風景である。


体罰の整体的考察


 寒くなってくると、フグのうまい季節である。死んでもいいから、食いたいと多くの人が江戸時代から死んできたほど、フグは美味い。しかし、フグの毒は青酸カリの千倍以上といわれ、肝臓・卵巣のほかフグの種類によっては皮・筋肉にも含まれる始末。おまけに、フグ毒には特効薬はなく、食後20分から3時間までに口唇や手の感覚マヒ、運動神経マヒ、呼吸困難などの症状が現れ、死亡率も高く発症から4~6時間くらいで死に至るという猛毒である。よって、保健所では、フグの取り扱いのできるお店は「フグ取扱所届出済証」を交付している店に限らせている。それほど面倒な魚であるにもかかわらず、食べる人が後を絶たない高級魚がフグである。私には、このフグ料理が教育界の鬼っ子、体罰に見えて仕方がない。

さて、怒鳴るという鼓膜への一種の暴力を含めて、体罰というものを使わずに子供を育てあげた母親は皆無に等しいであろう。それほど、体罰は安直に使える道具である。死に至らしめたり、後遺症を伴わせたりするほどの体罰は論外としても、体罰にともなう毒は侮りがたい。この点について、先の「躾の時期」にこうある。

 「だから体罰によって躾けられて、いつも叱られまいという考えが働いている子供達は、ちょっとした物音でも不安になり、すぐ警戒し、人の足音を聞いただけで体が反射的に動いてしまうのである。そしてツイ言いたくないことを言ったり、やりたくないことをやったり、余分な事をやったりしてしまう。これでは誰がその心の主人なのか判らない。(中略)ともかく、何らかを想い浮かべると気が集まってくる。考えただけでは気は集まらない。思い浮かべると気が集まり、気が集まると体の働きになってくる。(中略)だから想い浮かべるということ抜きで、いきなり先程やったことの叱言を言っても、警戒し耳を塞ぐだけなのに、相手に想い浮かべさせてから叱れば判る。想い浮かべさせてからほめれば、ほめ言葉も通じる。」
しかし、以上のような体罰の毒性を十分にわかりつつも、そのものの有効性、即効性が驚異的に威力を発揮するのも現場では常識に近い事実である。まずは、極端な例として、任侠の世界に眼を向けてみよう。


任侠は、人を育てる?!


日本には、任侠というシステムがあった。暴対法という法律で、祭りを仕切るテキ屋までもが暴力団として一括りされてしまって消滅の対象とされてしまっている。明治維新の時は政府と共に活躍した「森の石松」で有名な博徒の清水一家も、躾のできていないまま大きくなってしまった人間の最後の社会性を身に付けるリハビリセンターであったといったらビックリするであろうか?
 躾とは前述したように、元々の意味は「縫い目を正しく整えるために仮にざっと縫いつけておくこと」。すなわち、独り立ちした人間に育てるために、青少年期に一時的に行動様式をある程度詳しく定め、その範囲内で行動させることをいう。むしろ一時的に型にはめた方が、後々を見れば成長に役立つという考え方である。その行動様式こそ、各民族がその存続をかけて何千年の試行錯誤から生まれた継ぎ足し秘伝のタレのようなものであるといえよう。多くの民族との自然淘汰に残った、理屈でない経験の宝庫がそこにはある。

 さて、躾と書くくらいだから、身体の問題である。人は触れられて始めて、自己の存在を感じる。もちろん、愛情に満ちた接触に限りたいところだが、一切の接触が無いより、まだ、ぶしつけな接触でも無いよりはずっとマシである。家庭的に恵まれない少年少女が、いわゆる悪い仲間に入っていくのも、結局は家庭にも学校のクラブ活動にも身体接触のない場合、身体接触のある集団に移行するのはある意味自然な生命行為といえる。このように大人になるまで、躾という身体接触を通した身体行動規制が行われたことのない人間は、一応に不安感が強く、猜疑心が強すぎて社会性を持つことができない。そのため任侠では、親分子分といって、親の分担、子の分担を明確に分けた疑似家族を構成し、再度、躾のやり直しを図る。もちろん、徹底した身体教育である。やきを入れると称して、強い身体接触もするのだが、蹴ったり殴ったりするときに、膝や肘の力を極力抜いて、翌日腫れても後遺症の無いようにプロの仕置きをする。目的は、哺乳類の持つ序列性の確認と、意外にも本人達に帰属したことの安心感を与えるための儀式となる。もちろん体罰は、愛情と技術の両輪がなければできない高等技術。大学の応援部などで時折起こるリンチ事件などは、その両方が無い場合に起こるもので、躾とは無縁である。
任侠といえば、やくざ映画か、暴力団という認識しかない人が多いが、いわば私営の落ちこぼれ更正施設の役を果たしてきた感は否めない。それどころか、現在の更正施設の再犯率や、ほとんどがその子達もその同じ施設を利用している現状を現場の先生から直に聞くと、どちらが実際的な更正施設なのかと私は首を傾げてしまう(笑)。

なお、これらの任侠のシステムに関しては、むしろ現代日本人の歪んだ視点よりイスラエルの文化人類学者ヤコブ氏が、五年間のフィールドワークを通して書いた「ヤクザの文化人類学―ウラから見た日本」(岩波現代文庫2002年発行)の方が的を得ているかもしれない。

今の日本には、ボスはいない!

小泉総理を日本のボスだと思う人はいない。

敗戦後の日本は、アメリカの傀儡政権であった。

今は、アメリカからもめんどくさいので置き去りにされた国になった。

それで、今度は中国・韓国連合が攻め始めている。


平和な時は、ボスは不要かもしれない。

しかし、これからの日本には、ボスが必要になってくるだろう。


敗戦直後の吉田茂。


そのような人物が出てきてくれるであろうか。

面白い記事を見つけました。

ネットサーフィンをしていたら、以下の記事を見つけたので御紹介します。


 

父親の起源


父親は不思議な存在である。
母親は哺乳類の出現と共に誕生したが、サルの社会にも、父親はいない。
サルからヒトへの道程の中で創造されたきわめて社会的存在。
それが、父親なのである。



男と女が結婚し、そこに子供が生まれると、女は母親になり、男は父親と呼ばれる。

しかし赤ちゃんにとっては、母親の存在と父親の存在はかなり違う。母親と赤ちゃんはすでに10ヶ月以上の関係を持っている。生まれたばかりの赤ちゃんは、何の疑いもなく母親の乳を飲み、母親の胸に抱かれて静かに眠る。

一方、男は新生児をおそるおそる抱き上げたときから、父親になった実感を持つが、新生児にとって男はまだ父親ではない。新生児にとって自分を保護し、快を与えてくれる存在は、母親一人で十分なのである。新生児は母親に依存し、母子一体の世界を作る。そこには父親が介在する余地はまったくない。

生き物、特に哺乳類の系統を見れば、そこには父親が存在していない事実に気づく。母子関係は哺乳類の出現と共に誕生するが、父子関係は、はたしていつ誕生するのであろう。

現在地球上には、さまざまな形態の家族がある。じかし、たとえ夫が妻や子供と同居しない社会にも、また一夫多妻が行われている社会にも、父親は存在する。

人類社会に普遍的な父親という存在は、ヒトがサルから別れたときに突然出現してきたとは、考えにくい。おそらく、父性の萌芽は類人猿の時代に準備され、初期人類が確かなものとして確立したのであろう。はたして、父親を創造する鋳型とは何だったのだろうか。

そのヒントは、現在のサルの社会に残っていると考えられ、ゴリラの父性行動がヒトの父親創造に深く関係しているとは、十分考えられる。そこでゴリラの父性行動を観察してみよう。

ゴリラは、一頭のオスと複数のメスが、基本的な集団を作る。そのオスとメスたちは、長期にわたって配偶関係を維持し、成長した息子が、その集団を乗っ取ったり、娘が母親を追い出すことはない。

そのため、ボスゴリラであるシルバーバックとその子供たちの関係は、思春期になって子供たちが集団を離れるまで続く。息子たちは、シルバーバックと共に群を守り、シルバーバックが老齢な場合は、成熟した息子が集団に残り、しだいにシルバーバックに代わってリーダーシップをとるようになる。しかし、息子がシルバーバックに対して優位に振る舞うことはないため、シルバーバックがメスの支持を失うこともなく、死ぬまで群の核としての立場を維持できる。

まるで人間の父子関係を彷彿とさせるが、シルバーバックは、乳児にはほとんど関心を示さず、積極的に自分から世話をすることもない。離乳時期が近づいた幼児が、シルバーバックに関心を示すようになって、初めて子供との親密な関係が始まるのである。

乳児は次第に母親から離れ、年上の幼児たちと共にシルバーバックの側で過ごす時間が長くなり、完全に離乳する頃には、母子関係よりシルバーバックと子供の関係の方が密接に密接になっている。5歳ぐらいになると、自分でベットを作り始める。

こうして、子供の依存対象は母親からシルバーバックに移ってゆく。シルバーバックは、メスが赤ちゃんを抱いて近づくことで、その子供の存在を認知する。そして離乳期の世話を、母親から任されることで、子供を密接な関係を築いていく。まさに、母子双方の働きかけによって、シルバーバックは子供との絆をつくってゆくのである。

母親が群から離れたり、死亡して孤児になった子供も、シルバーバックは優しく保護する。、まだ母親を必要とする離乳期に母親を失った子供を、シルバーバックは優しく自分のベッドで寝かせる。孤児はいつもシルバーバックの側にいて、何かトラブルが起こると、シルバーバックの腹に抱きついて、不安を静める。しかし、シルバーバックは孤児に特別目をかけて育てることはしない。

母親は自分の子供に味方する傾向があるが、シルバーバックは、特定の子供をえこひいきしないので、孤児も母親のいる子供も、対等につき合う事を覚えていく。彼にとって、すべてが等しく自分の子供なのである。

こうしてみると、シルバーバックの存在は、子供たちを母親の庇護のもとから引き離し、対等な社会交渉を学ばせる役割を果たしている。

そして、年老いたシルバーバックに代わって、リーダーシップを取り始めた息子も、同じような行動をする。この新しいリーダーは、子供の兄に当たるが、その行動は父親であるシルバーバックと同じなのである。新しいリーダーは、やがて母親の違う妹たちの間に、自分の子供を作るが、自分の弟や妹に当たる幼児と自分の子供を差別することはない。

シルバーバックの庇護のもとで育った多くの子供たちは、思春期が近づくと、だんだんとシルバーバックと距離を置いて生活するようになる。息子は次第にシルバーバックとの反発関係を強め、群を離れ、単独生活を行う。しかし、息子は決定的な敵対関係に陥ることはない。

一方、娘は思春期を迎えても、シルバーバックとの比較的密接な関係を維持する。そして、異母兄弟との間に子供が出来、母親になっても、その関係は維持する。しかし、娘はシルバーバックとの間では配偶関係を結ぶことは避け、群の中にシルバーバック以外の成熟したオスがいない場合は、群を出てゆく。残った息子も母親と配偶関係を結ぶことはない。

初期人類は、特定のオスとメスが、長期的な配偶関係を持つ社会から進化してきた。そうであれば、初期人類にも、シルバーバックがもっている父性が存在したと考えられる。

心理学者ユングは母性について、こう述べている。「母性の本質は育て慈しむ事である。しかし、それは底知れない愛育の暗い闇を内蔵し、なにもかも飲み込んでしまう恐ろしさも持ち合わせている。」

この母子関係を切断することが父親の一つの機能ならば、シルバーバックの行為を父親の萌芽とも見ることが出来る。そして、初期人類が持っていた父性とは、母親の育児の負担を減らす行動ではなく、子供たちを長期的に保護し、離乳期にある子供を母親の影響から引き離し、他の子供と対等なつきあいをさせ、社会化することだったのではないだろうか。

そしてたぶん初期人類の社会でも、ゴリラと同じように父性は女が特定の男を自分の子供の父親として認知することから、確立していったのだろう。

しかし、初期人類社会は特定の男と女が常に同居するような、閉鎖的な集団ではなかった。人類は、霊長類が守ってる縄張りを積極的に解消し、異なる集団の同性同士の連帯を強めていった。そのため、父性は同居や近接によってではなく、約束によって保証されなくてはならなくなる。これが人間の父親の始まりだろう。こうして家族が誕生してくるのである。

初期人類が作り出した父親・家族という構造はいまだに私たちが捨てていないのは、この構造がいかに人類の文化のすみずみまで行き渡っているかを物語っている。

だが、ミッシャーリヒが「父なき社会」を著した1963年頃より、社会の構造として父親の不在が指摘されていた。

日本ではその後、ほとんどの父親たちが経済活動に専念し、母子関係が濃密になってゆく。本来母子関係を切断し、対等な社会関係を教えるべく登場した父性が、今その機能を失いつつあるのだ。そして、父親を喪失し、母性に飲み込まれつつある恐怖を敏感に感じ取った子供たちは、その暗い闇の中で苦しむ。

父性がその本来の機能を果たせなくなったのは、単に父親たちが経済活動だけにかまけているためだけではない。社会約束として強化されてきた父親の役割が次第に消滅する傾向にあるのだ。

社会的父性が死滅するのは時間の問題かもしれない。しかしそれは、父親と同時に社会的母親の消滅をも意味する。人類ははたしてその混沌に耐えることが出来るのであろうか。

父親の消滅は、人類にとって必然的帰結なのか。人類はもはや家族を必要としないのか。社会的父性が消滅した後、そこに残るのは、生物的母子関係と父親になれない男たちである。

占領軍は、日本政府より頭がいい。

占領軍は、壊滅的敗戦をした日本に実質10年間武道をさせなかった。

けだし、卓見である。

19世紀次々にアジアは植民地化される中で、何故、日本だけが独立を保持できたのか?

中国からも、さまざまな政治家達が留学にやってきた。


かつて、明治維新を起こした坂本龍馬、勝海舟、西郷隆盛なら、みな剣術の稽古に青春を燃やした者達だけである。

抗日運動の毛沢東でさえ、日本軍に追われながらの大長征の期間も兵士の柔道の稽古は止めはしなかった。


占領軍が、武道を10年かけて封じ、日本人に武道をやることをダサク植え付けさせ、また、より武道をスポーツ化させて、その本質を抜いたことは、卓見である。弱体化、自滅化させるために。


朝鮮戦争が始まり、自滅化の方向には、日本を向けることは止めたが、日本男児を精神的にインポ化させることは続いた。


見事に、父権が消えた。

具体的に教育の復権とは?

私は、ズバリ、父権の復活だと思っている。

吉田茂、孫文、頭山満、いずれも父権のある人達だった。

孫文 今、一度、父権の復活が日本全土の教育改革の柱である。

はじめまして

kumo 壊滅的敗戦国、日本!


よくぞここまで、ひとまず経済を回復させました。

次は、教育を回復せねばなりません。


教育改革の柱は、何であろうか?