先日の奈良・和歌山・三重の旅を振り返ります
今、台風のニュースを見ていて、奈良・和歌山方面の雨量&熊野川の水量やら聞いていると、旅行は最高のタイミング&天気でおまいりできたんだなーと感謝
どうぞ、優しい人々が暮らす、歴史ある場所をお守りくださいませ
土砂災害などありませんように…
さて、気まぐれに更新するため熊野本宮大社で途中になってましたが、その後は新宮市内に戻り、◆熊野速玉大社◆にいきました
熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)の中では一番アクセスしやすく、新宮駅からも比較的近い場所にあります
もともとは近くの神倉山の磐座から信仰がはじまり、そちらを元宮、そして景行天皇の頃、現在地に信仰の地が移り新宮と呼ばれたそうで、新宮という地名のゆかりでもある
私達は車で移動でしたが、神社のそばに熊野川が流れており、熊野本宮大社から川舟で動く◆川の参詣道◆ というのも風情があり、また古来の参詣気分になれて感慨深いかもしれません
おおらかな空気、綺麗で明るい神社
こちらもおみくじ大吉で、にっこり(///ω///)♪
当時、都から熊野詣では、往復で1ヶ月かかる旅だったそう
何名もの上皇やら女院も熊野に来られていたようですが、特に多かったのが後白河上皇
院政にて自由を手にしつつ実権を持っている上皇にとり、楽しみであり、現実逃避でもあり、また政治的な意味も(熊野における僧侶に山伏のネットワークや、海人族の貿易ルート等)あった場所なんでしょう
人が集まる場所には情報とお金も集まるから
後白河院の第一回目の熊野行幸に平清盛が同行しています (宗人とも会ったり、日宗貿易にも繋がりがあるかも)
兄、崇徳上皇と皇位継承を争い、「保元の乱」に勝利し、源義朝と平清盛を味方につけ政治の実権を握るけれども…
翌年、頼りにしていた部下、源義朝と平清盛が争う「平治の乱」が勃発
その後から、後白河院の熊野詣りが始まったみたいです(ま、色々嫌になるかもね)
時代の流れは、平清盛から
(平 清盛→源 義仲→頼朝→義経と、色々と手をかえ品をかえ、人を換えて、後白河院も暗躍されますが)
皆様ご存知の源平合戦(治承・寿永の乱 じしょう・じゅえいの乱)を経て、源氏へと移っていくのです
(源平合戦は、古代、最後の内乱であり、中世、最初の内乱であります)
貴族から武士へ実権が移る時代のことです
私は多分血筋的に平氏で、香川で育ったので、崇徳上皇(讃岐で幽閉、没)を追い込んだ後白河院は悪人イメージなんですが、
数奇な運命をアグレッシブに生きた人だなーと今は思っております(当時の交通事情で熊野やら厳島やら、すんごい体力と行動力)
あ、なんか、また歴史オタ話に…
話を戻して、
元宮である、神倉神社にいきました
速玉大社から徒歩で10分くらいの場所(車でいきましたが)
1日の行程のラストで夕方でしたが、正解
ここから、山登りです(笑) 夏の昼間は無理(T_T)
写真ではいまいち伝わりませんが、実物はもっと角度があり、ちょっと笑えるくらい急でした(;゜∇゜)
最初の第一の坂がめちゃめちゃ急で、石もランダムで、なんだこりゃ~て感じ( ; ゜Д゜)
私、神社仏閣の石段はわりと慣れているけど(金比羅さんとか行くし)、こんなにハードなん、久々
杖なんて普段いらないんだけど、持って動きました(笑)
途中で、第二の坂で緩やかになり、石段も揃ってきて、ホッとしました(これならいける)
頂上まで上がるとご褒美のような景色が待っていました
磐座(撮影×)の横に社があり、お詣り
そこから見える新宮の街
上がって良かった~(///ω///)♪
現地ボランティアさんから案内があり、磐座にも上りました
何か感じる人は無理らしいのですが、特にないので、磐座に上がり、お賽銭なげて、石に手をあててパワーをいただき、また降りました♪
なんか女坂というゆるやかな道も途中あったらしいのですが、気がつかず、行きと同じ道をガシガシ降りた私(笑)
お祭りでは、松明をもち、ここを凄いスピードで駆け降りるそう(凄すぎる…)
皆より早くついたので、しばらくお喋りしてました
こちら、かなり印象的な参拝になりました☆
急すぎる坂と、古代信仰の磐座、素敵すぎる景色
すごい充実感でした
ぜひ、行って欲しいです(体力ある方は、笑)
カフェなんかも近くにあり、今は神社旅も楽しいですね(*^^*)坂道のおかげで、ホテルでもよく眠れました(笑)
翌日、足がガタガタでしたけど、いい思い出
今しか出来ない旅(10年後、体力自信ない)
楽しんでいます
熊野、吉野地方の郷土料理、めはりずし、なれずし
新宮市で食べた、めはり寿司、とってもおいしかったです(*^^*)
なれずしは、うーん、ちょっと癖あり、チーズみたいだった
嫌いじゃないけど、一切れで良かったかな(濃厚)
新宮はまた行ってみたいな(拠点にして色々まわりたい)