北赤井神社(真田相伝六神社御朱印巡り) | ~日常ブログ~

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「皇大神社」の次に、『北赤井神社』へ伺いました。

スマホのナビを元に神社を探したのですが、曲がるよう指示された場所に道がなくて(@@;)
20分くらいその周辺でウロウロ=3
仕方なく、近くの農道を入っていきました。
 
 

 
農道に入ると、再検索してくれて、何とか辿りつきました(^^;A
ただ、駐車場がない為、少し離れは所に広くなっている場所があったので、そこに車を停めていきました。
 
 
御朱印巡りをするにあたり、ネットで情報を仕入れる際に、民家と民家の間に入り口が分かりにくかったという話があったのですが、ホント、分かりにくかったです(--;A
 
 
民家の間の坂を暫く登ると、獣道のような道が現れてきました。
山の方へ進んで行くので、段々心配になってきてしまいましたが・・・。
 
 
数分登ると、神社の入り口を発見!!
見つかったと同時に安堵感が(^^;A
神社まで更に坂。運動不足の私にとってはきつかったです・・・。
 
 
 
 
『北赤井神社』
往古、須佐之男命をお祀りして天箱(白)社と称し旧上原村赤井、下塚両集落の氏神様として天箱(白)山に鎮座されたとの事。
その後この中の中腹に真田昌幸が砦を築き、天箱(白)城と称し、この神を守護神として崇敬したと云われているそうです。明治11年に北赤井神社と改称との事です。
 
御祭神:須佐之男命(すさのうのみこと)
(『長野県神社庁』HP参照)
 
 
 
 
 
『天白城跡』
神社の裏手にあります。
 
天白城の詳細は不明ですが、真田本城の支城として、真田幸隆の長男である真田信綱によって築かれたと伝わっているそうです(真田昌幸が築城したという説もあり)。
現在城址には竪堀や堀切のほか、石積なども確認することができるとの事。
山頂までは登山道が整備されているそうです。
 
本郭は約11mほどの方形で、その外側に一段低く石積みで補強した郭が巻いているそうです。虎口はなく、赤井の集落に向けて南西方向に下る尾根に、七段ほどの郭が連続してつくられており、本郭の背後は岩を切り落として、深さ3m、幅2.5mの大堀切を設けているとの事。

ふもとの小屋場とよぶ場所からは太刀が出土しており、赤井神社拝殿付近には五輪塔の残欠が数基残されています。

(一部『上田市文化財マップ』HP参照)

 

六神社の中で一番見つけるのが大変だった神社でした。

また、熊除けで鈴等も持って行った方がいいかなぁ。

これから行かれる方は参考にして下さい。

 

そうそう!!

冒頭のナビの話。どうやら道の下に農道が通っていて、それを示していたようです=3=3

これじゃ~道がないのも納得です(^^;A