今日、お仕事していたら
お友達から、ラインと写真が送られてきました♪
なんと、大神神社のあとに、元伊勢である◆檜原神社◆に行って、おまいりしていたら、後15分程で例祭があるからと教えてもらい、お祓い後に中に入れていただいたと!!
なんて、神秘的な今日の檜原神社
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20200215/20/sae-no-kabu-life/29/72/j/o0810108014713607230.jpg?caw=800)
元伊勢のスタートの地になります
例祭のことは、彼女は知らなかったようで偶然です
HPを見たら載っていました◆こちら◆
が、参加者は10名程で知る人ぞ知る祭のよう…
というか、先週末も、この友人と一緒のときに
ちょっと霊感あるんです、彼女
私に葛城行かない?って誘ってきたのも(仕事で行けなかったけど…)
連休に思い立ち一人で急に、葛城に行ったとき(知らせてなかった)に、御歳神社の鳥居前ですごいタイミングでラインが来たのも彼女です(笑)
なんだ、なんだ、この不思議の連鎖は…(; ̄Д ̄)?
実は、あきこさんの忘年会の時から、何故か、Saeさんに葛城のツアーを教えてあげないといけない、って思ってたの
↑って、伏見稲荷で言われました(笑)
だけど、その時は顔見知り程度だったから、ライン交換のみにしたらしい…(後日ラインで誘ってくれた)
ツアーの帰り道に隣り合わせた偶然も、必然か?
今日は今日で、バラバラに見えて
檜原神社の例祭は
神楽と、磯城の舞が奉奏されます ←とHPに記載あり
びっくり(゜ロ゜;ノ)ノ
磯城の舞…
(@_@;)
昨日の私の記事を読まれた方
◆誰だ、誰だ、誰だ~◆ ←こちら(笑)
王家に嫁ぐ、葛城の巫女筋、ある家系に限られると書きましたよね(・・;φ
古代の三輪山の祭は、登美家の姫か、磯城家の后が司祭となり行われており、姫巫女と呼ばれていたのです
磯城の舞 !!!!!
現代にも、伝わっているんだ(@ ̄□ ̄@;)!!
ひゃーーーー(゜ロ゜;ノ)ノ
不思議な連鎖に、今日もびっくりです…
でも、きっとこれからも続くと思います(笑)
日々を真摯に生きて、偶然(必然)を楽しみながら、魂の近しい心優しいお仲間と、神社仏閣を回っていけたら、その魅力を発信できたら…と願っています
彼女も楽しみにしてくれているらしく、古代の壮大なストーリーは、また少しずつ書きますね(全然、まとまってねーけど(T_T) なんかちょっと伏せて書いたらこんなことがあり、出し惜しみするなと、知ってることを書け…と、急かされているよう(ToT) だけど、筆がおいつかないんだよー(>.<) 知ると書くは違う能力…(ーー;))
登美家(磯城)について、少しだけ記載しときます
***************(追 記)*************
古代出雲王家には、富家と神門臣家の2家があり、王(オオナモチ)と副王(スクナヒコ)を交代で出していました→(古代出雲ではトミをトビと発音していました)
あるとき王家をゆるがすクーデターがおこり、王、副王が暗殺されてしまいました(徐福が絡む…)
主を殺された出雲王家、富家の一部が、高槻の三島溝咋に移住(后の実家に息子と移住)
→成長した息子が新天地を求めて、葛城に移住 鴨都波神社 (トビを登美家と漢字を使うように)
→出雲の神門臣家も、富(登美)家を頼り葛城に移住してくる(高鴨家となる) 高鴨神社・御歳神社
→後から来た物部(海部、尾張)に次第に圧倒されていき
→葛城から、三輪山方面の磯城郡に移住し、磯城登美家とも呼ばれるようになる
→登美の姫が、三輪山の祭司を司り崇拝される
→王家(海王朝)の后が続けて登美家から出るようになり、王が磯城家にて育ち、磯城王朝となる
ヤマトを当初開拓したのは出雲勢(登美家、高鴨家)であったが、その後に物部である海氏(海部家、尾張家、丹波勢力)もヤマトに進出し、しだいに押されていく
ヤマトの豪族で勢力が最も優勢であった海王家(物部、丹波より移住)では、登美家の姫と結婚した王子が王となり、その后が三輪山の太陽神の司祭をしていたのです
※上記の説とはまた別にもう少し後の時代の葛城氏(娘を天皇に嫁がせています)も調べているところです
そちらも、地方豪族でありながら、天皇の外戚であり、加羅(伽耶)との絡みもあり面白い話
あー、でも、やっぱり…誰だ~?は、欠史八代の中だな、多分
*******************************
葛城に関しては不思議と反響があります…
何故か気になる方は、何か魂の共鳴かもしれませんね