5月19日に行って来た塩田平札所めぐりの様子です。


長福寺の開基は、康保2年(西暦九六五年)に修行中の身であった祐存上人が信州塩田の霊峰独鈷山の東北(鬼門)の位置にあたる神仏の功徳あふれる生島足島の神域に近遠者の祈りの霊像として独鈷山守り仏である瑠璃に輝く薬師如来(独鈷山麓にある中禅寺の薬師本尊)を勧請し奉安したのが始まりであると伝えられているそうです。
創建当初は、西隣に対のかたちにて「神宮寺」があり生島神の別当として仕え、長福寺は足島神の別当として仕えていたとの事。
明治の廃仏毀釈により「神宮寺」は廃寺となり、仏、仏具等は一部は長福寺に預けられ、他は各寺院に配られたそうです。
昭和35年3月、近所の火災の飛び火に合い、本堂、庫裏、夢殿の一部を焼失。
昭和50年に檀信徒の皆様の協力を頂き、本堂再建、観音堂修復されたとの事です。
『長福寺』は、「癒しのお薬師さま」として、その大いなる救済の本願によって苦しみのない人生と安らかな来世を願う人々の祈りの聖地となってきているそうです。
境内には、梅や桜、牡丹や藤の花が咲き、霊峰 独鈷山を借景とする四季折々の美を楽しくことができるそうです。
(『長福寺』公式HPより参照)

「長福寺」境内にある『夢殿』へ行ってみたいと思います。
『夢殿』
昭和十七年に篤い観音信者である大塚稔氏(大塚工芸社創立者)が観音像と八角のお堂を寄進されたものだそうです。
八角のお堂は「信州夢殿」と称され全て奈良法隆寺の夢殿完全二分の一に写し、瓦までもが奈良の物を使用するなど当時の匠の技が結集された昭和を代表する建築との事。
観音様は大塚氏が長野県小布施町の民家より譲り受けたもので、総高さ四十㌢の金銅仏で正式名称は「銅造菩薩立像」と言われているそうです。
この観音さまが寄進された年は、戦中真っ只中であり、今日とも明日とも知ることのできない生活の中、みんなが笑顔で暮らせるようにと、通称を「救世観音」名付け親しまれております。
古仏特有の微笑み「アルカイックスマイル」別名「少女の微笑み」から白鳳(奈良時代前期)の面影を残していますが作風などからして天平(奈良時代中期)の作と推定されているそうです。
現在長野県では分かっているもので、この時代の金銅仏は二体しか残っていないとの事。
一時は国宝に指定されましたが、戦後の国宝見直しによりしっかりと記録がないことと修復があるため等により国重要文化財となったそうです。
この観音様は、分かっているだけで3回盗まれており、最近では平成18年に戻られた大変不思議な観音様と言われていそうです。そのため最近では、「お戻り観音」ともいわれ、旅行安全祈願として親しまれるようになっているとの事です。
「救世観音」を拝観する場合は、事前に必ず電話にて事前予約が必要との事です。
また、拝観料として300円かかるそうです。
(『長福寺』公式HPより参照)
この日はたまたま『長福寺』の近くを通り、ちょっとお寄りした為、拝観は出来ませんでしたが、日を改めて伺いたいと思います。
ここは『塩田平札所めぐり』の一番札所という事もあり、説明書きの看板が設置されています。
このブログでも詳細について記事にした事がありますので、そちらのURLを貼らせて頂きます。
https://ameblo.jp/sae-daily-blog/entry-12589277681.html
残念ながら、御朱印はいただけなかったので(境内を散策させていただいていた時、確かに人がいらっしゃって、授与所の玄関から中へ入っている女性の方がいたのですが、呼び鈴を鳴らしても出ていらっしゃらずいただけませんでした・・・。)、後日、夢殿を拝観させていただきながら、御朱印をいただいて来ようと思います。