ツイートしようと思ったけどまとまらないのでこちらに。

前提として、私は戦争にも侵略にも異議を唱えたい人であることはお伝えしておく。

そして政治には全く疎い、ただのフィギュア好きのおばちゃんの思うところを書いとく。

 

プルを擁護する気はないけれど、彼はソ連時代のゴリゴリの社会主義的英才教育を幼少期に経験した最後の世代という事だけ認識しておいたほうが良い。

「ロシア」で生まれ育った世代とはちょっと違いそう。

大人になってもまだソ連だったタラソワやミーシンともまた違うけれど。
スポーツに限らず特別な才能を認められた子が、自身の意思とは無関係にその道に進むためだけに厳しく教育されたのが「当たり前」だった。

その道で成果を出せば一族郎党みな安泰だったんだから、大人たちは才ある子供を喜んで差し出した。

それを良しとすることは今の西側的世界観からすれば非難されるべきだし、迎合しているなら咎められてしかるべきとは思うけど、個人の感情を表に出すことの怖さも知っているわけで。


一方でドーピング問題に関しては

「ひとくくりに扱われるのは迷惑だから、RUSADAの問題も個人の問題も疑惑をきっちり解明してほしい」

と声を大にして言う選手がいない(ほかのスポーツは知らないけど、少なくともフィギュアでは私は知らない)、というところが「ロシア」がソ連の負の遺産を大きく引き継いでいることの現れともいえると思う。

 

 

若い世代はロシアの連盟に説得されて(おそらく脅されて)、国威発揚ショーには出演するけど、自分は本意ではないと発言できるツールと立場をもっているしそのマインドがある。

にもかかわらず、ドーピング問題にはだんまりを決め込んで、ROCという微妙な立場での五輪を受け入れた。

今ロシアのアスリートはドーピングの抜き打ち検査の対象になっているのだろうか?

隙あらばお薬に頼って悪びれないのは、政治情勢とは関係ない国民性なのだろうか?

それともソ連時代に教育を受けた指導者世代の影響なのか?

世代間で格差のある国家観、アスリートとしての育ち方の差、西側文化と国内での上の世代からの影響の受け方、今の国内や世界での立場の違い。

すべてを把握もできないし、誰が何に利用されて何が本意なのかは情勢が変わった時明らかになると思っている。

例えばリーザ。ワリエワが黒なら自分が五輪の舞台に立っていたかもしれないのにドーピング問題は非難しないで、Zショーには同意しかねるという発言してるわけだし。

私から見たら侵略によるロシア排除の問題とRUSADAの問題は、同じ「ロシアという国」が引き起こした問題に見えるんだけど。

国の意思によって薬物に手を染めた選手もいるかもしれないし、自分は薬物を使っていないが関与した人物を知っていたとしても、それを告発するにはそれ相応の覚悟がないとできないのは間違いない。

 

だから悲しい発言や行動に一喜一憂しないようにしたいとは思う。

ロシア人の価値観は私には憶測しかできなし、考えてはみたけどさっぱりわからん。

コマネチやヴィットの今を見ると、すべてのアスリートに幸あれと願うばかり。

冷戦終結前後や第2次大戦の戦中~戦後のアスリートにも、私が知らないだけで同じような立場の人はいただろう。

国に翻弄されても、最後に幸せをつかみ取るか否か、何を幸せと思うかは、やはりその人次第なのだから。

 

とはいえドーピング問題は早く片付けて、団体メダルは確定させてほしい。

これだけが今日のおばちゃんの結論。